【大分県別府市!2022年別府ひき逃げ事件現場】2022年6月29日に別府市で発生したひき逃げ事件。八田與一容疑者が運転する軽乗用車が信号待ちのバイクに追突し、男子大学生1人が死亡、もう1人が重傷。事件後、八田容疑者は逃走しましたが、車内に遺留された証拠品や複数の防犯カメラ映像などから事件の状況が明らかになり、後に道路交通法違反、殺人と殺人未遂の疑いで逮捕状がでています。
【タイのバンコクのヤワラート(中華街)にある中華料理屋『Porsampao』で中華料理】
バンコクのヤワラートにある 中華料理屋。 注文したのは炒飯と麺。 人気店で混雑していましたが 待つことなく座ることができました。 味も良くて 接客対応もよくて満足。 シンハービールとともにいただきました。 総額約480バーツ (約2250円)
パレスチナのベツレヘムでは民泊。住宅街の家を1泊あたり120シュケル(約5000円)で借りました。オーナー男性に案内され鍵を渡されました。周りはイスラム教ではなくキリスト教徒のパレスチナ(アラブ)人が住む地区。
ベランダに出てたら子供達に親しげに話しかけられました。部屋は2部屋で80平米ほど。1人で使うにはかなり大きいです。綺麗で洒落た感じ。ベランダからの景色も最高です。町の中心近くに位置しているので立地条件もよし。町の住人になった気分です。
チェンマイのムエタイ競技場で久しぶりにタイの国技であるムエタイの観戦をしました。せっかくなので間近で戦いをみることが出来るリングサイドに。費用はビール1杯つきで1000バーツ。旧市街の旅行会社で申し込みましたが往復、ソンテウでの送迎つき。試合は6試合おこなわれ約2時間ほどの観戦時間でした。
チュニス市内のバルドー博物館。
博物館入り口付近にはトヨタのハイエースの警察車両が。
2015年3月18日にイスラム過激派により、日本人3名を含む外国人観光客21名が殺害された現場です。犠牲者になられた方々への慰霊をさせていただきました。
事件後にチュニジア政府、治安当局は過激派を摘発。博物館など外国人観光客の人気名所は警察や軍隊が守っています。
観光大国(立国)であるチュニジア。
経済成長率も0%台の低成長率。
海外からの観光客が来なくなると更なる経済悪化が懸念され、政府もテロ対策、治安対策に力をいれています。
ブータン人ガイドに多くの場所に連れていってもらいましたが、事前に旅行会社を通じて1つの要望をだしました。それはブータン農業の父と呼ばれれ、ダショーニシオカとブータンの人々から非常に尊敬されている日本人・西岡京治氏のお墓参り。
ブータンが親日国というのは事実ですが、その最大の要因はブータンの農業の父・ダショーと呼ばれる日本人・西岡京治氏の功績だと現地踏査の結果わかりました。
西岡氏は日本統治時代の昭和8年(1933年)に朝鮮の京城(現在のソウル)で解剖学者の西岡辰蔵・利恵夫妻の長男として生まれました。
大阪府立大学、大学院卒業後、高校の教師として勤めた後に、昭和39年(1964年)に海外技術協力事業団(現・国際協力機構)のコロンボ・プランの農業指導者として夫人とともに赴任。
ブータンに赴任当初は、インド人が大半を占める農業局から冷遇を受け、試験農場すらまともに用意されませんでした。切磋琢磨しながらも、日本から導入した野菜の栽培および品種改良、荒地の開墾など、ブータンの農業振興に尽力しました。
西岡氏の誠実な人柄と常にブータン人の立場でものを考えは、ブータン人の支持者を増やし、3代国王にも認められ、ボンデにデモンストレーション農場を造ることができました。
西岡氏の振興策は援助側の一方的な施策の押し付けではなく現地の実状に即した漸進的なものでした。
当初2年の赴任の予定がブータン側の要望で平成4年(1992年)に59歳で氏が敗血症で亡くなるまで28年間に引き延ばされてました。(人生の半分近くはブータンに居住)
昭和55年(1980年)に西岡氏は4代国王より最高の爵位である「ダショー」を授かり、同国において唯一にして史上初の外国人受爵者となりました。
西岡氏が亡くなられた平成4年(1992年)3月26日にブータン王室およびブータン政府によって西岡京治の国葬が執り行われ、遺体は夫人の意向に従ってパロ盆地が見渡せる丘に埋葬されました。
平成22年(2010年)に在留邦人有志により、再整備がおこなわれました。
仏塔にて合掌させていただきました。
一個人ででここまで国を動かすのはすごいことです。
西岡氏に関しては、若い世代や僻地に住み、教育を受けてない人々以外には絶対的な知名度ど人気を誇っており、ブータンの人々から「ダショー・ニシオカ、ニシオカさん」と呼ばれています。