今回の動画はタイのバンコク夜の繫華街(歓楽街)総集編。
収録場所は
シーロム通り、タニヤ通り、パッポン通り、スリウォン通り、カオサン通り、ナナプラザ、ソイカウボーイ、ヤングプレイス。
スクンビット通りソイ4、23などの通り。
今回の動画はタイのバンコク夜の繫華街(歓楽街)総集編。
収録場所は
シーロム通り、タニヤ通り、パッポン通り、スリウォン通り、カオサン通り、ナナプラザ、ソイカウボーイ、ヤングプレイス。
スクンビット通りソイ4、23などの通り。
ロシア南部のリゾート地でウクライナ軍のドローン攻撃があり、子ども3人を含む7人が死亡しました。
地元当局によりますと3日、クラスノダール地方のリゾート地ゲレンジーク近郊のビーチでドローン攻撃があり、子ども3人を含む7人が死亡し、40人以上がけがをしました。
地元当局は、「子どもに対する非人道的なテロ攻撃は正当化できない」として、ウクライナを非難しました。
また、ウラジーミル州では、ロシアの通販「ワイルドベリーズ」の物流倉庫がドローン攻撃を受け、4人がけがをしました。
ウクライナ側は、この企業の物流拠点が軍事物資の保管や輸送に利用されているとして、7月以降、ロシア各地で繰り返し攻撃しています。
一方、ウクライナ南部オデーサ州では、交通インフラがロシア軍の攻撃を受け、13人がけがをしました。
双方による攻撃で、民間人への被害が続いています。
拳銃使用【海外の警察事情】大阪・河内長野市で警察官が刃物を持った男に発砲 !男は搬送先の病院で死亡-警察官の拳銃使用は適正だったのか?海外、治安の悪い国々や銃器が出回っている国々では・・

【タイのウボンラーチャターニーからナコンラチャシーマ(コラート)まで利用の特急列車】
バンコクからバスでウボンラーチャターニーに移動して7泊。ウボンラーチャターニーからナコンラチャシーマ(コラート)までは2等エアコン付きの特急列車利用。
日本企業の鉄道車両を多く利用しているタイですが、韓国企業の車両も少なからずいれています。最近では中国の企業の車両も。
今回利用したのは
つい先日、バンコクからウボンラーチャターニーまでの特急列車、ナコンラチャシーマ県で死者30名以上出した特急列車と同じ車両です。
古めの車両。エアコンはガンガンにきいていて寒さを感じましたが、毛布の配布がありました。所要時間は3時間30分。乗客のほぼ全てがタイ人でした。
料金は373バーツ。
【タイのナラティワート県スンガイコーロックのバー『Thawil Kanda』で飲み】
イスラム教徒が大半を占めるスンガイコーロックで1軒だけみつけたバー。この日はライブ演奏や20人以上の客がいて盛り上がっていました。
店内は広々としていて雰囲気よく
酒もビールからカクテルまで色々揃えています。
注文したのはチャンビール2本に枝豆。総額239バーツ(960円ほど)
日本から直行便んで3時間30分、かつては数多くの日本人が訪れていたビーチリゾート、楽園「グアム」。
新型肺炎蔓延後、超円安により日本人が海外に出にくい世の中、最盛期に比べて日本人が激減したグアムの実情を伝えます。

【タイのハジャイ市街地のオススメバー『Bumrur BAR GRU 』】
ハジャイ到着の晩に利用したバー。この周辺に色々なバーがありましたが、一番雰囲気がよいと感じたので入ってみることに。
内装、照明、調度品とも雰囲気良くて最高。酒はタイのビール各種+ハイネケン。カクテルは色々あります。
選曲もよく、従業員の対応も非常によく
ハジャイでオススメ出来るバーです。
ビール2杯、つまみのスナック菓子2つで
総額340バーツ(約1700円)

大東亜(太平洋)戦争中に日米の激戦地となったグアムの戦跡を巡る
動画最初は
【グアム南西部のアサン海岸-日米激戦地-グアムの戦いアメリカ軍上陸地】
グアムの中心部タモンから南に位置するアサンビーチ。ここは先の大戦下、グアムの戦いでアメリカ軍が上陸した海岸で日米の激戦地。
昭和19年(1944年)7月21日の上陸前、7月8日からアメリカ軍は沖からの艦砲射撃と空爆。グアム戦の前におこなわれたサイパンの戦いでの日本軍の抗戦を予測したうえで、第三海兵師団が上陸。
2kmほどのアサン海岸には、独立混成第48旅団の第1大隊が守備を担当。アメリカ軍上陸部隊が海岸に接近すると山砲と速射砲で砲撃を加えた。またフォンテヒルに配備されていた第10連隊砲兵大隊も砲撃を開始。
アサン海岸沿いの丘に日本軍は米軍上陸を想定して海岸線の防御陣地。セメントなどの資材不足もあり、陣地構築に苦労したが、洞窟を利用して島のあらゆる丘や尾根にハチの巣状に数百の陣地が築かれた。
グアムは海岸から内陸に少しいったところは丘、小高い山々があり、そこに日本軍が洞窟陣地を形成。実際に現地踏査して自らの目で地形を確認すると
当時の日米の戦いがわかる。
その次に訪れたのが
【日米激戦地!グアムのアガット海岸‐ガンポイント!日本軍の大砲2門】
グアム島内にある先の大戦の日米激戦地の戦跡の1つ『ガンポイント』。
昭和19年(1944年)7月21日にアサン海岸と共に米軍上陸地となったアガット海岸。アサン海岸から南に位置している。現在は太平洋戦争国立公園の1つとして整備されており、海岸沿いには旧日本軍の大砲が2門残っている。
ガンポイントはアガットの上陸海岸の中心に位置。米軍上陸当時、椰子の木が一帯に密生。石灰岩の岩盤があるが、上陸する米軍を攻撃するための日本軍陣地(偽装陣地)として使われた。
米軍が上陸前におこなった航空偵察ではこの山背一帯を単なる砂山だと見られていたが、米軍は上陸して日本軍陣地として知る事に。第77歩兵師団の数千名の米海兵隊が上陸。浅瀬の珊瑚礁の歩行は比較的容易であったが、上陸地点で日本軍の攻撃開始。米軍は数時間の間、前進を妨げられた。
海岸には日本軍の発射数毎分300発の25㎜二連対空砲と沿岸砲、トーチカが残されている。
最後は
【グアムの南太平洋戦没者慰霊公苑-慰霊訪問②慰霊碑-平和祈念塔】
グアムの中心部タモンから北進。米軍のアンダーソン空軍基地から近い距離にある南太平洋戦没者慰霊公苑。平和寺の建物の奥には平和祈念塔(慰霊塔)と慰霊碑(第18連隊、第521海軍航空隊、独立自動車第265中隊など)がある。
北側には旧日本軍の司令部壕跡がある。
この辺りはグアムの戦い最後の激戦地となった場所。

司令部壕には説明書きがあり
「第31軍司令官‐小畑英良司令官中将は最後の総攻撃を下命するにあたり天皇陛下および大本営に足し、『己れの身を以て、太平洋の防波堤たらん』と決別の辞を打電し60名の将兵と共に自決した。時は1944年8月11日未明であった』と書かれている。
しかし、中部太平洋陸軍作戦の書物では60名の将兵は自決ではなく、壕が撃破され、兵員の殆どが戦死と書かれている。
壕は爆破された時の傷跡が残っており、当時の状況を物語っており、壕の近くには日本軍飲料用水槽や1人用塹壕『蛸壺』が残されている。日本軍飲料用水槽がある場所の近くに階段があるが、そこに小川が流れている。
雨期なので湿気があり、小生が到着時は曇っていたのが急に太陽が出てきて非常に蒸し暑く、蚊も多かった。
グアムは数は減ったとはいえ、日本人に人気のビーチリゾート。綺麗な海で海水浴も楽しんでほしいが、かつて日米激戦となった地、数多くの日本人に慰霊訪問してほしいと切に願っている。
グアム島北部の叉木山々麓は日本守備軍(小畑中将軍司令官)玉砕の地。この地に太平洋戦域に散華した50万余柱の英霊を合祀する慰霊塔と平和を祈る家(平和寺)を建設し、諸霊位を慰め、世界の恒久平和を祈念している。
昭和41年に(財)南太平洋戦没者慰霊協会設立。同年、グアム島ジーコ村にグアム平和慰霊公苑の日米合同建設起工式がおこなわれた。昭和45年に太平洋全域における戦没者を合祀する表徴的慰霊塔及び納骨堂が完成し、除幕式がおこなわれた。
昭和57年に苑内に我無山平和寺が完成。僧侶を派遣常駐させていたが、平成10年4月に僧侶常駐廃止。
苑内には平和寺、慰霊塔、慰霊碑のほか、旧日本軍司令部壕や飲料用水槽が残されている。
※NIKONのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
久しぶりのパッポン通り!
通り沿いに色々なものが出店で売られています。
ブランド物は殆どが偽物。

気にいったものがあれば購入してみるといいでしょう。
言い値は高いので必ず値切り交渉してください。
以前と比べて色々な点で変化ありました。
客も少なくなり寂しいものです。
【鹿児島県‐日本本土最南端の佐多岬】
鹿屋市から大隅半島を60キロ南下して九州最南端で日本本土最南端の佐多岬に。
佐多岬は公園として整備されており散策がお薦め。
日本本土最北端の宗谷岬、最東端の納沙布岬は既に訪問済み。最西端は佐世保市にありますが、訪問し忘れたので次回訪問。
佐多岬の緯度は北緯31度。
北緯31度はカイロや上海、ニューオーリンズと一緒の緯度
佐多岬からは薩摩半島の標高924ⅿの火山「開聞岳(薩摩富士)」を綺麗に見る事が出来ます。知覧や鹿屋から出撃した特攻隊員も開聞岳を見て沖縄方面に。荘厳さがある山。