国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

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【世界遺産】チェコ・チェスキークルムロフ市街地・歴史地区!

1302年、クルマウ(チェスキー・クルムロフ)の町と城は、ボヘミアの有力貴族であったローゼンベルク(ロジェンベルク)家のものとなる。14世紀以降、町では手工業と交易が盛んになった。16世紀、特に領主ウィルヘルム・フォン・ローゼンベルクの時代には、ルネサンス様式の建物が数多く建築され、町は色彩鮮やかな華麗なるルネサンス都市へと変貌を遂げた。

しかし、町の華やかな装いとは裏腹に、ローゼンベルク家の財政は次第に破綻を来たすようになり、ついに借金の抵当に入れられたクルマウ(チェスキー・クルムロフ)は、1601年、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の手に渡る。その後、1622年、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世は、当時、神聖ローマ帝国全土を巻き込んでいた三十年戦争において、財政面を含む貢献のあったエッゲンベルク家にこの町を与えた。この時代に、町にはバロック様式の建築物が加わった。

1719年、エッゲンベルク家は断絶し、有力貴族のシュヴァルツェンベルク家が町と城を相続する。領主ヨーゼフ・アダム・シュヴァルツェンベルクの時代に、城はバロック様式に改築され、後に有名となる城内劇場(バロック劇場)が完成した。

クルマウ(チェスキー・クルムロフ)では、その地理的条件もあり、ドイツ語が有力な時代が長かったが、支配階級のドイツ系住民と被支配階級のチェコ系住民は生まれたときから決まった民族間のヒエラルキーのもとで共存しており、19世紀に至るまでは、民族意識が政治的緊張をもたらすことはなかった。
19世紀に入り、シュヴァルツェンベルク家は、新たに英国風のネオ・ゴシック様式に改築されたフルボカー城に居城を移した。また、産業革命期にあって、この町は、主要な鉄道網から外れ、大規模な工業化もみられなかった。町は緩やかな衰退へと向かう。

1867年、クルマウ(チェスキー・クルムロフ)は、オーストリア=ハンガリー帝国の一部となった。次第に、民族主義が、帝国全土を揺るがすようになり、クルマウ(チェスキー・クルムロフ)もその例外ではなかった。神聖ローマ帝国の時代から続くドイツ系住民とチェコ系住民の共存の時代はこうして幕を閉じた。 学校教育や図書館などが、次第にドイツ系とチェコ系に分離するようになった。1910年時点における町の人口は8,662人であったが、そのうち、ドイツ系が7,367人、チェコ系が1,295人であった。

第一次世界大戦の敗戦に伴い、オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊すると、町はチェコスロバキア領となり、1920年4月、チェコスロバキア内務省令により、町の公式名称もクルマウからチェスキー・クルムロフとなった。
戦間期のチェコスロバキアでは、民族自決が認められず、少数民族の立場におかれたドイツ系住民(約300万人)の政治的不満が高まっていたが、1938年、ナチス・ドイツは、これに乗じ、チェコスロバキア領内のドイツ系住民の権利が侵害されているとして、いわゆるズデーテン地方の併合を強行した。これにより、チェスキー・クルムロフを含むボヘミアのドイツ語圏地域はドイツ領となった。チェスキークルムロフにはナチスドイツの軍の基地がおかれドイツ人兵士たちによって多くの建造物が破壊された。

【バリ島名物】インドネシア・バリ島・ケチャックダンス(ケチャ)

ケチャ (kecak) とは、インドネシアのバリ島で行われる男声合唱。または呪術的な踊り(サンヒャン)にともなう舞踏劇です。
バリ島の伝統的な舞踏、サンヒャンは、疫病が蔓延したときなどに、初潮前の童女を媒体にして祖先の霊を招き、加護と助言を求めるものであった。これに対して、現在のケチャは、『ラーマーヤナ』の物語を題材とする舞踏劇の様式で演じられている。こうしたケチャの「芸能化」がすすめられたのは、1920年代後半から1930年代にかけて、バリ人と共にバリ芸術を発展開花させたドイツ人画家、ヴァルター・シュピースの提案によるものであった。シュピースは、1920年代後半からウブド村の領主チョコルド・グデ・ラコー・スカワティに招かれてウブドに在住した画家・音楽家であり、現地の芸術家と親交を結びながらケチャやバリ絵画などの「バリ芸術」を形作っていました。

ある著名なバリ人舞踏家がサンヒャン・ドゥダリの男声合唱にバリス舞踊の動きを組み込ませたのを見たシュピースは、ガムランの代わりにこの男声合唱のみを使って『ラーマーヤナ』のストーリーを組み込んだ観賞用の舞踊を考案するよう提案したのです。
シュピースの提案を受けたプドゥル村の人びとが、1933年にボナ村の人びととともに、総勢160名で試みたのが最初のケチャであるとされる。その2年後の1935年にボナ村の人びとがさらに発展させたケチャを上演し、これが今のケチャの原型になった。

こうして、その後、1950~60年代頃には、一般に観光向けに上演される舞踏劇としての様式が確立した。今日、最も盛んなプリアタン村でケチャが始まったのも1966年である。さらに、ケチャはバリ島のみならず世界に広がり、日本では芸能山城組が上演している。山城組は1972年にバリ人以外で世界で初めて上演し、今では、毎年新宿三井ビル55ひろばにて、ケチャまつりが行なわれている。他のバリ舞踏でも言われることであるが、ケチャは各地の舞踏団により出演人数・技能水準が大きく異なる。

なお、数人で行われるコミカルな合唱も、広く一般に「ケチャ」と呼ばれている。
上半身裸で腰布を巻いた数十人(百人を超えることもある)の男性が、幾重にも重なった円陣を組んであぐら座りをする。

ホワイトタイガー!「伊豆アニマルキングダム」で餌やり体験

WEBの旅メディア「たびねす」に旅記事寄稿!
今回のお題は目玉はホワイトタイガー!「伊豆アニマルキングダム」で餌やり体験

静岡県伊豆半島の観光名所の1つである「伊豆アニマルキングダム」。稲取温泉で有名な東伊豆町稲取にあり、遊園地やパターゴルフ場を併設した総合型レジャー施設です。飼育する動物は猛獣から草食動物まで66種類、約600匹。ここの最大の目玉はベンガルトラの白変種であるホワイトタイガーです。ホワイトタイガーをはじめとした動物達に餌やり体験が出来る事も魅力の1つです。

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【日本の?】ラオス・首都のビエンチャン市街地!

日本人には馴染みが薄い国ラオス。
ラオスは、かつてフランスの植民地だった時代がありますが、
先の大戦ではフランスのヴィシー政権と協定を結んだ日本が占領。(仏印進駐)

ビエンチャンの市域を合わせた人口は70万人程。
タイのバンコクと比べると静かではあるものの
他のアジア諸国と同じように発展をし続けている都市です。

【世界で2番目に小さい国家】モナコ公国!F1モナコグランプリコース、カジノ!

モナコ公国.
モナコは、西ヨーロッパの立憲君主制国家。都市国家であり、首都モナコ市がそのまま全領土となる、世界で2番目に小さな国家である。
国連加盟国の中では世界最小。

フランスの地中海沿岸地方コート・ダジュールのイタリアとの国境近くに位置すし、カジノやF1モナコグランプリ、WRC・ラリー・モンテカルロが開催されることで知られている。

人口は36000人程。
日本人ではサッカーの中田英寿氏が市民権を得て邸宅を構えて居住、他にテニスの伊達公子氏や著名な日本人が複数居住。

タックスへブンの国としても知られ、個人居住者に対して所得税を課していない。所得税がないため、モナコ国外からほとんどの収入を得ている富裕者の多くがこの国にやってくる。F1ドライバーなどの有名人も多いが、その多くは実業家である。

日本庭園が市街地にあるが是非とも訪れていただきたい場所の1つである。ビーチもあり、海水浴を楽しむのもよいだろう。
お金に余裕のある方はカジノに。国内外の著名人に出会える可能性があります。