【日本統治時代の痕跡】日本統治時代に台中にて日本人がやっていた眼科である宮原眼科。統治時代の建物はそのまま残っています。(補修はしている)台中の駅近くにあります。
現在は、人気菓子店である日出が営業。隣は、系列のアイスクリーム屋である第四信用合作社があります。ここのアイスクリーム屋でアイスを食してみました。台湾で獲れるマンゴー、日本からの巨峰味です。トッピングは3つまで選べます。
費用は、185元。日本円で600円程です。
宮原眼科にちなみ、宮原の名前が入ってます。
【日本統治時代の痕跡】日本統治時代に台中にて日本人がやっていた眼科である宮原眼科。統治時代の建物はそのまま残っています。(補修はしている)台中の駅近くにあります。
現在は、人気菓子店である日出が営業。隣は、系列のアイスクリーム屋である第四信用合作社があります。ここのアイスクリーム屋でアイスを食してみました。台湾で獲れるマンゴー、日本からの巨峰味です。トッピングは3つまで選べます。
費用は、185元。日本円で600円程です。
宮原眼科にちなみ、宮原の名前が入ってます。
台湾東海岸北部の中心都市花蓮。早速、夜の街を散策。福町夜市や東大門の自強夜市を訪問。ハナ金なので、かなり多くの人々がおりました。原住民であるアミ族の方々も多く見かけました。
花蓮で最大の夜市は東大門夜市です。福町や自強夜市が重なり、規模は大きいです。多くの飲食店、土産物屋、射的などが楽しめる露店が軒を連ねています。
花蓮は、人口33万人の花蓮県の中心都市です。(花蓮市自体は人口10500人)
台湾東海岸北部の都市で、沖縄の与那国町と姉妹都市提携を結んでいます。花蓮市内には、日本統治時代の名残が残り、近隣は風光明媚な場所が多いです。
【台湾で尊敬される日本人の1人】台南の飛虎将軍廟
民間信仰の廟で日本軍人が神として祀られている廟です。日本の絶対国防圏であるサイパン島等のマリアナ諸島陥落後に、米軍による本土空襲が日に日に増しました。
日本統治の台湾においても、アメリカによる空爆が支那の遂川基地からの新竹空襲などがありましたが、本格的な空爆は、フィリピンの戦いのために第38任務部隊の艦上機が来襲した昭和19年10月12日に始まりました。このときに台湾沖航空戦が展開されています。
台湾では台南航空隊と高雄航空隊が活躍。
アメリカによるフィリピン・ルソン島占領後は陸上機も頻繁に来襲し、屏東や虎尾の製糖アルコール生成工場、高雄港、岡山航空廠を目標にしました。
昭和19年10月にアメリカによる台湾空襲が本格化する中、米軍との空中戦による墜落などで家屋への被害も少なくなかったのです。
そして、ここで祀られている飛虎将軍こと杉浦茂峰兵曹長21歳の飛行機が米軍機に迎撃するために出撃するも、攻撃をかわせず、被弾。杉浦兵曹長は、パラシュートで脱出することも可能でしたが、そのまま戦闘機を操縦士し、家屋のない田園地帯に墜落。
これは、住民を犠牲にすることを避けるために、杉浦兵曹長が自ら命を捧げたのです。
その後、現場となった付近の住民の枕元に、杉浦兵曹長の霊が現れるようになったために(夢でみる等)、台湾の住民が彼の献身をたたえる廟を1971年につくったのです。
台湾といえば夜市。(アジア各国ではこういった夜市があります。タイの夜市も好きです。)台北で最大の市場である士林市場での夜市。
数多くの観光客が訪れる市場です。
歴史は古く日本統治時代の1909年に開かれた市場です。
士林市場は、1909年開場の施設の老朽化による衛生上・安全上の問題があったため、台北市政府は大規模改修をするため、2002年10月14日に同市場を閉鎖し、代替施設として剣潭駅前に「士林臨時市場」が設置されました。
臨時市場は2002年11月25日に営業開始し、士林市場にあった飲食店の多くが臨時市場に移転しました。
市場の中には、日本の縁日にあるような射的などのゲームがありますし、服飾やカバン、雑貨などの土産物店。南国特有の果物が売られている果物店、台湾や大陸の料理が食べれる店が多く軒を連ねています。
【台湾版新幹線】台湾の新幹線乗車。THSR。2007年1月5日に開業した台湾新幹線。北部の台北から南部の高雄まで結んでいます。路線総距離は348.5キロ。
電車男ではないですが、電車は好きなほうで、電車マニアになりかけている自分ですW 今までに世界各地で電車を利用。高速列車は、フランスのTGV、ドイツのICE、イギリスとフランスのドーバー海峡を結ぶユーロスター、イタリアのフレッチャロッサ、ポルトガルのアルファヴェンドゥラール、スウェーデンのX2000等を利用してきました。
技術採用にあたり、欧州勢と日本勢の争いがあり、国民党と民進党の政治問題までに発展したものです。民進党が日本案を支持。結局、民進党政権下に日本の技術が採用されました。川崎重工、日本車両、日立が製造に関わっている。
日本の700系の改良型である700T型。中も日本の新幹線と変わりませんでした。
世界中を周り、バイクが多い都市はベトナムのホーチミンと思いますが、台湾の台北もバイク天国です。台湾は経済発展してもバイク(スクーター)人気です。
理由としては、
1.渋滞回避
2.車通勤だととめるとこがない(駐車料金高い)
3.ガソリン代は車に比べかからない。
4.MRTは通勤ラッシュ時に混雑する
等です。
花蓮にある日本統治時代の痕跡】花蓮市内には日本統治時代の関連物がいくつかありますが、そのうちの一つがこの松園別館です。戦中昭和17年(1942年)に日本軍により軍事指揮センターと高級将校の休憩所とし造られました。
場所は花蓮の港と海を一望できる小高い丘にあります。神風特別攻撃隊の出征前に攻撃隊はここに集い、天皇陛下よりの御前酒がふるまわれました。
また、敗戦後、日本人将校がここで自決しました。その後、ここを訪れた人々が将校の亡霊をみたという目撃証言が相次ぎました。
しばらく放置されていたのですが、2002年に花蓮歴史建築物として登録され、2006年より一般公開されています。
今では、建物内部で芸術作品も展示されており、多くの台湾人が訪問する場所となっており、若者達のデートスポットにもなっています。
花蓮からバスで1時間40分ほどかけて太魯閣という台湾を代表する景勝地・国家公園を訪問。断崖絶壁という言葉が正に似合う場所です。
険しい断崖は遥か昔に、珊瑚礁の海底が隆起してできたもので、その石質は大理石です。太魯閣から天祥にかけての間にハイキングが出来る道があります。
花蓮を訪れたのであれば、必ず訪れるべき名所です。この後の投稿で素晴らしい眺望をアップしていきますが、世界遺産としてもおかしくないです。
台湾は、1971年に国連を脱退しているので、残念ながらユネスコ(国際連合教育科学文化機関)による世界遺産認定を受けることが出来ません。
台湾が国連を脱退してなければ、必ず世界遺産に認定されたと思います。海外63か国、世界各地の名所を訪れ、世界遺産も数多く見てきた私ですがそう思います。
ちなみに、奥地の天祥には、かつての台湾総督・佐久間左馬太を祭神とした佐久間神社がありましたが、戦後、壊されました。
【日本統治時代に建てられた石造りの建物】人気の観光名所となっている九ふん。ここは、1893年に金鉱が見つかり、日本統治時代にはアジアのゴールドタウンと呼ばれた町です。
統治時代に、藤田組によりその最盛期を迎え、石造りの家などが雰囲気をかもし出してます。九份の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られたものです。京都にも似たようなどこか落ち着く雰囲気があります。
【これが台湾の茶房!】現地実録新動画アップ!お題は、台湾・新北市・九份の暗街茶房で台湾茶満喫!Taiwanese tea in Chiufen in Taiwan
台湾はお茶を産する事でも有名です。台北からの人気観光名所である九ふん。九ふんには台湾でとれるお茶を出す、茶屋が複数ありますので、九ふん訪問時には、台湾の内陸部、高山等でとれるお茶を楽しむとよいでしょう。
2時間程滞在しましたが、お茶も美味しく雰囲気もよかったです。
日本では、西洋式のカフェが蔓延(いや世界的に)していますが、昔ながらの雰囲気の茶房もよいですね。
【日本統治時代に建てられた石造りの建物】人気の観光名所となっている九ふん。ここは、1893年に金鉱が見つかり、日本統治時代にはアジアのゴールドタウンと呼ばれた町です。
統治時代に、藤田組によりその最盛期を迎え、石造りの家などが雰囲気をかもし出してます。九份の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られたものです。京都にも似たようなどこか落ち着く雰囲気があります。