国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

国際

風格ある浜松城駅前交番

徳川家康が17年居住した浜松城。浜松城前交番です!お城風の立派な建物です!お巡りさんが、侍の格好をし、刀、火縄銃等で武装していたら面白いのですが。いや、昔の奉行所のように与力、同心、岡っ引きの格好、武装でも笑笑(^ ^)
全国のお城の近くには、昔ながらの建築様式の交番はありますが、このように2層の交番は非常に珍しいです。


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リトアニア・ヴィリニュス国会バリケード

バルト3国の中の1か国・一番南に位置する リトアニア

リトアニアは首都のビリニュス、古都のカウナス、トラカイ等を訪問しました。

今回のテーマは

アキーラさん訪問!リトアニア・ヴィリニュス国会バリケード

 

旧ソ連部隊とリトアニア国民の戦いの地!非武装抗議!共産社会主義の真実!!

第二次世界大戦前、リトアニアは独立国であったものの、1­940年にラトビア、エストニアと共にソ連に併合された。戦後、独立運動は抑圧されて­きたものの、1980年代後半からゴルバチョフによって開始されたペレストロイカ、グ­ラスノスチのもと、独立回復を求める国民の声が高まった。

1988年6月には民族戦線­であるサユディスが結成され、1990年3月にはリトアニア共和国がソ連からの独立を­宣言するに到った。こうした動きは連邦維持を主張するソ連共産党の保守派や軍部を刺激­した。ソ連末期の1991年1月、独立運動が高まるリトアニア・ソビエト社会主義共和­国にソ連軍が侵攻し、独立運動を弾圧。そんな中、この国会議事堂前では市民がこれに対­抗するために、数万人の市民はコンクリートのバリケードを造り、議会とテレビ塔を死守­するために集結。

バリケードを築き、非武装での抗議をした。被害者も出た。当時の事を思い、その時の情­景を思い浮かべてみた。


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ウクライナ・ロシアのクリミア介入(侵攻)に関して!

ロシア軍と疑われる武装勢力がウクライナ南部クリミア自治共和国での実効支配を確立し、同自治共和国では16日にロシア編入の是非を問う住民投票が行われる予定です。

この地域は、もともとロシア系住民が多い地域であります。ロシア系住民が多く、ウクライナ国籍がありながら、ロシアへの忠誠を尽くしている人々が多いのが実情です。そして、クリミアをロシア編入へと導こうと躍起になっております。クリミアにおいてのウクライナ系は少数系で、選挙になった場合、ロシア系の多い地域ゆえ、ロシアに有利になる選挙結果になるものと思われます。

自治共和国のアクシチョノフ大統領によると、80%以上がロシア編入に賛成するだろうと予測しております。

これは日本も参考にしなければならない点があります。日本は少子高齢化社会の対応策として、外国からの移民受け入れ問題を議論、検討している政治家がおりますが、これは将来、平和な日本が平和でなくなる可能性を生むものでります。

これは在日韓国・朝鮮人の人々が外国人参政権を得るような事があれば、日本の政治口出し、内政干渉を生み大変危険です。

ただでさえ、日本に帰化した人々であれば、日本の参政権は与えられており、半島や大陸に忠誠心を尽くしながらも、それらに有利になるような政治家を支持、擁立。

こういった住民投票においては、元祖国へ有利になるような投票、今回の問題と同じように対馬を朝鮮半島へ編入!沖縄をシナ(中国)へ編入!という事態が起きかねません。

日本人はこれらロシアのクリミア介入問題を他人事だとは思わず、将来、日本でも起きかねない事だと認識し、移民受け入れ反対、外国人参政権反対、帰化の厳正化、スパイ摘発していかねばりません。

欧米はもちろん、今回のロシアの行動に関しては、抗議をしております。日本の安部政権は明確な意見をだしておりませんが、北方領土問題を抱えている中、冷静に見守るのも一つの手であると思います。北方領土がロシアから取り戻せる機会が必ず来ると私は思います。

上手い外交戦術が必要とされていると思います。

しかし、ロシアに関して言及させていただくと西欧や米国だけでなく、古来よりロシアの圧政に苦しんできた東欧諸国やバルト3国、旧ソ連構成国においても非常に対露感情は悪いと、平成24年(2012年)4か月に及ぶ欧州視察旅行においての現地調査で分かりました。

西欧だけでなく、東欧、バルト3国はほぼ全ての国を訪問しました。

そのうち、

平成24年(2012)6月に訪問したバルト3国の一つであるリトアニアを訪問した際に、KGB博物館を訪問しました。

バルト3国は全て行きましたが、ポーランドに行く前に寄った国がリトアニアです。

バルト3国はかつて旧ソ連に支配された国々です。

昭和の終わりに独立運動を展開し、ソ連崩壊と共に3国は独立しました。

それに至るまで、旧ソから独立するための運動が各地でおきました。

リトアニアでは首都のヴィリニュス以外にも古都のカウナス等にも訪問しました。

首都のヴィリニュスにおいては、旧ソ時代にしかれたKGBの博物館を訪問しました。

中は撮影禁止なので、撮影出来ませんでしたが、共産社会主義の嘘と矛盾、残虐性に関して知る事が出来ました。

外には子供たちが描いた絵が飾られていました。

子供たちの絵を観察!
KGBのような秘密警察が各地にちらばり、監視、密告、逮捕、監禁、処刑は当たり前。

※KGBとはアメリカとソ連が争っていた東西冷戦時代にはCIAと1,2を争う組織と言われていましたが、ソ連崩壊と同時にロシア連邦保安庁に権限を移したそうだ。ソ連崩壊の1991年まで1954年から約40年近く存在したソビエト社会主義共和国連邦の情報機関、秘密警察。※

一応、ロシア人とも多くの交流をしてきた私ですが。ロシア人女性との交流

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イタリアのフィレンツェにて(平成24年8月訪問時撮影)

日本留学経験があり、日本語が堪能な彼女達

 

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 現地取材、直接交流から多くの事が分かります

 


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フィリピン・モンテンルパの日本人墓地(慰霊碑)&ニュービリビッド刑務所

先月、戦後、フィリピンのルパング島のジャングルで30年間近く、戦っていた不屈の侍・小野田寛郎さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。

平成23年(2011年)7月にフィリピンのマニラを訪問しました。3泊4日の滞在をし、マニラ+近郊のモンテンルパを訪れました。

マニラ郊外のモンテンルパは渡辺はまこが歌ったモンテンルパの夜と呼ばれる歌が過去に流行ったが、戦後、GHQにより戦犯の汚名をきせられた日本兵がこの近くにあるニュービリビッド刑務所で望郷の詞を作った場所であります。
下記動画をご覧ください。
戦後、多くの旧日本兵が戦勝国である連合国に刑務所に入れられました。

連合国による戦勝国史観により、処刑されましたが、そこには公平性はなかったのです。

墓地内には日の丸が

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入口付近

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そこに歌手の渡辺はまこが刑務所に慰問しました。それには多くの日本人が感動しました。その後、特赦で多くの日本人は帰国する事が出来たのです。
祖国に帰れず、連合国により将校は処刑されました。そんな英霊の方々に感謝の意を表するとともに合掌しました。

ニュービリビッド刑務所

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6月12日、アギナルドを大統領として独立宣言がなされた(第一共和国)。米西戦争で独立を果たしたのもつかの間、1898年のパリ条約によりフィリピンの統治権がアメリカ合衆国に渡る。

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1899年1月21日にフィリピン共和国がフィリピン人によって建国された。フィリピン共和国の建国を認めないアメリカ合衆国による植民地化にフィリピンは猛烈に抵抗したが、米比戦争で60万人のフィリピン人が無残に虐殺され、抵抗が鎮圧される。アギナルドは米軍に逮捕され、第一共和国は崩壊し、フィリピンは旧スペイン植民地のグアム、プエルトリコと共にアメリカ合衆国の主権の下に置かれた。そして太平洋戦争が勃発すると、アジアに旋風を起こしていた日本軍がフィリピンにも上陸、アメリカ軍主体の連合国軍と戦い、わずか150日で駆逐sた。以後、1942年~1945年の終戦まで日本の占領下に置かれ、連合国との激しい戦争がおこなわれる。

合掌

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フィリピンは連合国側につく抗日組織、日本側につく親日組織と分かれる。

GHQにより裁かれ処刑された英霊の方々

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フィリピンでは日本車が大人気です。
多額のODA資金援助、技術援助を受ける。旧宗主国のアメリカとは親密な関係にあり、親米の国である。日も貿易、経済共に密接な関係にあり、きっても切れない仲である。人的交流も盛んで、日本人は安土桃山から江戸時代初期、多くの日本人がフィリピンに渡りマニラ等に居住。
(最盛期には3000人ほど居住)、1910年代には農園経営の為の日本人労働者が南部のダバオに大量移民し、1916年には日本人人口が1万人を超える日本人街が形成された。

ホテル近くで待っていたタクシー運転手と交渉をし、単独乗り込みました

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墓地周辺

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皆さんにも是非とも、マニラを訪れる際には、訪れていただきたいと思います。タクシーを利用する際は、恐喝や詐欺に遭う可能性もありますので注意が必要です。

マニラから高速を使い1時間程で到着します。


祖国のために戦われた日本兵の方々を尊敬するというフィリピン人


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マケドニア・スコピエ・マケドニア料理

平成24年(2012年)7月に旧ユーゴスラビアの1国であるマケドニアの首都のスコピエを訪問しました。ここはコソボ紛争でも話題になったコソボ自治州からわずか数十キロの距離に位置しております。
現地ではマケドニア料理を堪能

今回のテーマは
アキーラさん堪能!マケドニア・スコピエ・マケドニア料理

前菜のマケドニアのサラダ羊のチーズ(癖がある)、豚肉のコンソメスープパン。
メイン料理はセロスコ・メソ。肉と野菜、きのこ類にチーズをのせて、オーブンで焼いた料理。これは正直美味しかった。そして締めのデザート。
いろいろ頼んだ

通称マケドニアは、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和国。前身はユーゴスラビア連邦の構成国の1つで、南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビアおよびコソボと、四方を外国に囲まれた内陸国である。
これら周りの国との関係は決して良好ではない。特にギリシャに関してはマケドニアという国名の問題で対立している。
羊のチーズは酸っぱい

マケドニア共和国は、地理的にはマケドニアと呼ばれてきた地域の北西部にあり、マケドニア共和国はマケドニア地域全体の約4割を占めている。
残りの約5割はギリシャに、約1割はブルガリアに属している。また歴史上、マケドニア共和国の多数民族はマケドニア人と自称・他称されるが、彼らはスラヴ語の話し手で南スラヴ人の一派であり、ギリシャ系の言語を話していたと考えられる古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はない。これらの理由から、ギリシャがマケドニアという国名を拒否し、同国との間で激しい国名論争(マケドニア呼称問題)が生じている。

メイン料理

マケドニアからギリシャに移動した時に、マケドニアから移動してきたと言ったら、マケドニアという国名を我々は認めていないと言っていた。


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タイ・バンコク・カオサン通り!(バックパッカーの聖地)

今年4月からの世界1周旅行再開において、最初に訪問する国はタイです。
親日国タイバンコクカオサン通り を散策。
かつて、タイのバンコクには1年3か月居住していた自分。たまにカオサン通りに遊びにきていました。
今回のテーマは
アキーラさんお薦め!タイ・バンコク・カオサン通り

ここはバックパッカーの聖地として有名な場所である。ここにはパックパッカー向けの多くの安宿、レストラン、お店、マッサージ­屋、旅行代理店等がある。出店も多く、ここを拠点にタイの多くの場所を訪れる事が出来ます。
夜のカオサン通り散策

外国人バックパッカーの溜まり場として知られる。
ちなみに「カオサン」とはタイ語で「白米」の意味だが、元々はこの周辺に米問屋が多かったことに由来する。
タイガービール堪能

長さ300メートルほどの通りにはバックパッカー向けのホテルやゲストハウスが軒を連ね、レストラン、インターネットカフェ、旅行代理店、古本屋、ランドリー、衣料品店、土産物店等、旅行者に必要な店がずらりと並ぶ。 生絞りのオレンジやタイ風ミルクティーなどの飲料や果物、パッタイ、ガイヤーン、ロティ、ケバブ、食用の虫などを売る屋台が多い。
多くの人で賑わう


中には海賊版のCDやDVDを売る店や国際運転免許証や国際学生証など身分証明書の偽造を引き受ける怪しげな店やタトゥーやパーマ、タイマッサージをする店なども存在し、混沌とした情景を醸し出している。セブンイレブンやファミリーマートなどのコンビニやマクドナルドやバーガーキング、サブウェイなどのファーストフード店、スターバックスなどの喫茶店なども、通り沿いやその周辺に存在する。現在はカオサンロードを中心としてバックパッカー向けの施設を提供する地域が拡大傾向にある。

タイ料理堪能

タイのバンコクはちなみに、東南アジアの旅行のハブとして重要な地位を占めている。これは人によって異なるが、東南アジア周遊旅行の際は、バンコクのカオサン通りを拠点に、旅行している人々は多い。
きな臭い勧誘

タイのバンコク発で他の東南アジア諸国への格安航空券は手に入りやすく、多くの場所へ飛行機が就航しているために、便利な場所である。
カオサン通りは店も遅くまでやっているので、遅くまで飲んだり食事したりできる。


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