【タイのハジャイ(ハートヤイ)市街地のスズキのキャリーのソンテウ】
タイ各地を周っていると乗り合いタクシー(バス)『ソンテウ』をいたるとこで見かけます。小生は各地で利用してきましたが、車種で多いのがトヨタのハイラックスや日野自動車のDMAX、ダイハツのハイゼット。
ハジャイでは上記車種ではなく、殆どのソンテウがスズキのキャリーです。7年ぶりのハジャイですが、前回よりもネオン管やウーファーつけたり、ホイール変えたりする改造カスタム車が多くなりました。
【タイのハジャイ(ハートヤイ)市街地のスズキのキャリーのソンテウ】
タイ各地を周っていると乗り合いタクシー(バス)『ソンテウ』をいたるとこで見かけます。小生は各地で利用してきましたが、車種で多いのがトヨタのハイラックスや日野自動車のDMAX、ダイハツのハイゼット。
ハジャイでは上記車種ではなく、殆どのソンテウがスズキのキャリーです。7年ぶりのハジャイですが、前回よりもネオン管やウーファーつけたり、ホイール変えたりする改造カスタム車が多くなりました。
コロナ禍でタニヤ通りの店が閉店する店が多くありました。
日本人が多く居住するアソークとプロンポンの間、ソイ23から小道を入っていったところにあるヤングプレイスに日本人をターゲットに移す店や新規出店をする店が増え、現在ではタニヤ通りと共にカラオケラウンジ、バーが多くある場所になっています。

トンサラの日本人経営の日本食屋『JAPAN cafe』。
隣の座禅は定休日でしたが、JAPAN cafeのほうはやっていたので、タオ島行きのボート出発前の待ち時間に利用しました。
色々な種類の日本食を提供するお店ですが、味噌ラーメンを注文。チャーシュー追加して300バーツ➕コーラ30バーツ
総額330バーツ(約1650円)。
麺は中太ちぢれ麺。味噌スープの味も濃厚。チャーシューは大きくて美味。
満足度の高いラーメンでした。
今回はUAE(アラブ首長国連邦)のドバイ。
ドバイマリーナとブルジュハリファ、ドバイファウンテンの「音と水と光のショー」の動画。
NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
ミャンマー国境、モエイ川沿いにある「リムモエイ市場」。のんびりとした雰囲気が漂う縦長の建物内にある市場。市場内には服飾品、菓子、宝飾類、電化製品などか売られている。外国人観光客が殆どこないメーソートなので地元民御用達、ローカル感漂う市場である。
この市場の近くに川があるのだが、日本語に直訳すると「有刺鉄線国境市場」という名称のもう一つの市場がある。有刺鉄線、柵の向こう側はミャンマー。ミャンマー側に露店が建ち並び、食料品や菓子、お酒、乾物、煙草などが売られている。柵の向こう側がミャンマーなので柵を越えることは出来ないが、柵越しにお金と商品の受け渡しをする、他では見たことがない、正に国境を越えた取引をする市場である。

タイのバンコク市内。BTSアソーク駅からナナプラザがあるナナ駅までスクンビット通り(奇数側)を散策。夜は多くの露店がありにぎわいます。途中、テーメーカフェを通りソイ3/1のアラブ人街へ。中東や南アジア‐イスラム系の人々が多くいる区画。


ボスニアヘルツェゴビナの首都サラエボ。
サラエヴォの町はディナール山脈。
濃厚な森林に覆われた丘陵地と5つの山に囲まれています。想像以上に美しい都市。
ここから数キロの距離に
山の斜面にスルプスカ共和国(セルビア人共和国)との境界線があります。
ボスニアヘルツェゴビナ紛争時はセルビア勢力に包囲され、ボシュニャク人は攻撃を受けていました。
※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
タイのチェンマイから長距離VIPバスを利用してバンコクに移動。 所用時間は10時間ほど。朝食と昼食の提供があり、座席は大きめで後ろに下げれるので昼寝が気持ちかったです。 料金は1019バーツ(約5100円)でほぼ満員状態でした。
第一次世界大戦時に日英同盟を結んでいた日本は連合国側として参戦。敗戦国となったドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国。
ドイツの租借地であった青島で捕虜となった日独戦ドイツ兵捕虜4715名のうち、徳島県旧板東町(現鳴門市)の坂東俘虜収容所は約1000名を収容。期間は1917年-1920年の3年弱。
所長は会津藩士の子息として生まれた松江豊寿中佐(後の大佐⇒少将)が所長を務め、捕虜に対する公正で人道的かつ寛大で友好的な処置を行ったとしてドイツ国内、世界的な評価が高かった。
捕虜をある程度自由に活動させ、ドイツ人捕虜と日本人との交流は、その後の日独関係の有効に貢献。
1920年4月1日に収容所は閉鎖され、陸軍の演習所として使われた。
戦後は、うち半分残っていた収容所建物は引き揚げ者の住宅として使用され、居住した1人に元プロ野球選手の板東英二氏がいる。
1972年に開館したドイツ館。現在ある建物は1993年竣工の2代目。館内には当時の様子を知る事が出来る貴重な資料や写真、物品などが展示されている。

ドイツ兵捕虜の子孫が日本に来て、板東の人々と交流し、日独の友好を深めている。
俘虜収容所跡地はドイツ村公園として整備され、
当時の収容所の基礎や給水塔跡、敷地内にあった二つの池や捕虜の慰霊碑が残されている。
2006年公開の映画「バルトの楽園」で映画化もされた。