国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

ムンバイ

インド・チェンナイ・ジョージタウン(旧市街バザール)

インド第4の都市であるチェンナイ。インド4大都市の一つで1996年に植民地時代の名称マドラスからチェンナイに改称。インドで4番目に大きな都市です。人口は468万人です。
タミルナード州の州都であり、政治経済のの中心地であり、長い歴史を誇る都市です。
イギリス支配時に、交易の地として栄え、現在では南インドの中心的存在をになっています。
諸外国の領事館、商社、銀行などもチェンナイに支店をもうけています。
映画の都としても有名で、市内西部に撮影所等が密集し、コリウッドと呼ばれるタミル映画が数多く製作されています。

インドのムンバイにタイのバンコク経由で到着。ムンバイ→ゴア→コーチン→ムナール→チェンナイ→バラナシ→デリー→アーグラー→アーメダバード→ムンバイと25日間滞在。

インド・ムンバイ・ドービー・ガート(ゴート)(屋外洗濯場)ムンバイ名所!

洗濯機が出来る前、人々は洗濯を手洗いでしていました。ドービーガートは未だに残るムンバイ市内最大の屋外洗濯場です。洗濯人という職業があり、その人達が仕事で洗濯をしています。天気の良い日には、写真のように洗濯物が屋外で干されています。ムンバイ最大だけあり、規模は大きく、色とりどりの洗濯物がはためいている姿は壮観です。

場所は、マハ-ラクシュミ-駅近くにありますが、電車かタクシーで行くとよいでしょう。作業場の中に入ると法外な額を請求される可能性があるので、駅南側に架かる橋の上から観察してください。作業場に入らなければ治安上問題ありませんが、橋上では、物売りの人々からの勧誘がありますので覚悟をしてください。

海外周遊(世界一周)旅行!インド編!安全に周る秘訣?治安は?お薦めルートは?

昔から旅人を魅了してやまないインド。
酷い目に遭いインドが大嫌いになり、二度と行かないという人と楽しい思い出となりハマる人々も多くいる国です。

ムンバイ→ゴア→コーチン→ムナール→チェンナイ→バラナ­シ→デリー→アーグラー→アーメダバード→ムンバイと1か月程滞在。
インドの治安に関して!インドの治安は大丈夫?気をつけなければならない点は?

海外周遊(世界一周)旅行!ヨーロッパ(欧州)編!安全に周る秘訣?お薦めルートは?

海外周遊(世界一周)旅行!ヨーロッパ(欧州)編!安全に周る秘訣?お薦めルートは?
西欧、東欧、北欧、南欧の各国を周遊する方法。
治安やお薦めの国や場所などに関して言及

【世界遺産】インド・ムンバイ・夜のCST鉄道駅(チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅)

世界遺産!ムンバイ市内のCST駅。イギリス植民地時代1888に建てられた鉄道駅で現在もしようされている駅です。コロニアル建築(ヴェネツィア・ゴシック様式)の駅舎。元の名前は、ヴィクトリア・ターミナス駅。
インド各地でイギリス植民地時代の名称を改称する動きの中、1998年にチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(略称CST駅)と改称。美しい駅です。
朝夕は人々で駅構内は混雑します。

インド・最大の都市ムンバイの中心街!

インド最大の都市であるムンバイ。

ムンバイはインドの西海岸に面するマハーラーシュトラ州、ムンバイ市街県の都市­。同州の州都です。

もともとは英国植民地時代に名付けられたボンベイだった都市ですが、1995年、ヒンズー至上主義の極右政党シブ・セナ(SS)が主導したことにより、英­語での公式名称がボンベイ (Bombay) から、現地語(マラーティー語)での名称にもとづくムンバイへと変更されました。

ムンバイ市域人口は1,248万と世界でも有数の人口を有しています。

ムンバイ新市街として建設されたナビ­ムンバイ(新ボンベイ)やムンバイの衛星都市として発展してきたターネーなど周辺の大­都市をも含めた都市圏人口は、2011年、2,129万人であり世界第6位である。2­008年のムンバイの域内GDPは2090億ドルで、世界第29位。

ムンバイは国内随一の商業及び娯楽の中心都市であり、国全体のGDPのうち5%、工業­製品の25%、海運の40%、資本取引の70%を計上する。国際金融フローにおいては­、アジア有数の金融センターとして、インド準備銀行、ボンベイ証券取引所、インド国立­証券取引所といった官民の金融機関をはじめ、多くのインド企業の本社や多国籍企業の主­要拠点が置かれる。ビジネス機会が豊富なムンバイには、より大きな事業機会や比較的高­い生活水準を求め国内各地から多くの人が集まり、様々な宗教・文化の集積地ともなって­います。

インドのムンバイに­タイのバンコク経由で到着したあと、ムンバイ→ゴア→コーチン→ムナール→チェンナイ→バラナ­シ→デリー→アーグラー→アーメダバード→ムンバイと25日間滞在。

深夜着でも安心!ムンバイの国際空港内にある「ニランタエアポートホテル」

WEBの旅メディア「たびねす」に旅記事寄稿!
今回のお題は、深夜着でも安心!ムンバイの国際空港内にある「ニランタエアポートホテル」
インド最大の都市ムンバイ。日本からの飛行機だと夜到着になる事が多いですが、ツアー参加でない場合、深夜のタクシー移動は不安です。そんな時にお薦めのホテルがムンバイの国際空港内にある「二ランタエアポートトランジットホテル」です。
ホテルは空港内なので、空港外に出る事なくチェックインできます。4つ星ホテルで館内は豪華な造りになっており、清掃もいき届いており清潔、従業員の対応もよくお薦め出来るホテルです。

 

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喧騒溢れるインド最大の都市「ムンバイ」で訪れるべき5つの場所

WEBの旅メディアたびねすに旅記事寄稿!今回のお題は、喧騒溢れるインド最大の都市「ムンバイ」で訪れるべき5つの場所
世界第2位の人口を有する熱気に満ちた国インド。インド最大の都市であるムンバイは、人、車、バイクが非常に多く、活気に満ちています。イギリス植民地時代の名残とインド独特の雰囲気が混ざったカオスな雰囲気を感じ取る事が出来る都市です。
今回は、世界遺産の鉄道駅やリアルなインドが垣間見れる屋外洗濯場などムンバイ市内で絶対に外せない見所とムンバイ湾に浮かぶ世界遺産のエレファンタ島の石窟群をご紹介いたします。

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インド・ムンバイ・日本人慰霊碑(供養塔)!

世界の日本人墓地に慰霊訪問の活動!慰霊&合掌!100年前に3000人も日本人が住んでいたムンバイ(ボンベイ)!一人の日本人としてムンバイ(ボンベイ)市内にある日本人墓地に慰霊訪問させていただきました。明治41年(1908年)に設置され、この墓石は昭和8年(1933年)に立てられたという。「供養塔」

ムンバイは綿糸の貿易で栄えたのですが、五大商社のいくつかの商社や日本郵船が19世紀終わり、明治時代には進出し、ムンバイに支店をもうけるほどだったのです。他に大阪紡績や三重紡績なども綿花の取引きをしていました。
20世紀初めには商社の駐在員を中心に3000人近い日本人がムンバイ(ボンベイ)居住していました。
現在、ムンバイの日本人駐在員が700名程なのですが、それを考えると100年以上前に数多くの日本人が住んでいたというのが分かります。

この地で亡くなられた日本人駐在員の方々だけではなく、いわゆる「からゆき」さんと呼ばれる外国(主にアジア各地)に娼婦として出稼ぎ(実際には、貧村の出で、親に身売りされた人々も多かった。からゆきさんは、その多くが熊本の天草出身であったようである。)に来ていた複数の日本人女性、先の大戦で連合国の捕虜となり、牢獄され牢獄中に亡くなった日本人兵士の方々・英霊の方々が多くおります。
一人の日本人として慰霊訪問させていただきました。
どうぞ安らかにお眠りください。

在ムンバイ日本国総領事館や現地の日本人会により管理されています。

ちなみにムンバイには日本山妙法寺という日蓮系のお寺があります。そこの北海道出身の住職の方は在住40年近い方がおります。

【インドの急行電車】インド・アーメダバード→ムンバイ行き急行電車グジャラートエキスプレス!

【インドの急行電車】インド・アーメダバード→ムンバイ行き急行電車グジャラートエキスプレス!Gujarat express from Ahmedabad to Mumbai in India 国際ジャーナリスト大川原 明!

アーメダバードからは写真のグジャラートエクスプレスに乗り、朝7時にアーメダバード鉄道駅を出発し、16時30分。9時間30分程でムンバイ中央駅に到着。2等エアコンの車両。費用は1100円程。距離にして600キロ程です。東京⇔神戸間と同じくらいの距離です。
夜行寝台でもよかったんですが、朝早くに到着してもホテルチェックインできないんで、朝発夕方着の便に。
車両は古い車両です。席間のシートピッチがあったんで足を伸ばすことが出来ました。