国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

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【タイ・クンユアムの寺『ワット・トーペー』内の日本兵慰霊碑(タイ-ビルマ戦病没者鎮魂之碑)】

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クンユアムの中心街から4、5キロ離れた場所にある木造の本堂とビルマ様式の仏塔が美しい寺『ワット・トーペー』内にある

日本兵慰霊碑(タイ-ビルマ戦病没者鎮魂之碑)

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先の大戦下、日本軍の野営地だった場所でビルマへの進軍路だった場所に建っています。終戦間際にビルマ戦線から逃がれてくる日本兵の最初の休息地だったようです。

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1人の日本人として、焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

今後も海外慰霊活動を続けていきます。

※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ

【タイ・クンユアムのタイ日友好記念館近くの寺『ワット・ムアイトー』内の日本兵慰霊碑(ビルマ戦線将兵鎮魂之碑】

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クンユアムのタイ日友好記念館の斜め向かいにある寺『ワット・ムアイトー』。

先の大戦下、この寺院の敷地内には日本軍が建設した野戦病院がありました。

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ビルマ戦線で負傷を負った多くの日本兵がが運ばれ、治療を受けました。治療の甲斐もなく亡くなる日本兵も多かったです。

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敷地内に複数の慰霊碑、造形物や日本軍、日本兵に関係する絵画が展示されています。タイ日友好記念館と共に訪れていただきたい場所です。

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1人の日本人として、焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

今後も海外慰霊活動を続けていきます。

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※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ

【タイ北部の小さな町『クンユアム』にある『タイ日友好記念館』②館内展示品】

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タイ北部の小さな町、ビルマとの国境地帯に近い­­場所にあるクンユアムを10年ぶりに再訪し、前回同様にタイ日友好記念館を訪問しました。

クンユアムはメーホーンソーンの南約65キロの場所にあります。かつて日本軍が­­駐留ししていた地です。

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インパール作戦による敗退、ビルマ戦線で敗れ多くの日本兵がビルマで亡くなりました。戦争末期か­­ら多くの日本兵が同盟国であったタイ国内にビルマから敗残兵として入­ってきました。

ビルマからタイにくる道中で飢えやコレラなどの病気で亡くなる日本兵が数多くいました。なんとかクンユアムをに生きて辿り着いた日本兵はクンユアムで現地人に治療、看病されました。

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慈悲深い精­­神をもった人々が多いタイ。

多くの日本兵がクンユアムの人々に世話になり、日本へ無事に帰国する事ができました。

それ­­ら日本兵は、水筒やヘルメットや毛布等を世話になった家庭に置いていきました。それらを大切に保管していた人々。

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1995年にクンユアムの警察署長として赴任したタイ人が、か­­つての日本兵とタイ人との交流に興味を持ち、私費を投じてそれらを集めて1996­年­に博物館をつくりました。

現在はクンユアム市に管理が委託される博物館です。

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建物内部には日本兵、日本軍の展示物や写真が数多く展示されています。

建物外の敷地内には慰霊碑が建立されており、前回同様、1人の日本人として焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ

【タイ北部の小さな町『クンユアム』にある『タイ日友好記念館』①慰霊碑】

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タイ北部の小さな町、ビルマとの国境地帯に近い­­場所にあるクンユアムを10年ぶりに再訪し、前回同様にタイ日友好記念館を訪問しました。

クンユアムはメーホーンソーンの南約65キロの場所にあります。かつて日本軍が­­駐留ししていた地です。

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インパール作戦による敗退、ビルマ戦線で敗れ多くの日本兵がビルマで亡くなりました。戦争末期か­­ら多くの日本兵が同盟国であったタイ国内にビルマから敗残兵として入­ってきました。

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ビルマからタイにくる道中で飢えやコレラなどの病気で亡くなる日本兵が数多くいました。なんとかクンユアムをに生きて辿り着いた日本兵はクンユアムで現地人に治療、看病されました。

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慈悲深い精­­神をもった人々が多いタイ。

多くの日本兵がクンユアムの人々に世話になり、日本へ無事に帰国する事ができました。

それ­­ら日本兵は、水筒やヘルメットや毛布等を世話になった家庭に置いていきました。それらを大切に保管していた人々。

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1995年にクンユアムの警察署長として赴任したタイ人が、か­­つての日本兵とタイ人との交流に興味を持ち、私費を投じてそれらを集めて1996­年­に博物館をつくりました。

現在はクンユアム市に管理が委託される博物館です。

建物内部には日本兵、日本軍の展示物や写真が数多く展示されています。建物外の敷地内には慰霊碑が建立されており、前回同様、1人の日本人として焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

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※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ

ベトナムのホーチミン(サイゴン)のお薦めのクラブ『LUSH』イケてる音楽

ホーチミンでオススメのクラブ(踊るほう)の1つが
レタントン通りの1本北側にあるリーチューチョン通りにあるクラブ『LUSH』。

16年前に初めて利用しましたが、昔からある老舗のクラブ。箱の大きさは大きいです。天井も高くて開放感に満ちた雰囲気。
選曲も照明も最高。従業員の対応も満足です。

入場無料
飲み物代は1杯あたり日本円で800円〜1000円ほど。
昔は欧米人中心でしたが
最近はベトナム人の若者達も増えています。

ゴーバンナム通り!ベトナムのホーチミンの日本人街『レタントン通り』界隈-昼の市街地を散策Hochiming city in Vietnam


ベトナムのホーチミン。
レタントン通り日本人街沿いにある
ゴーバンナム通り。以前は夜の店が多くあった通りで
日本食屋も多くあったのですが、
コロナ禍でそれらの店が閉店もしくは移転。

【タイ北部-メーホーンソンの寺院『ワット・プラノーン』内の日本兵(ビルマ戦線将兵)鎮魂(慰霊)之碑】

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10年ぶり2回目のタイ北部、ビルマ(ミャンマー)の国境から近い距離にあるメーホーンソン。前回同様、メーホーンソン内、クンユアムの日本兵慰霊碑を慰霊訪問しました。

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メーホーンソン中心街外れにある寺『ワット・プラノーン』内には日本兵慰霊碑(ビルマ戦線将兵慰霊之碑)があります。1人の日本人として焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

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10年ぶり2回目のタイ北部、ビルマ(ミャンマー)の国境から近い距離にあるメーホーンソン。前回同様、メーホーンソン内、クンユアムの日本兵慰霊碑を慰霊訪問しました。

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メーホーンソン中心街外れにある寺『ワット・プラノーン』内には日本兵慰霊碑(ビルマ戦線将兵慰霊之碑)があります。1人の日本人として焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

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※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ


※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ

【タイ・メ―ホーンソーンのチョーンカム湖沿いの寺院『ワット・チョーンカム』『ワット・チョーンクラーン』夜景】

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メーホーンソーンのチョーンカム湖沿いに2つの寺院『ワット・チョーンカム』『ワット・チョーンクラーン』

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夜になると写真のように灯りがともされます。非常に幻想的な雰囲気。この景色を2階のテラス席から堪能出来る『Coffee Bar』というカフェレストランがお薦めです。

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※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ

【タイ・メ―ホーンソーンのチョーンカム湖沿いの寺院『ワット・チョーンカム』『ワット・チョーンクラーン』】

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メーホーンソーンのチョーンカム湖沿いに2つの寺院『ワット・チョーンカム』『ワット・チョーンクラーン』があります。ビルマの影響を感じさせる仏塔。どちらも本堂内の見学が可能なので

湖散策と共に寺院の参拝もするとよいでしょう。

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※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ

【タイ・メ―ホーソンのチョーンカム湖】

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10年ぶりのタイ北部周遊。パーイから山道をソンテオで移動。10年ぶり2回目のメーホーンソーンは前回同様3泊しました。

メーホーンソーン中心にチョーンカム湖という湖がありますが、非常に雰囲気の良い湖です。

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湖沿いに寺院があり、徒歩で1周するのに約30分ほどです。

前回は夜になると屋台が多く出ていたのですが

コロナ禍で変わってしまったのか、屋台が出ていませんでした。

前回10年前は欧米人観光客が多くいたのですが

今回は外国人観光客が少なくなったと実感。

昼もよいですが夜の湖の雰囲気が最高です。

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メ―ホーソーンに観光で来る人が必ずと言っていいほど

くる名所です。

※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ