国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

西欧(西ヨーロッパ)

スイス・ジュネーブ・レマン湖畔!日本犬(柴犬)発見!世界で人気が出てきている日本犬?

平成26年(2014年)9月、2年ぶりにスイスを訪問。チューリッヒは2度訪問した­­­­­ものの、ジュネーブは初めて訪問しました。
ジュネーブといえばレマン湖が有名ですが、そのレマン湖畔で、日本の犬である柴犬(日­­本犬)を散歩している女性を見かけました。
日本人の血が入っていそうなフランス系スイス人女性が散歩しておりました。
柴犬は、国の天然記念物に指定された7つの日本犬種(現存は6犬種)の1つで、指定は­­1936年(昭和11年)12月16日。存6犬種中唯一の小型犬種だが、飼育頭数は­最­も多く、日本犬の代表格ともいえます。
国内ではもちろんの事、海外においても人気を博しているようです。

オーストリア・ウイーン・シェーンブルーン宮殿内の日本庭園!サラエボ事件で殺害されたオーストリア皇太子(日本通)が造営指示! 世界中で大人気の日本庭園!

日本人必見!!オーストリアのウイーン!かつて中世にヨーロッパに覇を唱えたハプスブ­ルク家が居を構えていた土地である。(元々はスイスの小領主出身)
シェーン­ブルン宮殿には日本庭園があります。これは大正2年(1913年)にフラン­ツ・フェルディナント大公(サラエボ事件で殺害されたオーストリア皇太子)が日本訪問­から帰国後造営させたもので、オーストリアの庭師に見よう見まねで作らせたも­のであ­ります。
1892年、約1年の歳月をかけて世界一周の見聞旅行に出かけ、その途上で日本を訪れ­ております。
この時、フランツ・フェルディナント大公(オーストリア皇太子い)は日本の風物や伝統­文化などを詳細に手記に記しており、これは後にまとめられて出版されています。
オーストリア皇太子の日本日記という題名で講談社学術文庫から翻訳されて日本でも発売­されております。

皇太子は「海外を見聞してみたい」と思うようになっていきました。
1891年、ロシア皇帝と謁見しにペテルブルグを訪れたのがきっかけになったようです­。「異質な国民、民衆、文化、民俗についての知見を獲得し、異国の芸術を鑑賞し、さら­には、汲めども尽きない異郷の地の自然に肌で接したい」と思うようになった皇太子は、­世界一周の見聞旅行に出かけます。そして、その訪問先の1つが日本だったのです。
熊本、下関、宮島などを経た後、京都、大阪、奈良、大津などを訪問。
その後、東京に赴き、明治天皇に謁見。政府から大歓迎をうけもてなされました。
日光東照宮も訪問し、そこでは、かつての会津若松藩主であり、宮司になっていた松平容­保公に迎えられました。(薩摩、長州等主体の新政府からはよくは思われていませんでし­たが)

ちなみに松平容保公の曾孫である徳川恒孝氏は養子で徳川宗家に入り、徳川宗家18代目­の当主となられたわけですが。奇遇にも18代目当主のご長男(家広氏)の方とは、当方­は仕事でお会いした事がございます。

大正2年(1913年)に、日本の庭園が忘れられなかったオーストリア皇太子がオース­トリアの庭師にみようみまねで造営させました。
その翌年、ボツニアのサラエボにてセルビア人青年により、オーストリア皇太子は暗殺さ­れました。(サラエボ事件)
それにより第一次世界大戦勃発!!そして敗戦!
オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後は日本庭園は荒廃し、誰ともなしに「アルプス庭園­­」と呼ばれるようになったが、平成8年(1996年)にここを訪れた日本人が日本庭­園ではないかと­指摘により発覚。

その後調査が進められた結果、手水鉢と思われる石など見つかり、日本庭園と­いうこと­が断定されました。
これを受け平成10年(1998年)、日本から庭師を招いて枯山水の日本庭園­として­修理復元されました。

親日国イタリア・ローマ・トレビの泉近くのジェラート屋でナカタ(中田英寿)味のジェラート

日本人必見!イタリア・ローマのジェラート屋でNAKATAジェラート?
平成26年(2014年)8月に2年ぶりにイタリアのローマを訪問しました。
ローマ市内のトレビの泉近くのジェラート屋で日の丸を発見しました。
名前ですが、その名もナカタ!!です。ナカタは今もなおイタリアで人気です。
味は、バニラとイチゴを混ぜたものです。ナカタと命名した理由をイタリア人の先ほどの店員に聞いたのですが、何となくこれがナカタの味だと思ってつけたとの事です。他のジェラート屋にはないと思いますが。適当なイタリア人らしいですね。
バニラは白、苺は赤、日の丸色ではありますが。
そう思ったら、他の名前がついているのをナガトモ!!ホンダ!!といいはじめウケました。
サヨナラ、アリガトウ、マタネ、などカタコトの日本語出来る店員は非常に多いですね。

世界一周動画!第一弾!マルタ共和国!

52分の新動画アップ!こないだ訪問したマルタ共和国の動画をまとめて編集した52分の旅動画を作成。出発から帰国までを事細かに紹介。デロップをいれております。
これでマルタ共和国観光が丸わかりになる動画です。是非、ご覧ください!
ラバト、イムディーナ、コゾ島、ヴァレッタ、青の洞門、マルサシュロック、スリーシテ­­­ィーズ等を訪問。
ホテルはスリーマ地区にある4つ星のホテルであるウィンザーホテルに宿泊しました。
セントジュリアンの方面にも散策。
航空会社は、エミレーツ航空利用し、成田からドバ、キプロス経由でした。
マルタ共和国は、南ヨーロッパの共和制国家。イギリス連邦および欧州連合(EU)の加­­­盟国である。公用語はマルタ語と英語、通貨はユーロ、首都はバレッタ。地中海に位­置­す­る島国です。
イタリアのシチリア島から船で行くことも出来ます。
イタリア・シチリア島の南に位置する。面積は316km²で、東京23区の面積622­­­.99km²の半分の大きさである。
カルタゴ、共和政ローマ時代に既に地中海貿易で繁栄し、その後一時イスラム帝国の支配­­­に入ったこともある。それに抵抗して戦ったマルタ騎士団がこの土地の名前を有名に­し­た­。
小型犬のマルチーズの発祥の地であり、マルチーズの名はマルタに由来する。
日本との関係
1862年、1858年に英仏など5カ国と個別に締結された修好通商条約の修正を求め­­­て派遣された文久遣欧使節団が訪問している。
1917年6月11日に大破した駆逐艦榊の59人の戦死や傷病による戦死者の「大日本­­­帝国第二特務艦隊戦死者之墓」がある。
1921年4月、皇太子時代の昭和天皇が訪問している。
マルタは地中海の中央部、シチリア島の南約93kmに位置する。主要な島はマルタ島と­­­ゴゾ島、コミノ島の三つである。海岸線が変化に富むため良港が多い。地形は低い丘­陵­や­台地からなり、最高地点はマルタ島内の標高253mの丘陵である。
気候は地中海性気候のため、冬は温暖で雨が多く、夏は暑く乾燥している。

2015年12月3日~12月10日 欧州の小国マルタへの訪問

2015年12月3日~10日まで欧州の小国でイタリアのシチリア島の南側にある
小さな国マルタ共和国へ初訪問。

成田空港から出発。
マルタ行き航空会社は、エミレーツ航空です。
中東のUAEのドバイ乗り継ぎ、キプロスのマルナカ経由でマルタに。
目的地まで2回も経由するのは、14年程前、学生時代に学校のセミナー旅行以来です。
あの時は、成田からSK《スカンジナビア航空》利用し成田→デンマークのコペンハーゲン→ノルウェーのオスロ→ノルウェーのトロムソに行って以来。1日がかりで目的地に到着。
合計で7日間の旅ですが、現地4泊+機中2泊の計6泊7日です。
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マルタ内では主要な観光名所を訪問しました。
訪問した場所は、イムディーナ、ラバト、スリシティーズ城塞都市ヴィットリオーザ、天然の見晴台セングレア、騎士団長の宮殿
アッパー・バラッカー・ガーデン、聖パウロ教会、ハジャーイム宮殿、マルサシュロック、青の洞門、コゾ島観光

マルサシュロックの港
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アズールウィンドー
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料理は、マルタ料理満喫。
マルタ風ローストビーフ、マルタ風ソーセージ、メカジキのグリル、シーフードプレート、ピーマンの肉詰め、リコッターチーズのラビオリ等を堪能。

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JAPANIZM28(青林堂ジャパニズム)2015年12月号への寄稿!

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青林堂のJAPANISM28(2015年12月号)に寄稿いたしました。お題は、韓国・中国人経営の海外日本食事情。
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アメリカのロサンゼルスの日系人街リトル東京、フランスのパリのオペラ地区の日本食街等、現地で撮影してきた写真使用。
現在、60カか国渡航。海外長期4か国計6年の居住歴あり。世界40か国以上の国々で500件以上の日本食屋を利用。
日本人経営も多い中、欧米豪では、中国、韓国人による経営も多いのが実情。
世界無形文化遺産に認定された日本食。
中には、これが日本食?と思えるお店も多いです。

フランス・パリ同時多発テロ!ISによる犯行?もはや、欧州も危険?日本は?

パリ中心部のバタクラン劇場と郊外の競技場付近などで13日夜(日本時間14日朝)、­複数の銃撃や爆発などの同時テロがあり、フランスの捜査当局筋は14日、AFP通信に­対し、少なくとも120人が死亡、200人以上が負傷したと明らかにした。
このうち、約80人が重傷という。数十人の人質を取って犯人が立てこもった劇場には1­4日未明(日本時間同朝)、警官隊が突入。一連のテロ事件でイスラム過激派とみられる­8人が死亡した。ただ、まだ複数の容疑者が逃亡中の可能性がある。
オランド大統領は13日、国民に向けて演説し「前例のないテロ攻撃がパリで起きている­」と表明。全土に非常事態を宣言し、容疑者の逃亡を許さないため国境の封鎖を命じた。­オバマ米大統領も「全人類と普遍的価値への攻撃だ」と非難した。これまで犯行声明は出­ていない。
在仏日本大使館は、14日午前0時(日本時間同8時)現在の情報として「銃撃に巻き込­まれた邦人はいないもようだ」と述べた。
AFP通信によれば、複数の関係者が13日、競技場近くの爆発は自爆テロだと証言した­。目撃者によると、劇場に対する襲撃は13日午後10時(日本時間14日午前6時)ご­ろ発生し、占拠犯はアラビア語で「アラー・アクバル(神は偉大だ)」と叫んで乱射した­。容疑者の1人が「オランド大統領のせいだ。シリアに手を出すべきではなかった」とシ­リアへの軍事介入を非難していたという。
AFP通信はさらに、劇場で発砲があったほか、劇場付近のカンボジア・レストランも襲­撃を受けたと報じた。また、競技場付近では複数回の爆発音が聞こえたという。治安機関­筋は、テロ攻撃は市内計7カ所で発生したと述べた。劇場だけで100人が死亡したとみ­られている。
競技場ではフランス代表とドイツ代表のサッカーの試合が行われており、オランド大統領­が観戦していた。オランド大統領は事件を受け、急きょ内務省に向かい、危機対策室で対­応に着手。「犯人に情けは無用」と徹底捜査を指示した。
仏大統領府は14日、トルコで15日から開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議を­オランド大統領は欠席すると明らかにした。イダルゴ・パリ市長は住民に対し、自宅から­出ないよう要請した。
フランスでは1月、パリの風刺週刊紙シャルリエブド本社やパリ近郊のユダヤ教食料品店­がイスラム過激派に襲撃され、17人が死亡した。さらにパリでは30日から国連気候変­動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)が開幕するため、仏当局が警戒態勢を強­化していた矢先の事件となった。

TGVリリア線(スイス・ジュネーブ→フランス・パリ)

平成26年(2014年)9月、2年ぶりにスイスを訪問。チューリッヒは2度訪問した­­ものの、ジュネーブは初めて訪問しました。
空路にてポルトガルのポルトかかイージージェットを使いました。
ジュネーヴ(仏: Genève、英: Geneva)はスイス西部、レマン湖の南西岸に位置する都市(コミューヌ)。フラン­­ス語圏に属し、ジュネーヴ州の州都である。

人口は約19万人(2011年)、面積は15.93平方キロメートル、標高は375メ­­ートル。チューリッヒに次ぎスイス第2の都市。2011年の近郊を含む都市圏人口は­約­51万人である。

三日月形のレマン湖の南西側の角を取り囲むように広がり、サレーヴ山(Mont Salève)、ジュラ山脈等の山地に囲まれる。市内をアルヴ川、ローヌ川が流れる。

第二次世界大戦前には国際連盟の本部が置かれ、現在も、国際連合の諸機関等の多くの国­­際機関が所在する世界都市であり、条約の作成やさまざまな国際会議が行われている(­そ­のため、日本も特命全権大使を長とする在ジュネーブ国際機関日本政府代表部、及び­、軍­縮会議日本政府代表部を置いている。ただし、領事業務はこれらの代表部ではなく­、在ジ­ュネーブ出張駐在官事務所(2010年1月1日、それまでの在ジュネーブ総領­事館に代­えて設置)で行っている)。また、サロン・アンテルナショナル・ド・ロト(­ジュネーヴ­・モーターショー)、国際高級宝飾時計展(ジュネーヴ・サロン)をはじめ­とする様々な­国際見本市も開催される。ピクテ銀行やロンバーオーディエ・ダリエヘン­チ銀行等のプラ­イベートバンクの本店が集中しており、プライベートバンクの中心地で­もある。

2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象­­とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第39位の都市と評価されており、­ス­イスの都市ではチューリッヒに次ぐ第2位である。

スイスの公用語は、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4言語であるが­­、フランス語圏のジュネーヴでは、ほとんどの場合フランス語が用いられる。

欧州の小国・リヒテンシュタイン公国!タックスヘブンとしても知られる?

数年前に殺害された霜見夫妻。スイスのチューリッヒ在住で投資顧問会社経営していたが­、­その会社の本社はこのリヒテンシュタインにありました。タックスヘブンと呼ばれる­国です。(一定の課税が著しく軽減、ないしは完全に免除される国や地域)

スイスのチューリ­ッヒを訪問の際に、そこから隣の小国リヒテンシュタインを訪問した­。リヒテンシュタイ­ンまで行くルートはいくつかあるのだが、一番良いのはスイスのチ­ューリッヒから行くル­ートである。
まずは、こちらの電車でチューリッヒから1時間程の国境の町であるザルガンツへ。そこ­­からバスで30分程でリヒテンシュタイン中心部まで到着。

電車は乗り心地がよく、景色も素晴らしかった。景勝ルートである。
バスも綺麗で、これまた素晴らしい車窓が楽しめる。
リヒテンシュタインは、西ヨーロッパの中央部に位置する立憲君主制国家。スイスとオー­­ストリアに囲まれている。首都はファドゥーツ。非武装中立政策をとる。欧州自由貿易­連­合(EFTA)加盟国。
住民はドイツ系が大半で、ゲルマン系のドイツ・アレマン人が86%、その他イタリア人­­、トルコ人などが14%である。国境を接する全ての国が内陸国である内陸国の「二重­内­陸国」(二重内陸国は海に出るために少なくとも2つの国境を越えなければならない­)で­ある。面積は南北に25キロメートル、東西に6キロメートルと狭い。日本の小豆­島とほ­ぼ同じである。世界で6番目に小さい国。ドイツのシュヴェービッシュ・アルプ­スの延長­線上に連なり、国土は山がち(最高地点2599m)だが南風が卓越し比較的­温暖である­。西はライン川に沿ってスイス(ザンクト・ガレン州・グラウビュンデン州­)、東はオー­ストリア(フォアアールベルク州)と接している。

公用語はドイツ語(現地語は上部ドイツ語に属するアレマン語)である。

宗教はローマ・カトリックが76%、プロテスタントが7%などとなっている
主要な産業は精密機械、牧畜と医療。ほかに観光、国際金融、切手発行もよく知られてい­­る。スイスとの関税同盟があり、郵便や電話の制度はスイスと共通となっている。

タックス・ヘイブンとしても知られ、税金免除を目的とした外国企業のペーパーカンパニ­­ーも集中(人口より法人企業数が多いと言われる)。これら法人税が税収の40%に及­び­、この結果、一般の国民には直接税(所得税、相続税、贈与税)がない。