アフリカは、また別途で周遊旅行をしますの
そして、スペイン国内をアルヘシラスからアンダルシア州
アルヘシラスよりこのバスで三時間かけて移動してきまし
費用は20ユーロ『2800円程』です。
平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
スペイン・セビーリャにて 9月12日
ベルギー・ブリュッセルの大広場である世界遺産のグラン・プラスを6年半ぶりに訪問。(夜は初めて)。王の家に入り(入場料5ユーロ)そこから市庁舎の景色を堪能。花壇が広場の中にあり綺麗であった。そこで夜になると30分に一回の割合で、素敵なショーがおこなわれた。5分少々であるが、感動した。
グランプラスは、ブリュッセルの中心地にある大広場。ヴィクトル・ユゴーが賛嘆したことでも知られるこの大広場は、世界で最も美しい広場のひとつと見なされている。1998年にユネスコの世界遺産に登録された。
グラン=プラスは美しい広場であるが、華やかな歴史ばかりに彩られていたわけではない。1523年にプロテスタントの最初の殉教者たちであるヘンドリク・フォエス(Hendrik Voes)とヤン・ファン・エッセン(Jan van Essen)がこの地で火刑に処された。
大同盟戦争中の1695年8月13日に、当時木造だった広場の家屋はヴィルロワ元帥に率いられたフランス軍の砲撃によって大半が破壊された。市庁舎の塔は砲撃の的になったが、石でできた壁は放火による火災に耐えた。広場を囲む家々は様々なギルドによって石造りで再建された。このため、市庁舎以外のほとんどの建物は、この時以降のものである。
東欧ルーマニアの首都のブカレスト。
平成24年(2012年)8月に日本語を教えるボランティアとしてルーマニアを訪れた女子大生が殺害されました。
深夜に空港に到着し、そこである男に話しかけられ、白タクに乗せられ、ホテルとは反対の方角に進み、殺害されました。
その2週間程前に自分はブカレストにおりました。
平成24年(2012年)7月にルーマニアの首都のブカレストを訪問。
自分は、ハンガリーのブダペストから夜行寝台電車で、ブカレストに到着したのだが、到着後、偽警官らしき人物に話しかけられたが、うまく巻きました。
駅周辺もあまり治安がいいという感じではなかったです。
まあ、それでも市内中心に行ったり、観光もしたが、危ない目にはあわなかったですが。
女性一人での観光はお薦めは出来ません。
ブカレストは、ルーマニアの首都で同国最大の都市です。
ルーマニア南東部にあり、ドゥンボヴィツァ川河畔の都市でルーマニアの文化、産業、金融の中心都市であります。
ブカレストが最初に文書に言及されたのは1459年のことで、それ以来様々な変化を経験し1862年にルーマニアの首都となりました。
首都になってからはマスメディアや文化、芸術の分野で着実にその地位を固めました。
ブカレストの建築物には歴史的に新古典主義建築や戦間期のバウハウス、アール・デコ、共産主義時代、そして現代と様々なものが混ざり合っています。
戦間期のブカレストは優雅で洗練された建築物により「小パリ」と言う愛称が付けられました。
しかし、これら多くの建築物や歴史的な中心部は戦争や地震、ニコラエ・チャウシェスクにより始められた1970年代半ばの体系化政策 により損害を受けたり破壊されました。
一部は、被害を免れた建築物もありますが。
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マラガからアルヘシラスへ移動。アルへシラスの港湾です。イスラム勢力により713年に建てられたアルヘシラス。人口は12万人弱の都市です。モロッコに海路で行く際の拠点となる都市です。欧州大陸とアフリカ大陸、地中海と大西洋をわけるジブラルタル海峡に非常に近いアルヘシラス。明日、アフリカ大陸に初上陸します。体調は芳しくはないですが、モロッコのカサブランカとラバト行きは中止し、モロッコのタンジェのみの観光にします。帰国までの時間もあまりないのもあり。
ジブラルタル海峡の最深部分は942メートルになります。両大陸が一番接近している都市はたったの14キロ。
実は、ここ麻薬の密輸ルートでもあります。
マラガは想像していたよりも大きな都市でした。人口は57万人程です。国際的にも有名なリゾート地であるコスタ・デル・ソルの中心でございます。紀元前1000年にフェニキア人により築かれ、ローマやアラブなど幾度か支配者が変わった古い歴史がある都市です。
あの著名な画家であるピカソが生まれた土地でもあります。(10歳まで過ごしたようです)
そのピカソの生家があったアパートの建物と前にあるピカソの遊び場であったメルセー広場です。
こちらが、ピカソの生家。(アパートの一角を借り)
ピカソの遊び場であるメルセー広場
天才ピカソと友達に