南の楽園?フィジーの治安は?悪い?日本人女性が被害に?強姦未遂?強盗多発?国際ジャーナリスト大川原 明!言及
南の楽園?フィジーの治安は?悪い?日本人女性が被害に?強姦未遂?強盗多発?国際ジャーナリスト大川原 明!言及
親日国フィンランドを訪問し、10日程滞在しました。
行った場所は首都のヘルシンキ、古都のトゥルク、タンペレ、サンタクロース村で有名なロヴァニエミ。
しばらく滞在して気がついた事は、笑顔で接してくれてかなり親切であるという事です。
フィンランドの前はスウェーデンにいたが、人々は親切であった。しかし、そこと比べても何かが違う。
道が分からなければ目的地まで連れて行ってくれたり、写真を撮影を手伝ってくれたり。何かを感じていた。ここにくるまで、フィンランドが親日国であると知らなかったのですが。
首都のヘルシンキ市内にあるとあるバーに行った時の事、突然、60代と思われるフィンランド人男性に話しかけられ、「TOHGO?」と言われました。トウゴウ??なんで日本人の苗字をいっているのか不思議であったが、話しをしていくうちに真実を知りました。
そしてなぜ親日なのか??それはフィンランドの歴史的な背景が裏にあります。
かつて、このフィンランドは、大国ロシアに支配をされていた時代がある。日露戦争で、我々日本人は、有色人種で初めて白色人種を負かした戦いであった。この日露での勝利が、アジア、アフリカだけでなく当時、帝政ロシアの支配下にあったフィンランド、バルト3国、ロシアの強い影響下に置かれていた東欧各国に勇気と希望を与えました。
日露ののちにフィンランドは独立戦争を起こし、ロシアからの独立に成功する。第二次世界大戦中は、日独伊と同じ枢軸国として日本の同じ陣営で戦う。(主に対ソ連)この国ではかつて、東郷平八郎元帥のラベルが現地のビール瓶に張られ、英雄視されていたほどであります。
日本人からの通称は東郷ビール!フィンランドではアミラーリと呼ばれるビールであります。
アミラーリのビールにはフィンランドや他国の著名軍人をラベルに貼っていました。そのうちの一つが東郷元帥。
東郷元帥は日露の英雄。当時、日露で極東の小さな国である日本が大国ロシア(フィンランド、東欧、バルト3国、トルコ等がその力に悩まされていた。)に勝利をし、それに感銘を受けたフィンランド人。
東郷平八郎元帥を敬い、ラベルにした。現在では東郷ビールは生産していない。しかし、日本で生産しておりインターネットで買う事が出来ます。
日本の文化、製品も多く入り、親日、知日派が多い。実際、この国に10日程滞在して、多くのフィンランド人と出会い、交流しましたが、それを感じました。
最近の若者は東郷元帥に関して知らない人も多くなったが、50代以上の多くの人々は知っているようです。
世界の多くのバーにあるKAMIKAZE(神風)のカクテル。本日のパーティー会場にありました。
神風特攻隊。先の大戦、終戦間際に神風特攻隊による攻撃がおこなわれ、米軍を恐怖の底に陥れたのは事実です。戦後、その神風特攻隊の話しが世界の多くの国に伝わり、津波(TSUNAMI)と同じく、世界中の多くの人々が知っている言葉でもあります。
カミカゼは、ウォッカベースのカクテルです。
発祥地はアメリカであると言われ、その味の切れの鋭さから太平洋戦争における日本海軍の神風特攻隊を彷彿とさせたからといわれています。
作り方は下記です。
ウォッカ、コアントロー、ライムジュースをシェイク
氷を入れたオールド・ファッションド・グラスに注いでステア
ライムのスライスを飾って供する。
平成28年(2016年)8月23日~31日にブルガリア政府観光庁の招待旅行(ファムトリップ)に参加しました。ブルガリアは平成24年(2012年)7月に訪問して以来2回目の訪問です。前回はソフィアだけですが、今回は、多くの都市を訪問しました。
訪問した都市は、ソフィア→プロヴディフ→シプカ峠付近→カザンラク→カルロヴォ→ヒサリャと訪問。ソフィアからブルガリア中部を周りました。政府観光庁がミニバスを手配してくれたので、それに乗り、日本に13年間住んでいたブルガリア人の日本語ガイドの方に案内してもらえました。
ブルガリアは、東ヨーロッパの共和制国家です。 バルカン半島に位置し、北にルーマニア、西にセルビア、マケドニア共和国、南にギリシャ、トルコと隣接し、東は黒海に面しています。首都はソフィアです。住民は、 スラヴ系のブルガリア人が83.9%、トルコ人が9.4%、移動型民族のロマ人が4.7%。
ブルガリアの料理は、周辺のバルカン半島諸国と類似するものが多く、ひき肉料理や煮込み料理、シレネと呼ばれるヤギの乳からつくられるチーズ、ヨーグルトなどが代表的。ヨーグルトに相当する醗酵乳食品は他の国にも存在するが、ブルガリアのヨーグルトが日本のみならず世界的に有名になっている。これはロシアの微生物学者イリヤ・メチニコフが、ヨーグルトは長寿に効果があるとしてヨーロッパ中に広めたからである。
総集編映像は下記をご覧ください。
喧騒感に満ちたインドのバラナシの旧市街。
バラナシは、インドのウッタル・プラデーシュ州ワーラーナシー県の県都。
人口は約120万人(2011年)。 ガンジス川沿いに位置しヒンドゥー教の一大聖地として、インド国内外から多くの信者、巡礼者、観光客を集めるインド最大の宗教都市です。
街の郊外には、釈迦が初めて説法を行ったサールナート(鹿野苑)があります。 バラナシ、ヴァーラーナシー、ヴァーラーナスィー、と各表記があるのですが、古くは「カーシー国」とも称され、波羅奈国とも称された。ヒンドゥー教・仏教の聖地として重要な都市。
かつては英領植民地時代に制定された英語表記のBenaresの誤読により「ベナレス」とも日本語で称されました。
4大インダス 文明の地は今はパキスタンとなっているインダス川流域。ガンジス川は沐浴する人々がいると社会科の授業で習うと思いますが、死体を焼き、遺灰を川に流したり、洗濯したり、髪の毛洗ったり様々な光景を見ることができました。カンガーは想像以上にすばらしいです。
インドのデリー。ニューデリーは開発が進み綺麗な街並みなんですが、オールドデリーは古い町並みが残っています。
喧騒感に満ちたオールドデリー散策は非常に刺激があります。
徒歩での散策もよいのですが、サイクルリキシャに乗って街を巡るのもよいでしょう。
日本の人力車が起源のサイクルリキシャやオートリキシャ。
インドは経済発展著しく、ここ10年、20年で非常に変わっています。インフラは整いはじめ、高層ビルもたちはじめ。物価もかなり高くなりました。
デリーはインドの首都ですので、ニューデリーを中心に開発が進んでいます。ニューデリーは想像以上に小奇麗でびっくりしましたが、オールドデリー最寄りの駅について降りた瞬間!インド!と思いました。雰囲気がニューデリーと違います。
この生臭い雰囲気はいつまでも残ってほしいですね。
世界で好かれる日本!東南アジア諸国の人々は日本をどう思っているのか?
タイ、ベトナム、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、ラオス、カンボジア、シンガポール、ミャンマー、スリランカ、バングラデシュ、インド、フィリピン現地聞き取り取材
現地実録新動画アップ!今回のお題は、【実録】タイの3大風俗地帯潜入!バンコク、パタヤ、プーケット!総集編動画!ゴーゴーバー、ゴーゴーボーイ、ニューハーフ!
タイの3大風俗地帯であるバンコク、パタヤ、プーケット。それらの風俗地帯潜入!現地実録映像!
バンコクはタニヤ通り、ソイカウボーイ、ソイ22、パッポン周辺、ゴーゴーボーイ、パタヤはビーチロード~セカンドロードまで、ニューハーフショーも堪能!プーケットは、パトンビーチのバングラ通りに潜入!
これで、タイの著名風俗地帯は網羅!
45分の総集編動画!
世界1周!第2弾!フィリピン・セブ!
セブは6日間滞在
成田空港からフィリピン航空(通称PAL)のPR435便を利用しました。登場時間は安定しておりました。千葉から小笠原諸島を通りました。
機材はこないだVN(ベトナム航空)を利用してサイゴン→セントレア利用したのと同じエアバスのA321 -200で3-3の配列の小さな飛行機でした(格安航空会社が利用するA320の兄弟機ですが、席数はそれより40~50席多く、シートピッチもある。)モニターがない飛行機でした。(共有のモニターすらなし)
フィリピン航空は正直なところあまり利用したくない航空会社の一つですが(絶対利用したくない航空会社ではない)、今回のフライトはよかったです。一時は安全面で欧州への乗り入れを禁止される程でしたが、欧州線も復活。機内食もよかったです。
セブに行くには直行であれば成田、セントレア、関空から出ております。マニラ経由の便もあるんですが、やはり直行便がよいです。
入国審査は想像以上にゆるいと感じました。もっと厳しいかと思ったんですが。
早速、ホテルにチェックイン。セブの空港はセブシティーがあるセブ島ではなくリゾートがたまるマクタン島にあるんですが、マクタン島のリゾートに宿泊です。オンザビーチのプール付きの宿で部屋はオーシャンビューです。
アキーラさん&珍太郎さん!フィリピン・セブ島潜入記!
【日本政府がブルガリアに50本の桜を贈呈した事に対する記念碑】
場所はソフィア市内にあります。(現地にて撮影)春になれば桜が咲きます。
親日的な国であるブルガリア!様々な理由があります。ブルガリアと日本の関係は、19世紀までさかのぼります。19世紀末より公式関係にありました。
第一次世界大戦では日本は連合国側にて参戦、ブルガリアは枢軸国側で敵対関係にありましたが、直接的な交戦はありませんでした。第二次世界大戦下では、日本とブルガリアは同じ枢軸国で味方同士でした。
しかし、1944年9月のブルガリアクーデター(英語版)により、ブルガリア王国政府が枢軸国から離脱したため、国交は断絶されました。戦後、旧ソの影響を受けて共産社会主義国家として歩んだのですが、1959年9月に15年ぶりに国交が回復されました。
共産社会主義体制当時からブルガリアは親日的であり、冷戦中も両国は敵対関係になることなく良好な関係を維持してきました。これは、周辺のハンガリー、チェコ、スロバキア、ルーマニア、ポーランド等の国々も同じです。
ソフィアで宿泊したマリネラホテルが1979年当初、日本政府のブルガリア政府観光庁への支援もあり、日本の御三家ホテルであるニューオータニホテルが建てたとお伝えしました。(設計は黒川紀章)ホテル内部には立派な日本庭園もあり、人々を魅了しています。
現在、在ブルガリア日本人は140人程、在日ブルガリア人は400名程です。年間にブルガリアを訪れる邦人の数は11000人程。そのうち9000千人は観光で訪れています。
ブルガリアでは日本の文化に関心が持つ人々が多いです。これは、欧州全土、特に東欧、バルト三国、南欧です。(実際に現地視察調査して分かった結果です。)
ブルガリアでは、琴欧州でも有名な相撲・欧州で人気を博している剣道・茶道・漫画とアニメ・俳句などをおこなう団体が数多くあいります。現地訪問した何人かのブルガリア人女性に話しかけられましたが、日本の文化やア二メに興味があるブルガリア人でした。
国際ジャーナリスト
大川原 明(おおかわら あきら)
昭和五十四年(一九七九年)九月
静岡県生まれ
専修大学経営学部経営学科卒
大学卒業後、新卒で大手旅行会社入社、退職後、世界各地を調査渡航。
世界六〇か国訪問。今年中に百か国突破予定。
海外在住歴は留学、仕事で長期4か国計6年
世界一周後、日本一周(現在、四一都道府県訪問済み)国内外において、写真と動画双方にて撮影。証拠撮り。
※写真は全て、私自身が、現地調査によって撮影してきたものです。
上記記事に関しての質問や問い合わせ、取材、記事寄稿依頼、講演依頼等ありましたら
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