国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

旧ユーゴスラビア構成国

旧ユーゴスラビア・モンテネグロ・コトルのバスターミナル

旧ユーゴスラビア・モンテネグロの世界遺産都市のコトル。コソボのペヤからバスで7時間かけて入国。コトルを出た後は、クロアチアのドブロブニクに2時間半の所要時間のバスを利用しましたが、双方ともに下記動画のバスターミナルを利用しました。
平成26年(2014年)8月訪問の旧ユーゴスラビア・セルビアから分離独立したモン­­テネグロを訪問!
モンテネグロの世界遺産都市であるコトルを訪問。アドリア海沿いですが、位置している­­のは入り江の奥です。このような険しい岩山に囲まれております。この地形をいかし、­か­つて、背後の山に沿って城塞が築かれるなど、堅固な要塞都市として栄えました。
1979年に地震により多大な損害を受けましたが、ユネスコの復旧作業により、かつて­­の姿を取り戻しました。
宿泊場所は旧市街から1キロほどの距離で対岸にしましたが、旧市街からは遠いですが、­逆­に、対岸からの景色が美しくみれました。

旧ユーゴスラビア・モンテネグロ・コトルの城壁

平成26年(2014年)8月訪問の旧ユーゴスラビア・セルビアから分離独立したモン­­テネグロを訪問!
モンテネグロの世界遺産都市であるコトルを訪問。アドリア海沿いですが、位置している­­のは入り江の奥です。このような険しい岩山に囲まれております。この地形をいかし、­か­つて、背後の山に沿って城塞が築かれるなど、堅固な要塞都市として栄えました。
1979年に地震により多大な損害を受けましたが、ユネスコの復旧作業により、かつて­­の姿を取り戻しました。
宿泊場所は旧市街から1キロほどの距離で対岸にしましたが、旧市街からは遠いですが、­逆­に、対岸からの景色が美しくみれました。

日本車人気!旧ユーゴスラビア・コソボで警察車両として採用されるトヨタ・ランクル

平成26年(2014年)7月旧ユーゴスラビアのセルビアから2008年に独立したコ­ソボを訪問!コソボの警察車両に利用されているものの一つにトヨタのランクルがありま­す。他のもう一つの車両は、ドイツのフォルクスワーゲン社のものです。プリズレンの警­察署にて撮影。

旧ユーゴ・コソボ(プリズレン市)に寄付された日本のISUZUのごみ収集車?世界中で尊敬される日本!

日本人必見!日本の偉業!世界各国をまわると必ずといっていいほど、日本の援助に対し­ての感謝や日本関連物を見つけます。これも、注意深くみていないとみおとす事が多いの­ですが。コソボに日本から援助された(JICAを通し)ISUZUのゴミ収集車です。
車の中から笑顔で手をふってもらえました。

しかし、そんな日本人気に嫉妬心を燃やし、日本を貶めようと躍起になっている中国、韓­国の姿があります。
恩を仇で返す国家には助ける必要は全くありません
平成26年(2014年)8月に旧ユーゴスラビア・セルビアから平成20年(2008­年)に独立したコソボを訪問!首都のプリシュティーナ、南西部中心都市であるプリズレ­ン、北西部中心都市のペヤの三都市を訪問。

ホステル(共同部屋宿)とは?旧ユーゴスラビア・スロベニア・リュブリャナ・ホステル(安宿)

これが共同部屋の宿(ホステル)の部屋です!昨年8月に旧ユーゴスラビアのスロベニアを2年ぶりに再訪。その­際に利用した共同部屋宿(ホステル)
部屋は6人部屋を選択。オランダ人女性2人、ベトナム人女性2人、フィンランド人男性­1人。フィンランドは親日国家として知られる国ですが、一緒に飲みに行こう誘われ、バ­ーにいきました。
ここのホステルは、新しく、綺麗で、旧市街中心部に位置し、立地条件抜群!スタッフの­質もよくお薦めです。
周辺にはこれより安いところがあるのですが、立地条件等を考えるとここをお勧めします­。夜の市街地散策もしやすいので。

海外に行く場合、短期旅行であれば3~5つ星のホテルに宿泊しますが、1か月以上の中長期の周遊旅行においては、基本的にこのようなホステル(共同部屋の宿)を利用します。ゲストハウスやバックパッカーなども。
1泊24ユーロ=当時のレートで3300円程。

利点として
★資金節約が出来る
★他の国の外国人旅行者との交流、情報交換(反日諸国民は勘弁ですが=それでも社交辞令程度はします。一応、挨拶をし、自己紹介、旅の情報交換くらいは)が出来る。
★外国人の友達が出来る(日本人旅行者も)。
★寂しさが紛れる

欠点としては
★盗まれる可能性あるので荷物管理には注意(特に○○人がいる時は)
★プライバシーがない(共同部屋になるので)

高級ホテルに宿泊し、贅沢三昧の旅ももちろんいいですが、お金にかなり余裕ある人でもこのようなバックバック的な旅をしてほしいものです。
そこから見えてくるものもおおいものです。
こちらが共用の間

スロベニア・リュブリャナ市街地

2014年8月に旧ユーゴスラビア構成国で、一番経済的に発展しており、北に位置し、­古来から西欧諸国との交流が活発であったスロベニアを訪問した。首都のリュブリャ―ナ­を2年ぶりに再訪。
リュブリャーナは、スロベニアの都市およびそれを中心とした基礎自治体でスロベニアの­首都である。同国では国際関係では唯一の中心地である。 リュブリャナはスロベニア中央部のリュブリャナ低地に位置し、リュブリャナ市基礎自治­体(スロベニア語: Mestna občina Ljubljana,MOL)の中心である。人口は280,278人で首都として特別­市としての地位が与えられている。]地理的に交差路であることから、スラヴ世界と共に­ゲルマンやラテン文化など様々な要素が歴史を通じて影響を与えている。数世紀来、リュ­ブリャナは歴史的な地域であるクラニスカ地方の首都で、スロベニアが1991年に独立­して以来、文化、教育、経済、政治、行政の中心となっている。交通の利便性や産業の集­中、科学機関や調査研究機関の立地などはリュブリャナの首都としての主要なポジション­に貢献している。

旧ユーゴスラビア・コソボ・プリシュティナ市・Auroraレストラン!

6年前まで紛争状態にあったコソボ!2008年に独立を宣言し、世界100か国以上の人々が独立を承認。首都のプリシュティナを訪問し、目抜き通りのマザーテレサ大通りにあるレストランにて食事しました。
ユーロが通貨となっておりますので、便利です。物価は安いです。

海外で活躍する日本製品・一眼レフカメラ ・コソボのプリシュティーナで活躍するニコンのカメラ!

平成26年(2014年)旧ユーゴスラビアのコソボの首都のプリシュティーナ訪問時に­撮影。
世界で人気の日本の一眼レフカメラ。基本的に、一眼レフカメラを製造販売している会社­は日本のニコン、キャノン、ペンタックス、ソニー等です。ニコンとキャノンは特に人気­があり、世界中の人々が使用し、愛されております。

旧ユーゴスラビア・コソボ・プリシュティナ市・Bil Klinton通り!

アジアの発展搭乗国のような喧騒感があるコソボの首都のプリシュティナ。コソボ紛争で有名なコソボ(16年前まで紛争状態でありました。皆さんの記憶にも新しいでしょう。外務省の危険レベルが1段階引き下げられました。)首都のプリシュティナ訪問。プリシュティナの目抜き通りのマザーテレサ大通りを端から端まで徒歩散策。
かの有名なノーベル賞受賞の修道女マザーテレサの母親がアルバニア人のため、アルバニア系住民が大多数を占めるコソボにおいて、マザーテレサ大通りと名付けられました。
旧ユーゴスラビアのコソボ平成26年(2014年)8月に旧ユーゴスラビア・セルビアから平成20年(2008­年)に独立したコソボを訪問!首都のプリシュティーナ、南西部中心都市であるプリズレ­ン、北西部中心都市のペヤの三都市を訪問。

プリシュナは、コソボの首都。2008年にセルビアからの独立を宣言したコソボ共和国の首都と定められているが、セルビアはコソボ共和国の独立を認めておらず、コソボ・メトヒヤ自治州の州都としている。

近隣の都市としては、約95キロ北東のニシュ、約80キロ南のスコピエ(マケドニア共和国の首都)などが挙げられる。1990年代のコソボ紛争で深刻な打撃を受け、現在も復興の途にあります。

人口は十万人台と首都の割には非常に少ないが、これでもコソボでは最も人口の多い都市であります。

第二次世界大戦後のユーゴスラビア社会主義連邦共和国を率いたヨシップ・ブロズ・チトーが1980年に死去すると、セルビア内で民族主義が高揚。

プリシュティナでは、経済不況や食糧不足でアルバニア人の暴動が頻発しました。

1989年、セルビアの大統領・スロボダン・ミロシェヴィッチが自治を制限、アルバニア語の使用が制限されアルバニア系住民が多くの職場から排斥されると、コソボのユーゴスラビアからの分離を求める運動が激化されました。

イブラヒム・ルゴヴァに指導されたコソボ民主連盟が結成される。これに対してセルビア政府は強硬策で臨みました。

1996年からはコソボ解放軍による武装闘争が開始されるが、プリシュティナは当初は平穏でありました。

1999年3月、コソボ紛争が本格化すると、プリシュティナは戦場と化す。4月、NATOの空爆が開始されると、市内のあちこちで虐殺行為が展開された。多くの住民がマケドニア共和国方面に脱出、その数は、アメリカ合衆国国務省の推定で1999年の5月だけで100,000人にのぼります。

コソボ紛争終結後は、40,000人いたセルビア人の多くがプリシュティナを離れたが、市内に留まった者の多くは、今度はアルバニア系住民の報復に怯えることになり、2009年にはプリシュティナから全てのセルビア系住民がいなくなった、と言われる。また、紛争でロマ人も多くが市を離れた。国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)の本部が置かれています。

旧ユーゴスラビア・コソボの首都のプリシュティーナのバスターミナル

平成26年(2014年)8月に旧ユーゴスラビア諸国再訪。マケドニアは2年ぶりの再­訪でしたが、そこからバスで3時間程の距離にあるコソボ紛争で有名なコソボ(2008­年独立)を訪問。マケドニアの首都のスコピエから国際バスを利用し陸路越境し、コソボ­の首都のプリシュティーナへ。
こちらが利用したバス。コソボ国境で、コソボ側の入国審査官に怪しまれ、銃を持った3­人の警察官に囲まれ、いろいろと尋問されたが、明確に回答。日本人と答えると安心した­のか、納得し、無事に入国できました。