国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

国際ジャーナリスト

タイ・バンコクの宿で外国人との国際交流!

【国際交流】宿を移動しました。こちらも以前に宿泊した事がある宿です。ユーチューブ動画で紹介したのですが、何人かの日本人が私の動画をみてここを選んだようで、宿の人にそれら日本人の方々がこの動画をみてここに決めたと宿のスタッフに伝えたようで、スタッフが私の事も知っていました。

宿ではフィリピン人男性(手前)とフィンランド人男性と仲良くなり一緒に食事。久しぶりに英語力を落とさずに会話できました。
フィリピン人は歴史的な背景があり、国民の英語力は高いです。セブに6月に行きましたが、自分からすればそこまで英語力は一般国民は高くないと思ったものです。(でも普通にタクシー運転手でも英語は話せる。日本よりも格段に英語力は高い。)

この彼は米系の会社で働いており、英語はかなりの上級者です。礼儀正しく、性格も良い。

フィンランド人も英語力は一般的に高い国で、22歳の学生の彼も英語力は高いです。とても22歳には思えないがww

それぞれの国の名所や政治、対外問題に関しても話し合いました。2人も親日。

英語が話せないと外国人との意思疎通が出来ません。国際言語となっている英語習得は外国人との意思疎通するのに重要なことです。

真ん中の女性はタイ人女性ですが、かつて日系企業で働いていたので日本語が上手です。お姉さんや妹さんが日本人と結婚し、日本人とは親戚関係。親日知日の彼女です。

私は決して、排他排外主義者ではありません。
海外長期4か国6年居住、海外渡航歴63か国。長期留学にて英語を習得し、今までに公私にわたり100か国以上数十万人の外国人と交流、国際的に活動してきました。

真偽性にかけるネットの情報をもとに国際情勢に関してあたかも自分が調べてきたかのように薀蓄をたれている方々がいますが、私は、現地を訪れ直接調査、外国人との直接交流により情報を得て発信してきます。
現地を訪れ、直接自分の目で見る、外国人と交流知るといろいろと真実が見えてきますよ。

16387088_1307655939257615_7238010912127840099_n

海外での現金管理に関して

【海外での現金管理に関して】
海外をあまり行った事ない方は、海外での現金管理に関してどのようにすればいいかと感じる方はいると思います。

短期なら日本円もしくは国際通貨である米ドルやユーロをもって現地で両替で大丈夫です。

中長期で周る場合は、どうしたらよいか。
今回は4万円と米ドル1500バーツだけ持って来ましたが、クレジットカードでの現地キャッシングがほとんどの国では出来ます。なので日本から多額の現金を持ってくる必要はありません。

カードが使えるところはカード払い。なくなればカードでのキャッシング。私は、SMBC信託銀行のカードを持ち、口座にお金入れてますが、シティーバンクの支店で現地通貨で直接講座からおろすこともできます。

昨日は、カードキャッシングにて10000バーツ(約33000円)をATMでキャッシングしました。(手数料が700円弱かかるので1回で多めにおろしました。)

これから他国の辺鄙な場所にいく際に、ATMで引き落としが出来ないとこもあるので日本円や米ドルを持参しています。
カードが使えるとこでは極力、現金を使わないのがコツです。16388035_1306407572715785_8147918177148772720_n

微笑みの国タイへ!9か月ぶりの再訪

9か月ぶりのタイ】無事にバンコクに到着。SQ(シンガポール航空)の子会社であるスク-ト初利用。

いわゆるLCC(格安航空会社)の発着は新しいスワナプーム国際空港ではなく古い空港のドンムアン空港です。
ドンムアンは4月にバンコクからプーケットに行く際にエアアジアを利用しましたが、その時に利用。

スワナプームはシティエアポートリンクと呼ばれる電車が走るようになり便利になりましたが、ドンムアンからはタクシーかバスです。
タクシーでないと宿泊ホテルまでいけませんのでタクシー利用。

昔に比べバンコクもタクシーのぼったくりは減りましたが、海外慣れしていない日本人だと思われると足元をみられ、メーター踏み倒ししてくる運転手もいるので注意です。(自分は一回も被害に遭ったことはないですが)

空港からホテルまで高速代合わせて250バーツほど。チップは50バーツ渡し、300バーツ支払いました。(日本円で1000円程)

最初の4泊は疲れをとるのもあり以前に泊まったことのある4つ星ホテルに宿泊します。

国により片道入国では入国できない国もあるのですが、バンコクはほとんど確認されません。
30日分の滞在許可をもらいました。

16195095_1302008136489062_3008432885731072798_n

ベトナム夜の歓楽街】ベトナム・ホーチミンのガールズバー!

【ベトナム夜の歓楽街&風俗】
ベトナムの商都と呼ばれるホーチミン市。かつてはサイゴンと呼ばれていた都市でした。ベトナムの首都のハノイよりも自由で栄えています。
ホーチミンには今世紀に入り、可愛い女の子が働くガールズバーが続々とオープン。
ベトナム語もしくは英語が話せれば彼女たちと意思疎通が出来ます。

当時東洋一!台湾で今でも尊敬される八田興一が建てた「烏山頭ダム」

親日家が多い事でも知られる台湾。そんな台湾で尊敬される日本人の一人が日本人技師である八田興一です。八田興一が台南市に建てた烏山頭ダム。ダムは1930年の完成当時に東洋一の規模を誇るものでした。烏山頭ダム建設による灌漑整備によりダム周辺は台湾最大の穀倉地帯になりました。

今回は、台湾の教科書に載るほど台湾の人々に尊敬されている八田興一が建てた烏山頭ダムをご紹介いたします。

たびねす記事は下記をクリックしてご覧ください。
↓↓↓↓↓
たびねす記事

南の楽園?フィジーの治安は?悪い?日本人女性が被害に?強姦未遂?強盗多発?

南の楽園?フィジーの治安は?悪い?日本人女性が被害に?強姦未遂?強盗多発?国際ジャーナリスト大川原 明!言及

親日国フィンランドとは?東郷ビールとは?現地訪問にて直接体験した事?

親日国フィンランドを訪問し、10日程滞在しました。
行った場所は首都の­ヘルシンキ、古都のトゥルク、タンペレ、サンタクロース村で有名なロヴァニエミ。

しばらく滞在して気がついた事は、笑顔で接してくれてかなり親切であるという事です。
フ­ィンランドの前はスウェーデンにいたが、人々は親切であった。しかし、そこと比べても­何かが違う。

道が分からなければ目的地まで連れて行ってくれたり、写真を撮影を手伝っ­てくれたり。何かを感じていた。ここにくるまで、フィンランドが親日国であると知らな­かったのですが。

首都のヘルシンキ市内にあるとあるバーに行った時の事、突然、60代と思われるフィンランド人男性に話しかけられ、「TOHGO?」と言われました。トウゴウ??­なんで日本人の苗字をいっているのか不思議であったが、話しをしていくうちに真実を知­りました。

そしてなぜ親日なのか??それはフィンランドの歴史的な背景が裏にあります。
かつて­、このフィンランドは、大国ロシアに支配をされていた時代がある。日露戦争で、我々日­本人は、有色人種で初めて白色人種を負かした戦いであった。この日露での勝利が、アジ­ア、アフリカだけでなく当時、帝政ロシアの支配下にあったフィンランド、バルト3国、­ロシアの強い影響下に置かれていた東欧各国に勇気と希望を与えました。

日露ののちにフィン­ランドは独立戦争を起こし、ロシアからの独立に成功する。第二次世界大戦中は、日独伊­と同じ枢軸国として日本の同じ陣営で戦う。(主に対ソ連)この国ではかつて、東郷平八­郎元帥のラベルが現地のビール瓶に張られ、英雄視されていたほどであります。
日本人からの­通称は東郷ビール!フィンランドではアミラーリと呼ばれるビールであります。
アミラーリのビールにはフィンランド­や他国の著名軍人をラベルに貼っていました。そのうちの一つが東郷元帥。

東郷元帥は日露の英雄。当時、日露で極東の小さな国である日本が大国ロシア(フィンラ­ンド、東欧、バルト3国、トルコ等がその力に悩まされていた。)に勝利をし、それに感­銘を受けたフィンランド人。

東郷平八郎元帥を敬い、ラベルにした。現在では東郷ビール­は生産していない。しかし、日本で生産しておりインターネットで買う事が出来ます。
日本­の文化、製品も多く入り、親日、知日派が多い。実際、この国に10日程滞在して、多く­のフィンランド人と出会い、交流しましたが、それを感じました。
最近の若者は東郷元帥に関して­知らない人も多くなったが、50代以上の多くの人々は知っているようです。

【海外日本関連物】タイ・バンコク・東京条約締結後に建てられた戦勝記念塔

戦勝記念塔とは、タイ王国のバンコク、ラーチャテーウィー区にある記念塔である。

1940年に起こったタイ・フランス領インドシナ紛争でフランス軍と戦って戦没したタイ王国軍兵士を慰霊するために、1941年にタイ王国の首都、バンコクに建てられた。
東京条約が2国間で結ばれ、日本がかんせんした。東京条約(とうきょうじょうやく)はタイ王国とフランス(ヴィシー政権)の間で勃発したタイ・フランス領インドシナ紛争の結果、日本の仲介により東京において1941年5月9日に締結された条約。
第二次世界大戦下において勃発した、友好国同士の紛争による両国の国力の疲弊を憂慮した日本による仲介が行われた結果、停戦と領土問題の解決を含む条約が結ばれ、これをもって紛争は終結した。

条約の結果、タイ王国は当初の要求通りフランス領インドシナのラオスメコン川右岸及びカンボジアのバッタンバン・シエムリアプ両州を獲得し、事実上の戦勝国となった。
しかし、その後第二次世界大戦に枢軸国として参戦したタイは1945年8月の終戦により敗戦国となったため、フランスに返還した。しかしフランスも第一次インドシナ戦争に敗北したため、これらの地を独立したカンボジアとラオスに引き渡した。