国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

国際政治

東ティモール・ディリ・港と周辺にある国会議事堂

ディリの港の隣。港の中には入れませんが、港の両隣が遊歩道になっており、人々が散策しています。
子供達が海に飛び込んでいました。
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東ティモールの国会議事堂前。
ちなみに日本大使館は東ティモール・ディリにあります。
日本の要人では2002年の独立の後に、時の首相である小泉純一郎首相が東ティモールを訪問。
その後、大臣、政務官級の政治家も東ティモールを訪問しています。
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港(貿易港)の近くにある公園で多くの若者が集まっていました。1999年の東ティモール紛争の際はまだ子供だな。

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港の両側は遊歩道になっています。西側は公園としても整備されており、写真にある椅子に座りながら海の景色を楽しんだり食事をしたりできます。
主に若いカップルのデートの場所となっています。

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東ティモール・ディリ・1991年のサンタクルス事件現場

This is the site where the Santa Cruz incident occurred in Nov 1991 in Dili in East Timor. I cherished the victims.
【1991年11月12日に起きた数百人が死傷したサンタクルス事件の現場を慰霊訪問】
1975年ポルトガル国内の政治的混乱
で独立の気運が高まった東ティモールは独立を宣言。
しかし、インドネシア政府が介入し、
軍を送り東ティモールを占領。

以後、何度も独立デモが東ティモールで
おこりました。
1991年の11月に起きたサンタクルス事件は
被害が大きいです。

東ティモール独立反対派の「ニンジャ」が、独立派の若者30人ほどが身を隠していたディリのモタエル教会を襲撃し、独立派の若者セバスティアォン・ゴメスと、アフォンソ・ランジェルを殺害しました。

この2名を慰霊する儀式を
サンタクルス墓地でおこない、独立派は
独立を訴えたところ、インドネシアの軍用トラックが
きて、独立派に向けて銃を乱射。
多くの方々が亡くなりました。

インドネシアの国家人権調査委員会の発表では
死者は約50人。
アムネスティ・インターナショナルは
52人の死者と発表。
東ティモール人による独自の調査結果で、死者273人、失踪者255人、負傷者376人と発表されました。

死者数に関しては定かではありません。

いずれにしろ人が亡くなられたのは事実
ですのでご冥福をお祈りいたしました。

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東ティモールの無垢な子供達!

The children in East Timor are very friendly.
Many children talk to me When I take pictures.
東ティモールは噂では聞いていたけど、
子供達が懐っこいな。

写真撮影していると
子供達が近寄ってきます。

ちなみに民族はメラネシア系です。
メラネシアというとソロモンやフィジー、
パプアなんかと同じですが。
ポリネシアよりも肌の濃く、縮れ毛、体格いいのがが特徴。でもここはかなり昔に血が混じったのかな?
縮れ毛ではなく、体格もフィジーなどに比べると
小柄。ミクロネシア系にも見える。
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東ティモール・ディリの空港から市街地までの送迎車

I used the free hotel transfer from the airport to the hotel I stay in Dili in East Timor. 東ティモールの空港到着後にホテルの無料送迎車にてホテルに。空港から市街地までは7キロ程。
事前にAGODAでホテル予約していましたが、往復空港無料送迎があるところにしました。

某情報筋からの情報では、タクシー利用では片道10ドルが相場のようですが、往復20ドル。お金もうきました。
車は三菱のパジェロです。日本車が多いですね。東ティモールも。

AGODAで予約して、要望のところに英語で
Please pick me up at the airport.
My flight detail is below.

MI296: Mar11th Departure:9;25am Arrival:14:25

と伝えたのですが、ホテルのEメールアドレスがあれば直接
送りたかったのですがEメールアドレスが見つからず
国際電話をしようかと思いましたが、長い話になると
お金もかさむ。
もしいなければタクシーでと思ったのですが、
空港に出迎えが来ていて感動しました。

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渡航歴65か国目となる東ティモールに到着

渡航歴65か国目となる東ティモールに到着】
I arrived Dili in East Timor 1hour ago. East Timor is independent new country in 2002. This is the first time I visit East Timor and this country is the 65th country I have visited in my life.
2002年に独立した新しい国
東ティモールに無事に到着。
東ティモール紛争で有名な国。
国連、PKO自衛隊も派遣された国です。
初めての訪問ですので渡航歴が1か国増えて
65か国に。65か国目の渡航国。

アジアでは中央アジアを抜かして
訪れていないのはモルジブと北朝鮮
のみとなりました。
※欧州はアイスランドのみ)

シンガポールからシルクエアー
(ティモール航空ではなかった)
を利用してインドネシア上空を通り3時間40分程
で到着しました。

空港でビザが取得できるので
30USD払い入国。

今までで一番小さな国際空港でした。
こないだのブータンのパロの空港よりもっと小さい。

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東ティモール紛争で有名な2002年に独立した東ティモール潜入!

I will go to East Timor which was independent in 2002. I will use Timor airlines from Singapore and will stay there for 4days.
さて明日から21世紀最初の独立国である東ティモールに単独潜入します。
(21世紀に独立した国では、旧ユーゴのモンテネグロ(2006年独立)、コソボ(2008年独立)に2014年に単独訪問以来です)

ネット環境がよくないようで、しばらくアップできないかもですが心配しないでください。
4日間の日程で赴きます。

東ティモールときいて知らない方
もいると思いますが、インドネシアの隣国で
2002年に独立した新しい国です。
16世紀にポルトガルによる植民地にされ
(インドネシアはオランダ)、
以後長い間、ポルトガルの
植民地でした
(西ティモールは途中からオランダによる統治)

先の大戦ではインドネシアと同じく
日本の占領下に(日本軍がディリに駐留)。
日本軍の痕跡も少し残っています。

戦後、ポルトガルに再び統治されましたが、
ポルトガルの左派を中心とした
カーネーション革命が1974年に起こり、
植民地の維持を強く主張した
従来の保守独裁体制が崩壊すると、
東ティモールでも独立への
動きが加速し、反植民地主義の
ティモール社会民主協会が即時完全独立を要求しました。

他にポルトガルとの関係維持の
ティモール民主同盟 (UDT)、
インドネシアとの統合を主張する
アポデディの三つが政党として
旗揚げしたのですが、この動きは、
東ティモールの領有権を主張し、
反共主義を国是とするインドネシアのスハルト政権にとっては容認されず、インドネシアの1976年の併合を招きました。

1976年の併合後、これに反対するティモール人
がデモをおこなっていたところ、インドネシア軍の
攻撃をうけて400人近い人々が亡くなりました。
(サンタクルス事件)
併合後~1980年代で20万人近いティモール人が犠牲になったと言われています。

1998年にスハルト独裁政権が倒れてから
独立の気運が高まり、1999年
8月30日の選挙で独立が決定したのですが、
これを不服とした反対派民兵とその
後ろ盾となっていたインドネシア国軍が
東ティモール住民を襲撃し、町を破壊しました。

東ティモールは、1999年9月20日から展開した東ティモール国際軍や2000年2月から活動を開始した国際連合東ティモール暫定行政機構などを経て、2002年5月20日に独立を達成しました。
ちなみにPKOで自衛隊も派遣されています。

※海外初心者には渡航をお薦めしない国ですが、
プロとして単独潜入し調査します。ココ最近は治安が安定しているので問題はないと思いますが、万が一の際は・・・

あと、ネット環境がよくないのでしばらく投稿出来ないかもですのでご承知いただければと思います。

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東ティモールへの渡航計画

【東ティモールへ!危険度が高いインドネシアの航空会社にしようかそれともシンガポール経由にしようか。】
I`m planning to go to East Timor which is independent in 2002 next week. There is no direct flight between Bangkok and East timor,so I need to go to Singapore or Bali island and need to buy another air ticket between those countries. I`m afraid of using Indonesian airlines(EU(Europe Union Prohibited the airplane entry into Europe)

さて、ブータンで撮影した映像や写真整理が出来たので東ティモール行きの計画を建てます。

前にお伝えしたとおり、バンコクから東ティモールまでは直行便が出ていないために直行便の出ているインドネシアのバリ島かシンガポールまで行かねばなりません。

どっちにしようか考えてますが、費用でいうならば
バリ島のほうが少し安い。
バリまではタイ航空で往復35000円程、そこからインドネシアの航空会社GA(ガルーダ)の子会社であるシティーリンクか同じくインドネシアの航空会社のスリウィジャヤ航空が往復で2万円程でとれます。

シンガポールの場合はエアアジアでバンコクとの往復が2万円程。
そこからティモール航空が出ており価格は往復で6万程。

バリとシンガの差額は2万~2万5千円程。
バリ島のほうが安いのですが、大きな懸念があります。

それはインドネシアの航空会社が安全性が問題視されているからです。欧州にはインドネシアの航空会社の乗り入れが禁止されている。安全性に問題があるとのことで。

インドネシアのフラッグキャリアであるガルーダインドネシア航空は今までに10回以上墜落事故をおこしており、自己の中で利用したくない航空会社の上位にくる。

そのガルーダの子会社のシティーリンク、似たようなスリウィジャヤ航空。

まあ、墜落する可能性はかなり低いのは分かっているのだが、利用したくないですね。

しかし、ティモール航空もまたどうなのだろうか?と思う。

今までに35社以上の航空会社を利用してきました。(搭乗本数は130本程)安心できる航空会社とそうでない航空会社はあります。
これは、皆さんが何かを利用する際に安心できる店、会社、そうでない会社ががあるのと同じです。

シンガまでいき、久しぶりにシンガのカジノ(マリーナベイやセントーサ)にでも行こうか(ブルガリアのカジノでは36000円儲けた)
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【国民の幸福度の高いブータン?何が理由なのか?】

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【国民の幸福度の高いブータン?何が理由なのか?】

ブータンからタイのバンコクに戻ってきました。
ブータン航空を利用しブータンのパロから
インドのカルカッタ経由でタイのバンコク。

国民の幸福度GNH(Gross National Happiness)が高い国と
して知られるブータン。
何が国民を幸福と感じさせているのでしょうか?

これには様々なものがあると思います。

1人当たりのGDPは年間2700ドル程と経済だけをみれば後発開発途上国の部類に入りますし、ブータン人の平均寿命も70歳に満たない。(昔に比べ医療技術進歩したので平均寿命も伸びている)
インフラや福祉が整っているといえばそうでもない。
娯楽産業も多くない。
日本のように様々な国の料理が食べられるわけでもない。

皆さんが幸せを感じる時はどんな時でしょうか?
お金があるということは確かに幸福のうちの一つなのでしょうが。
お金があればいろいろな事が出来るのは事実。
健康でない人からすれば五体満足の健康な人々が幸せに見えるものです。
順風満帆の人生、自分の希望の進学、就職、結婚相手、恋人、満足のいく結婚生活、社会的地位の獲得、収入、名誉、名声、自分の好きな事をしている、趣味が充実、人間関係がうまくいっている、夢や目標達成等。

それではブータンの人々はどんな所に国民が幸せを感じるであろうか?
これは様々な人々への聞き取りや自らの目で見てきて調査
した結果で私的に思うことでもありますが・・・

一番は、ブータン国民の心の持ちようなのかもしれません。(宗教的、民族的側面)

ブータンというのは敬虔な仏教国(チベット仏教系)。
信心深いブータン人は寺院に頻繁に参拝します。そして平和や幸福を願っています。

嫌な事や不幸な事があっても物事を明るく考える。
常に自分が幸せだと考え定義づける。

ブータンの政府は2年ごとに国民に調査をおこなっているのですが、

GNHは

1.心理的幸福、2.健康、3.教育、4.文化、5.環境、
6.コミュニティー、7.良い統治、8.生活水準、
9.自分の時間の使い方の9つの構成要素からなっています。

※病院や水道、学校は一部をのぞいて無料。
→ここも国民の幸福度の要因となっています。

他にブータンは自然が豊富な国で大自然の中での生活。そして国の宝ともいえる自然環境保護には積極的です。
ここも国民の幸福度の要因になっていると思います。
※日本では東京などの大都市では便利で楽しい反面、人工的なストレスも多く、日本の企業はより厳しい社会であるので会社内でのストレスも受けやすい。

GDPで計測できない項目の代表例として、1の心理的幸福が挙げられます。
正・負の感情

★正の感情  1.寛容、2.満足、3.慈愛
★負の感情  1.怒り、2.不満、3.嫉妬

すなわり正の感情が強く、負の感情が低ければ幸せ度数が高いのです。ブータン国民は正にそれに値すると思います。

経済も発展し、インフラも整い、社会保障の充実した先進国の中では日本も含めてうつ病患者が多いのは事実です。日本も江戸時代まではうつや神経症などの病気はほとんどなかったものですが、明治維新、開国により欧米も文化が流入し、戦後は焼け野原からの高度経済成長による発展。物質的には豊かにはなったものの
反面、病んでいる人々も多いのが実情。

ブータンもそうなのですが、いわゆる熱帯の発展途上国の中には自殺者、うつ病者が少ないのが実情です。
それはやはり、人々の心の持ちようなのだと。タイでもマイペンライという精神がありますが、嫌な事があってもすぐに忘れる、気にするなという精神は感心できるものです。

どこの国とはいいませんが、日本の隣国には下記にある正の感情が弱く
負の感情が強い国がありますが、海外にいて出会うそれら人々の顔を見ているとそれらが顔や表情にでています。(数多く接してきた私ですが)

★正の感情  1.寛容、2.満足、3.慈愛
★負の感情  1.怒り、2.不満、3.嫉妬

人間が幸せに暮らす過程で
正の感情を強めて、負の感情を弱める事が重要だと思います。

ブータンにきて実感いたしました。
ブータンでは前述した闇の部分もあるのですが、国民の多くは自身が幸せであると思っています。

ブータンの人々は自国、民族の誇りがあり、自然や生き物を大切にする。そして感謝の気持ちがあります。
そして正直で発展途上国にありがちな人を騙すという事をする人々は非常に少ないです。
殺人の犯罪はほぼ皆無に等しく、傷害も年間200~300件程度。

日本は世界的にみて素晴らしい国(これは世界の多くの国々が認めている)ですが、資本主義経済が浸透し、金のためなら手段をいとわない銭化け亡者や人を騙してお金をとる詐欺師も少なからずいるにが実情。

今一度、日本人は自らの民族を見つめなおす時がきているのではないかとブータン渡航して実感しました。

【ブータンの対外関係は?】日本、インド、中国とは?

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【ブータンの対外関係は?】
ブータンは人口70万人、面積は九州より少し小さい国です。人口70万人といえば日本の地方の政令指定都市(熊本市、静岡市、相模原市、岡山市等)と同じくらいの人口です。

軍隊は志願制の陸軍で、総兵力は約1万人(ブータン王国軍約7,000人、ブータン国王親衛隊約2,000人、警察官約1,000人)。軍事費がGDPに占める割合は約2パーセント程度で、約1,700万ドル。

内陸国ゆえに海軍はなく、空軍もないのが実情。

小国ゆえに隣国のインドに安全保障をゆだねているのが実情。

ちなみにブータンは、非同盟中立政策をとり、
国際連合安全保障理事会常任理事国の
いずれとも外交関係を持っていないです。

現在、52か国、EUとの外交関係を結んでいます。
SAARC(南アジア地域協力連合)の加盟国で、
1971年には国連加盟。

※隣国インドとの関係は※
隣国インドとは深い関係ですが、
ブータンとインドは相互の国民が、
お互いの国を観光するときにビサ等必要なく、
身分証明書のみで大丈夫です。
また、ブータン国民がインド国内で
就労する際に法的規制はないです。

ブータン国内には数多くのインド人労働者
がいます。

※隣国中国との関係は※
中国とは国交を結んでいないブータン。

図で見ていただけると(ガイドさんからいただいたもの)
ブータン北部とブータン西部の点線の部分が中国共産党により
中国領と主張されている。
国土面積は、従来約46,500km2であったが、2006年に発表した新国境線では、約38,400km2にまで減少。

これに対してブータン政府は中国共産党政府に対して
抗議をおこなっているものの交渉は難航。

そもそもチベットは戦後に中国共産党が無理やり侵入し奪った
のですが。

政府は大国である中国と国交は結んでいないものの
争いをさける努力をしているのが実情。

国民の中国に対しての感情はこういった
問題もあり悪いです。

インドも中国と領土問題を抱えており、同じ立場ですので
ブータンの強い見方です。

※日本はどうなのか※

これは前述したとおり、ブータン人の対日感情は非常に良く
両国間で非常に良い関係が築けています。
ブータンの最大の援助国(資金、技術双方)は日本。

国民の対日感情が良い理由は下記。

1.ブータンの農業の父、ダショーと呼ばれた日本人・西岡京治氏(ブータン在住28年)のブータンの農業改革への多大な貢献
→これが一番大きいように思われます。

2.日本のODA援助、JICAや青年海外協力隊のブータンへの援助協力、技術協力
→日本はブータンにとって最大のODA援助国(無償援助と有償援助)でインフラの整備(道路やダム、橋、建物、下水等)や技術供与、教育支援、農業、農村開発等
→こういった日本の貢献を国民の多くが知らされている。

3.日本の皇室とブータン王室は緊密な関係
→平成23年(2011年)11月に国王夫妻が来日、それより以前、昭和天皇崩御の際に、大喪の礼参列のため、民族衣装「ゴ」の礼服姿で数人の供を連れて来日、ブータンも1ヶ月間喪に服しました。

日本からは、昭和62年に現皇太子殿下、平成10年に秋篠宮殿下が行啓。

4.日本製品がブータンで流通
→自動車、家電製品、農業機械等の日本製品がブータンで流通。日本製品の技術に対しての信頼も高い。

ブータンの農業の父である西岡京治氏に関しては後ほど言及させていただきます。

※ブータン南部諸問題※
ブータン南部にはネパール系の住民が多く住んでいます。1980年代後半から1990年代にかけて民族国家としてのアイデンティティを確立しようとする政府とネパール系住民との対立が深まり、約85000人が難民として国外脱出(主にネパールに)

他にインド北部のアッサム地方の過激派の反インド政府ゲリラ。
ブータン南部に彼らが侵入したのですが、反ブータンではなかったのでブータン政府は当初黙認していました。
しかし、ゲリラが基地を国内に建設したのに
政府はゲリラ基地を一掃する事を決定し、
2003年12月に全面的に戦闘に陥り、ゲリラを一掃しました。

【幸福度の高い国ブータンと言われているが、実際は?薬物汚染が広まり、失業者や犯罪率が増大?】

【幸福度の高い国ブータンと言われているが、実際は?薬物汚染が広まり、失業者や犯罪率が増大?】

AFPがブータンでの薬物汚染や失業率に関して現地レポしていましたが、それを見た方々の中にか欧米的な押しつけがましい目線と言っていた方がいましたが、果たしてどうなのでしょうか。

資本主義経済、貨幣経済が浸透してきている昨今のブータンにおいて状況は20年前と比べて大きく変わってきているのが実情です。
25年くらいまえの1人当たりの年間GDPは280ドルだった時代(つまり、国民は1日1ドル以下で生活していた)
今では10倍の2665ドル。それでも一人当たりのGDPは低いのが実情です。

ブータン国王が平成23年に訪日した際に、語った国民総幸福量(いわゆる幸せの指標、GNH。
これに関しては後術します。

若者は他の国々と同じように都市を好む傾向にあります。
そしてそういった若者達が農村を離れ離農、都市部へ職をもとめて流入。(1980年代、1990年代は逆に農業に従事する人々が増えていたのですが)
しかし、工業の発展していないブータンではなかなか産業が発展していないのが実情。なかなか職を得れなかったり、失職(失業)する人々も多いのが実情。(首都のティンプー市街地を散策時に目がイッテイル(キマッテる)若者達を見かけました=顔でヤクをやっているかどうか分かる。

そういった中、若者を中心に薬物(大麻、合成麻薬MDMA等)が出回り薬物中毒者を生み出しているのは事実です。また酒におぼれるアルコール依存症の人々も増えているのが実情。
調査の中では都市部にいる若者の2パーセント程が薬に手をだしているとのこと。ほとんどは隣国のインドから入ってきています。

すりや置き引きなどの窃盗も増えているのは真実です。

これらは、20年程前までは考えられなかったことです。

1999年(平成11年)まで外国の文化に洗脳されないようにテレビやインターネットを禁止していたブータン。解禁後に、若者を中心に欧米化も進んでいるのは実情。SNSも流行り様々な情報を得れるようになりましたが、20年前までは考えられなかった事が起きているのは事実です。

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