国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

国際政治

ウクライナ・キエフ・ウクライナ軍軍事パレード!Ukraine Military parade

ウクライナ・キエフ・ウクライナ軍軍事パレード!Ukraine Military parade in Kiev,Ukraine2018年8月20日

キエフ市内で再び軍事パレード。
ウクライナの陸海空軍が参加。

ウクライナ軍の
総員24万5千人(内、軍人18万人)。

 ウクライナ軍
ウクライナ陸軍
ウクライナ陸軍航空隊
ウクライナ海軍
ウクライナ海軍航空隊
ウクライナ空軍

ロシアとの関係悪化で軍事的脅威が増す中
でのパレード。

キエフ市内で軍事パレード。
ペトロ・ポロシェンコ大統領の姿も

ウクライナの第5代大統領であるペトロ・ポロシェンコ氏は
ウクライナ最大且つ、人気菓子メーカー「ロシェン」の設立者で、事業を多角化し、自動車・バス工場、造船所、テレビ局を傘下に収めて、ウクライナ有数の大富豪としても知られています。

1998年に当選し、国会議員になり、外相や経済発展、貿易相などを歴任。2013年の政変、翌年のウクライナ騒乱でヴィクトル・ヤヌコーヴィチ前大統領がロシアに亡命。
2014年6月7日に大統領に正式就任。

旧ソ解体とともに独立を果たしたウクライナ。2013年の政変に乗じて、2014年にロシア系住民が多いクリミア州がロシアにより併合。
同じくロシア系住民が多い、ドネツク州においても親ロシア派がドネツク人民共和国としてドネツク州南東部を事実上、占領し建国宣言。ウクライナ政府部隊との間で散発的な戦闘が継続中。
ドネツク人民共和国側(ウクライナ側からはテロリスト指定)には、当初、元ロシア連邦軍参謀本部情報総局出身で、ボスニア紛争やクリミア紛争などでの戦闘経験が豊富なイーゴリ・ストレルコフが2014年4月~8月に「国防相」を務めました。
ストレルコフは離任後、ドネツク人民共和国の運営や軍事活動にロシア政府が関与していることを証言しています。

対露関係が非常に悪化している中、ウクライナはかつて旧ソロシアを見限り、NATOに救いをもとめ、EU加盟を希望。
日本は欧州最貧国のウクライナに巨額ODA援助をしています。対日感情が良好なのもそういった日本の支援、日露戦争での日本の勝利、対露関係で共闘出来る点、メディアで日本が良いように宣伝されている点など。

多くのウクライナ人が大歓声をあげて
軍事パレードを見ていましたが、ロシアによるクリミア併合、ドネツク州問題などでロシアと何時、大規模な戦争になる可能性もある状況下(これは国際関係上かなり、ロシアが攻め入ればNATOやアメリカ、国連が動くので、ロシアもなかなか踏み込めないのが実情)において
ウクライナ人の心情を垣間見る事が出来ました。

【未承認国家】北キプロス・トルコ共和国潜入!Republic of North cyprus Turky

北キプロス・トルコ共和国実効支配地。事実上、南のキプロス共和国の統治が及ばない、トルコのみが承認する国連未承認国家です。
レフコシアの旧市街北側に南北を分断するグリーンラインが設定され、旧市街内から北側に行くことが出来ます。
高い場所にきて、レフコシアの北側に大きな山々があり、トルコやキプロス・トルコ共和国の国旗が。

In the Past,After WW2,Greece residents and Turkish residents in Cyprus fought with each other and Greece army and Turkish army join the Conflict. Turkish residents declared independence from the south and founded the northern Cyprus republic on Nov 15th in 1983.(Turkish government admitted it)
In recent 15 years,the traffic of people has become easier as compared with before. I will also go to North Cyprus at this time.

初訪問のキプロス共和国。日本人に馴染みが薄い国(というよりも非欧州もしくは中東諸国民には認知度が低い)。
トルコの南にある小さな島国です。

キプロスは歴史的に様々な民族、国々に支配されていましたが、住民は主にギリシャ系。ローマ帝国⇒東ローマ帝国⇒ウマイヤ朝⇒ウマイヤ朝と東ローマ帝国の共同統治⇒東ローマ帝国⇒イングランド⇒リュジニャン家⇒ヴェネツィア共和国⇒オスマントルコ⇒イギリス⇒1960年にイギリスから独立。

ギリシャがオスマントルコに支配された時代に、トルコ人が移住。ギリシャ、トルコ系住民双方がイギリスからの独立し、ギリシャ系はギリシャによる併合、トルコ系はトルコによる併合を望み、イギリスから独立後。

1960年の独立後、1961年に英連邦加盟。
独立前1955年~紛争がおこり、1975年まで紛争が続き、ギリシャ軍やトルコ軍が介入し、結果的にはトルコ側の勝利となり、トルコ系住民は、1983年11月15日に、北キプロス共和国建国’(事実上独立状態、国連未承認国家、トルコのみ独立承認)。
現在は名目上は紛争が終結しておらず、停戦中ですが、停戦から40年が過ぎ、以前に比べ、北と南の往来がしやすくなりました。
先月、未承認国家である沿ドニエストル共和国を訪問した小生ですが、今回はキプロス滞在中にトルコ系住民の北キプロス共和国にも潜入します。

旧ソ構成国を周って、民族や国家間の根深い争いがあることを垣間見る事が出来ましたが、トルコと周辺(アルメニアやギリシャ、キプロスなど)諸国民との争いも根深いものがあります。

ギリシャ系住民とトルコ系住民の間で南北に分断されています。北側はトルコが支援し、トルコのみが国家承認する国連未承認国家(南のキプロス共和国の統治が及ばない事実上の独立国家)。

キプロスには北キプロスに行く複数の場所があるのですが、そのうちの1つが、レフコシア旧市街リドラ通りにあります。旧市街自体も南北に分断されています。
2004年までは、北キプロスから南への越境が難しかったのですが2004年以降は、南北の移動が容易になりました。
目視で確認していると双方の国民(’特にトルコ系が南に)が往来している姿を見る事が出来ました(海外のプロですので、民族の顔の違いを認識できる)

南に比べて経済が遅れた北キプロス。トルコ以外国家承認していないために、他国との貿易も基本的にはおこなわれておらず、トルコけいゆとなります。
トルコ系はイスラム教徒なので、至る所にモスクがあります。
南北の往来が楽になり、外国人観光客も多く往来。
外貨獲得のためにトルコリラだけでなく、ユーロ表記をするレストランも多くあります。

【未承認国家潜入】親露派が牛耳るドニエストル共和国の首都のティラスポリ!

親露派が牛耳る沿ドニエストル共和国に(モルドバ政府の統治が及ばず、事実上独立状態にあるが、国際社会で国家承認されていない未承認国家)
単独での渡航は緊張します。ここまでいくには幾つかの方法があるのですが、そのうちの1つがバス。
モルドバの首都のキシニョウから1時間に1本以上でており、時間は2時間前後(距離でいうと60キロほど)
費用は37レウ(240円程)。

日本人はおろか、アジア人は自分だけ。
ドニエストル共和国側に入る際のモルドバ側の出国審査は無し(モルドバはドニエストル共和国の独立を認めていない)、ドニエストル共和国に入る前に、審査があります。
バスから降りて、事務所に行き、パスポートを提出。
以前は、用紙に記入する必要があったのですが、今は記入の必要はなくなり、口頭での質問に答える感じです。
向こうはあまり英語が話せず、ロシア語で話しかけてきますが、なんとなく言っている意味が分かったので、片言の英語(時折、ロシア語を混ぜ)て会話。
日帰りと伝えたのですが、3日間の滞在許可をもらいました。
スタンプはパスポートに押されず、写真右の証明書を渡されます。

日本のパスポートは世界で最も強い効力のあるパスポートといっても過言ではありません。。旧ソ構成国内では、アメリカに対しての感情が悪い国が多く(反露派の国々も)、アメリカのパスポートを出すと、嫌悪感を示す審査官が多いのが実情(これは、中東諸国においても同じ)。

※日本と国交のあるモルドバ共和国の統治が及ばない
未承認国家である沿ドニエストル共和国ですが、覚悟がない人々は、訪れるべきではありません。
それは、国家未承認で日本との外交関係は無しなので、日本大使館、外務省の効力が及ばない事がありえるからです。(正確にのべれば、親露派の国でロシアが援助している国なので、ロシアに助力を願えばですが)自己責任の上での渡航です。

見所が固まっているので周りやすかったです。
ドニエストル川、複数のロシア正教教会、旧ソの匂いを感じさせる数多くあるブロンズ像
トランスニストリア戦争時に使用された戦車。旧ソを称え、戦争時の様子が良くわかる歴史博物館訪問などなど。

日本のパスポート「世界最強」に!世界で一番!理由は?信頼される日本人! ビザなし渡航先最多190か国

日本のパスポート「世界最強」に!世界で一番!理由は?信頼される日本人! ビザなし渡航先最多190か国(現地空港取得含)

英国の調査会社ヘンリー&パートナーズによる調査により、日本のパスポートが世界で一番に!世界最強のパスポートである日本のパスポート。

ヘンリー・パートナーズ者の「ヘンリー・パスポート指数」によると、日本のパスポートを持っていれば、世界190カ国・地域にビザなし渡航、または到着時のビザ取得で入国できます。

海外に出始めて早20年。
長期留学や海外赴任などを経験、海外79か国渡航(未承認国家を含めて81か国)、数多くの国々、都市を訪問し、日本のパスポートの強さと日本人の信頼性を実感しました。

動画内では、何故に日本のパスポートが世界最強になったのか、理由と、日本のパスポートが海外の犯罪者の狙われている(盗まれる)理由(裏では高値で取引きされている)

日本の偽造パスポートが出回り、日本人に成りすます人々や日本人の利点、特権を利用するために帰化する外国人などまで言及。

【未承認国家】モルドバ共和国→親露派ドニエストル共和国の首都のティラスポリ!

渡航歴70か国+未承認国家1か国
親露派が牛耳る沿ドニエストル共和国に(モルドバ政府の統治が及ばず、事実上独立状態にあるが、国際社会で国家承認されていない未承認国家)
単独での渡航は緊張します。ここまでいくには幾つかの方法があるのですが、そのうちの1つがバス。
モルドバの首都のキシニョウから1時間に1本以上でており、時間は2時間前後(距離でいうと60キロほど)
費用は37レウ(240円程)。

日本人はおろか、アジア人は自分だけ。
ドニエストル共和国側に入る際のモルドバ側の出国審査は無し(モルドバはドニエストル共和国の独立を認めていない)、ドニエストル共和国に入る前に、審査があります。
バスから降りて、事務所に行き、パスポートを提出。
以前は、用紙に記入する必要があったのですが、今は記入の必要はなくなり、口頭での質問に答える感じです。
向こうはあまり英語が話せず、ロシア語で話しかけてきますが、なんとなく言っている意味が分かったので、片言の英語(時折、ロシア語を混ぜ)て会話。
日帰りと伝えたのですが、3日間の滞在許可をもらいました。
スタンプはパスポートに押されず、写真右の証明書を渡されます。

日本のパスポートは世界で最も強い効力のあるパスポートといっても過言ではありません。。旧ソ構成国内では、アメリカに対しての感情が悪い国が多く(反露派の国々も)、アメリカのパスポートを出すと、嫌悪感を示す審査官が多いのが実情(これは、中東諸国においても同じ)。

しかし、日本を嫌う国々は周辺諸国のみで
日本と聞くと世界のほとんどの国々の人々はよく思うのは事実です。

※日本と国交のあるモルドバ共和国の統治が及ばない
未承認国家である沿ドニエストル共和国ですが、覚悟がない人々は、訪れるべきではありません。
それは、国家未承認で日本との外交関係は無しなので、日本大使館、外務省の効力が及ばない事がありえるからです。(正確にのべれば、親露派の国でロシアが援助している国なので、ロシアに助力を願えばですが)自己責任の上での渡航です。

もちろん小生は諜報のプロとして事前の情報収集は緻密におこなっていますので、そこらへんの素人とは違い、危機管理能力を発揮し、危険回避をおこない、無事に調査を終える自信はありますが。

見所が固まっているので周りやすかったです。
ドニエストル川、複数のロシア正教教会、旧ソの匂いを感じさせる数多くあるブロンズ像
トランスニストリア戦争時に使用された戦車。旧ソを称え、戦争時の様子が良くわかる歴史博物館訪問などなど。

フランス・パリ・オペラ地区!日本食街!2018年5月12日テロ現場!現地視察!警察による警備強化

【パリのオペラ地区を警戒警備中の屈強そうな警察官】

先々月5月12日に21時ごろ、パリのオペラ地区でナイフを持った男が通行人5人を襲撃する事件が起きました。

29歳のフランス人男性1人が死亡、54歳の女性と34歳の男性が重症、26歳女性と31歳男性が軽症を負いました。
犯人は駆けつけた警察によって刺殺されました。

現場となったのはブックオフの前の通り。
人通りが多く、日本企業の支店が複数あります。

これを受けて、警察はオペラ地区の警備を厳重にし、パトカー1~2台配備し、6~7人の警察官が常駐しています。

フランスはここ4年で数多くのテロ事件が起きています。
フランスの諜報機関は事前にテロリストの様々な情報を得ていますが、警察との連携の中、警備が薄いところを狙う傾向にあります。
テロはこれからも起きるでしょうが、テロ現場に遭遇したら逃げることを優先させるべきです。

オランダはかつては反日国だったのか?今はどうなのか?現地アムステルダムより発信


【オランダはかつては反日!?】
オランダは欧州の中ではポルトガルと同じく古くから交易があった国です(17世紀から)。江戸幕府、3代将軍、徳川家光の時代に鎖国政策が整い、欧州ではオランダだけが交易を認められるようになりました。

先の大戦では、オランダ領インドネシアなど南方でオランダとも激しい戦闘を繰り広げた日本。その後の独立に繋がったインドネシアの人々はオランダの圧制に苦しんでいたのは事実で、日本軍進駐を歓迎し、日本軍が進駐しやすいように内から協力したのは事実です。

第二次世界大戦が終了し、オランダが再び、インドネシアを占領しようとしましたが、インドネシアは日本に見習えと独立戦争を4年5か月にわたり展開し、独立を勝ち取りました。(これには数多くの残留日本兵がインドネシア独立のために尽力したのは多くの人々の知るところとなっています。)

そんな経緯があり、戦後、オランダは反日国でした。
ネットでは嘘情報(フェイクニュース)が垂れ流しになっており、フランスやタイが反日だったとか、反日だとかどこかのカルト宗教の信者や左派が嘘を流していますが、絶対にそれはありません。
ネトウヨと揶揄されるろくに海外に出たこともなく、世界の真実を知らない、民族派のように活動も出来ない自称自認保守(カルトが垂れ流すフェイクニュースに踊らされている人々)は真実を見極める目をもったほうはよい。というよりも海外に出て、自分の目と耳で確認しなさいと。

しかし、オランダがかつて反日であったのは事実です。
しかし、戦後73年が過ぎ、戦争体験の世代が減り、今では反日国ではなく、親日知日の人々も戦後世代を中心に増えています。
実際に多くのオランダ人と接して(今までの人生でも)、日本に対して良い感情をもつ人々が増えていると実感しています。

隣国のように反日教育による洗脳をしていませんので、いつまでも謝罪や賠償といっている人々ではありません。
まず、先の大戦では、日本は負けました。勝てば官軍、負ければ賊軍のごとく、敗者は歴史上では悪くなるわけです。

しかし、日本が戦わなければインドネシアの独立はなかったのは事実で、そういった意味では、負けはしたものの、日本が欧米列強にたちむかったことには意義があるのだと思います。

オランダとは先の大戦では戦いあったものの、欧州の中では古くから交易のある国です。そういった意味では日本にとっても感慨深く、大切な国だと思います。
天皇皇后両陛下は行幸啓されたオランダ。
さらなる日蘭友好を現地より願っています。

オランダ・アムステルダム・ダム広場!独立を目指す東トルキスタン共和国亡命政府、ウイグル人団体との交流

【独立を目指す東トルキスタン共和国亡命政府、ウイグル人団体との交流】

アムステルダムのダム広場では、法輪功やウイグル人の団体が中国共産党に対しての抗議活動を展開していましたが、両者に聞き取り調査をさせていただきました。

まずは、法輪功では北京出身でアムステルダムの大学に留学している男性より話しをききました(英語力はかなりの上級者)。

その次に、ウイグル人の団体に聞き撮り調査。
現在、オランダに居住しているウイグルの人々です。ここにいる方のお父さんや兄弟が、刑務所か政治収容所に入れられており、数多くのウイグル人が中国共産党により虐殺されていると訴えていました。

日本が先の大戦で敗戦した4年後、1949年、国共内戦で勝利した中国共産党は中華人民共和国を建国すると、国民党勢力の残存していた地域へ侵攻してこれを制圧。これによって新疆は中華人民共和国に帰属されることとなった。この地域の中華人民共和国による併合後、民族名称はウイグル族と公式に定められました。

中国共産党は1950年頃から新疆ウイグル自治区に漢族を中心とする新疆生産建設兵団を大量に入植させました。
当初、入植当初人口7パーセントだった漢族が1991年には40パーセントになりましたが、このような方法は確実な併合とするべき、中国共産党の策略の1つです。

ウイグルは石油と天然ガスの埋蔵量が豊富ですので中国共産党としてもこの地区は絶対に手放したくないのです。

旧ソ解体、東欧の民主化(ルーマニアのチャウシェスク政権崩壊など)、ユーゴスラビア解体など、共産社会主義国であった国々が、次々と民主化し、連邦を組んでいた国では連邦内の国々が次々と独立。
その世界的な動きに乗じて、ウイグルでも独立の気運が高まりました。数多くの抗議でも活動を展開し、多くのウイグル人が中国共産党が送り込んだ公安や警察などに逮捕、処刑されました。

2009年ウイグル騒乱は非常に大きなもので、漢人と争った多くのウイグル人が犠牲になりました。1万人近くが行方不明になり、処刑もしくは多くある収容所に送られたとのことです。

欧州を出た後に、旧ソ構成国でもあった中央アジア(カザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、キルギスなど)に赴きますが、ウイグル人の多い国々です。
これらの国々はではウイグルの機関が連携しています。

「東トルキスタン国」の建設を名目として活動を世界で展開しています。

2015年8月にタイのバンコクの江ラワン廟で爆破テロ事件があり、死者20名を出しました(現地踏査済)。
当初は、タイ国内の政治デモの争い、南部のイスラム独立派の仕業と考えられていましたが、タイ政府は、この1か月前に、亡命を目指していたウイグル人109人をシナ(中国)に強制送還した報復であったという見方が、タイの諜報機関の調査の見解です。

ウイグル、内モンゴル、チベットでは中国共産党が支配を続けるために、徹底的な言論封殺と圧力、外部への情報漏えいを防ぐことをしていますが、平和や人権と訴える日本共産党や社民党などの左派政党はこの問題に関してどのように考えているのであろうか。

共産党信者、共産社会主義者はある意味、カルト宗教の信者と同じです。カルト宗教のようなものなのです。教祖や上がいう事により洗脳され、真実を見極めることが出来ずに、目的達成のためには平気で嘘をつく。
こわいものです。

ちなみに、ウイグル地域には日露戦争前後に日本人が渡り調査をしていました。
1902年から1908年および1910年にかけては大谷探検隊、1905年には上海亜同文書院二期生の波多野養作、林出賢次郎、桜井好幸、1906年には参謀本部将校の日野強と上原多市が入りました。
彼らは情報収集活動をおこなっていましたが、ロシア動向を探るものであったのです。

大日本帝国陸軍は、満州、モンゴル、ウイグル、チベットやイスラム教勢力などを支援することによって、ソ連や中国共産党などの共産主義勢力を包囲する戦略として「防共回廊」政策がありました。

大日本帝国時代の諜報員に、西川一三がおり、 1945年に内モンゴルより河西回廊を経てチベットに潜行。戦後、インドを経て帰国した。ほかに木村肥佐夫も同様に諜報員としてチベットに入りましたが、両者にチベット入りを指示したのは戦後、A級戦犯として処刑された東條英機でした。

日本の諜報員はかつて海外で諜報業務についていました。
正直な話し、先の大戦で負け、GHQにより骨抜きにされた現代に日本においても海外で諜報活動に従事する人々が・・・。

ちなみに、現場にはシリア人もおり、色々とシリアの内情を教えて頂きました。

記念にウイグル人やシリア人と記念撮影。

捕鯨国家アイスランド・レイキャビク・鯨料理堪能!捕鯨問題を考える

【アイスランド名物の1つ鯨料理を堪能】
私は必ず中長期海外渡航で1か国に1回はその国の名物料理を食べるようにしています。お金はそれなりにかかりますが、せっかく他国に来たのであれば、その国の名物料理を食べなければです。

アイスランドは前述したとおり、日本と同じ漁業国家です。日本と同じく、年々、漁師の数は減ってはいるものの、漁業国家として名を馳せています。そして日本と同じ捕鯨をおこうなう国家としても有名。
よって、アイスランドの家庭には海鮮系料理は良く出ますし、鯨も食べている人々は多いです。

アイスランド近海では、北大西洋海流と北極方向からの寒流がぶつかり潮目を形成しており、この付近の海域は世界有数の漁場となっています。このため漁業は、古くからアイスランドの基幹産業す。

タラやアロンガ、ハドック、カレイ、ヒラメなどが獲れます。
日本はアイスランドから大量のカラフトシシャモを輸入しています。

アイスラドはEU非加盟国ですが、漁業資源の統制を失う懸念、捕鯨国であるという事が、EUへの加盟を拒否している理由です。

海外にあまり出たことなく、世界を知らない人々からすると白人=反捕鯨みたいな人々が多いのですが、それは間違いで、白人国家の中にも色々とありますし、白人の中にも色々な民族があり、白人全体を一色にして話す無知な人々がいるのは悲しいものです。

まず捕鯨国家は白人国家の中にも多くあります。アイスランド、ノルウェー、ロシア、フェロー諸島(デンマーク)、カナダなど。
アメリカも反捕鯨を訴えながらも一部で捕鯨がおこなわれています。

国際捕鯨委員会加盟国で
今後、捕鯨を行うことに賛成か、反対かの対立構造があり、2010年5月時点で国際捕鯨委員会(加盟国88カ国)の内、捕鯨支持国は39カ国、反捕鯨国は49カ国です。

一部の過激な反捕鯨団体であるシーシェパードやグリーンピースなどをあげて、アメリカやオーストラリア、イギリス、フランスなどの反捕鯨国が全てあのように捕らえてしまう人々がいますが、それは間違いです。

私は豪国に2年間居住(留学)しましたが、確かに豪国人の94パーセントは反捕鯨の考えです。しかし、一部の海外を知らない自称自認保守(ネット情報を鵜呑みにして世界事情を知らずにネトウヨと揶揄されている)の人々はオーストラリアは反捕鯨、日本を提訴したから反日だ!反日糾弾!などと言っている姿にはどれだけ、世界を知らない井の中の蛙なんだといいたいです。
現地踏査、現地で聞きとり調査(居住が望ましい)すればわかります。

確かに、豪国人のほとんどは反捕鯨。しかし、なんで、日本人は鯨を食べるんだ?食べる必要ないだろ?と思う程度で、裏から金をもらって活動している偽善団体の人々とは違います。(日本でも政治活動をおこなっている団体は裏から金がまわり活動している連中が多いが。最近では保守を標榜する団体がカルト宗教から)それでもって豪国人が反日だというのはあまりに単純すぎます。

現地に長期居住した身からすると思っていても口に出していわないですし、そこまで考えていない。先の大戦では太平洋戦線で戦いあった中ですが、戦後は貿易&人的交流で密接な関係にある日豪両国家。

日本の文化も入り、対日感情も良い国です。高校の授業では外国語の選択授業で日本語があるほど日本語学習者も多い。白人国家の中(正確にいうと移民も多いが)で一番日本語学習者が多いのではないか。

いずれにしても、氏素性の知れない人々が書いたネットでのフェイクニュースは多いですが、マスゴミなどと揶揄する前に(マスコミの情報とネット情報ではマスコミの情報のほうが真実が多い)しっかりと見極めれる力を身につけてほしいものです。

2018年6月海外再出発!海外渡航再開!欧州再訪、中東、旧ソ構成国、中央アジア周遊!

来週半ばに5か月ぶりの海外に出発することが決定しました。航空会社のホームページから直接予約、支払い&発券完了。

結局は中東系の航空会社(複数あるが、どの航空会社かは現地についてから報告)を利用。

今回は未踏国家を中心に周ります。
中東某都市経由で6年ぶりにイギリスのロンドンへ。
ロンドンから未踏国家であるアイスランド(出発までに往復航空券を予約)4~5日で訪問。
その後、ドイツに渡る予定(フランス人の友人がパリに久しぶりに来てと誘ってくれているので悩み中。7月初めにジャパンエキスポも開催されるので)

5回目のドイツ(確定)⇒久しぶりにチェコ再訪?スロバキアも?(未定)⇒ポーランド(確定)⇒旧ソ構成国のベラルーシ(ワルシャワから空路往復)、ウクライナ(ワルシャワから空路往復予定)
そして同じく旧ソ構成国のモルドバ、アルメニア、ジョージア、アゼルバイジャン
⇒中東に入り中東諸国周遊⇒空路で中央アジア(空路や陸路でウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタン、キルギス)訪問⇒中東に戻りトルコのイスタンブールから帰国。

欧州は最近では一昨年8月にブルガリア再訪、
平成27年(2015年)12月にマルタ共和国、
平成26年(2014年)7月~9月に2か月間周遊、
平成24年(2012年)5月~9月に4か月間欧州周遊、
平成18年(2006年)1月~2月に1か月程欧州周遊、
平成12年(2000年)ノルウェー+デンマーク訪問など。

今まで7回の欧州渡航経験がありますが
そのうち3回が欧州周遊(1回目は1か月、2回目は4か月、3回目は2か月)。アイスランド、旧ソ構成国、ロシアをのぞいた全ての欧州諸国を訪問。
周遊する際には必ず欧州の鉄道パスであるユーレイルパスを購入(1回目は3週間=8万程、2回目は3か月=22万程、3回目は2か月=17~18万程)。欧州の高速列車や寝台列車はほぼ全て利用しました。

今回は、西欧にあまり時間がかけれないのもあり、鉄道バスは買わずに飛行機とバス、鉄道を組み合わせようと思います。

欧州周遊の際に毎回訪れている
イタリアやスペイン、フランスを今回も訪れたいと思ったのですが、今回は行かない事に。

欧州+東欧&旧ソ構成国で1か月半程の期間
そこから中東+中央アジア2か月半=計4か月程。
今回は少し長めの4か月の海外渡航。
訪問国は最低でも20か国以上を訪問。
10月中旬に帰国予定。

今回4か月の海外渡航で行く可能性が高い国々は
1.イギリス(再訪確定)
5.ドイツ(再訪確定)
6.ポーランド(再訪確定)
7.フランス?(再訪・不確定)
8.ベラルーシ(初)
9.ウクライナ(初)
10.トルコ(初)
11.グルジア(初)
12.アルメニア(初)
13.アゼルバイジャン(初)
14.イラン(初)
15.イラク(初・不確定)
16.クウェート(初)
17.イスラエル(初)
18.オマーン(初)
19.カタール(初)
20.UAE(初)
21.サウジアラビア(初)⇒招聘状が必要なため今回断念
22.ヨルダン(初)
23.レバノン(初)
24.ウズベキスタン(初)
26.カザフスタン(初)
27.キルギス(初)
28.タジキスタン(初)
29.バーレーン(初)
30.キプロス(初)
31.アイスランド(初・確定)
32.ブルガリア(再訪・不確定)
33.コソボ(再訪・不確定)
34.マケドニア(再訪・不確定)
35.モルドヴァ(初)     等々

予定ですので変わる事もありますし
体調を見ながらなので無理はしないようにします。(来年、アフリカに行く際に中東再訪)

現在66か国の渡航歴(日本は40都道府県)

渡航国&都市は下記。

1.ネパール(カトマンズ、チトワン、ポカラ)
2.タイ(バンコク、プーケット、パタヤ、サメット,ホアヒン,チェンマイ、スコタイ、カンチャナブリ,ランタ島、ハジャイ 、サトゥーン、クラビ、ランタ島、サトゥーン、ハジャイ、パーイ、クンユアム、メ―ホンソーン、ピピ島) 
3.韓国(インチョン、ソウル) 
4.シンガポール 
5.中国(北京) 
6.カンボジア(シェムリアップ) 
7.オーストラリアは2年間留学(ブリスベン、ゴールドコースト、ケアンズ、ダーウィン、シドニー、メルボルン、ロックハン プトン、サンシャインコースト、マッカイ、タウンズビル、リズモア、トゥーウィードヘッズ) 
8.アメリカ(ハワイ、ロサンゼルス、サンタモニカ、ビバリーヒルズ、ウェストハリウッド、シアトル、サンフランシスコ) 
9.ノルウェー(オスロ、トロムセ) 
10.デンマーク(コペンハーゲン) 
11.オーストリア(ウィーン、ザルツブルグ、ハルシュタット) 
12.スロバキア(ブラティスラバ) 
13.イタリア(ローマ、ミラノ、フィレンツェ、ベニス、ナポリ、ボローニャ、カプリ島、リミニ、ソレント) 
14.バチカン市国 
15.スペイン(バルセロナ、グラナダ、マラガ、アルへシラス、タリファ、マドリッド) 
16.スイス(チューリッヒ、ジュネーブ) 
17.ドイツ(ミュンヘン、ベルリン、ケルン、フライジング、フュッセン、フランクフルト、アウグスブルク) 
18.オランダ(アムステルダム)、 
19.ベルギー(ブリュッセル) 
20.ルクセンブルク 
21.フランス(パリ、ニース、カンヌ、モンペリエ、レンヌ、シャルル、モンサンミッシェル) 
22.イギリス(ロンドン、バース、ウィンザー) 
23.フィジー(フィジー仕事で駐在1年 本島のほとんどの場所+西部の多くの離島訪問) 
24.ラオス(ビエンチャン、ルアンパパン、バンビエン) 
25.バングラデシュ(ダッカ)
26.ブルネイ 
27.スリランカ(コロンボ、キャンディ、ビーチリゾート) 
28.インドネシア(バリ島) 
29.ミャンマー(ヤンゴン) 
30.フィリピン(マニラ、モンテンルパ、パサイ、セブ) 
31.ベトナム(仕事で駐在 ホーチミン、ハノイ、ダナン、ホイアン、ニャチャン、ハノイ、ハロン湾、ミト、ムイネー、ファンティエン、クチ)
32. マレーシア(クアラルンプール、ペナン、ランカウイ)
33.アイルランド(ダブリン、コーク、リムリック、ゴールウェイ等)
34.スウェーデン(ストックホルム、ヨーテボリ)
35.フィンランド(ヘルシンキ、タンペレ、ロバ二エミ、トゥルク、ナーンタリ)
36.エストニア(タリン)
37.ラトヴィア(リーガ)
38.リトアニア(ビリニュス、カウナス、トラカイ)
39. ポーランド(ワルシャワ、クラクフ)
40. チェコ(プラハ、チェスキークロムノフ)
41.リヒテンシュタイン(ファドーツ)
42.ハンガリー(ブダペスト)
43.ルーマニア(ブカレスト)
44.ブルガリア(ソフィア、プロヴディフ、カザンラク、カルロヴォ、ヒサリャ)
45.ギリシャ(アテネ、テッサロニキ)
46.マケドニア(スコピエ)
47.ボツニア(サラエボ)
48.スロベニア(リュブリャーナ、ブレッド、ピラン)
49.クロアチア(ザグレブ、プリトヴィッセ、ドブロクニク、ポレチュ)
50.モナコ
51. パラオ(コロール、マルキョク、バベルダオブ島、マラカル島、ペリリュー島)
52. セルビア(ベオグラード)
53.コソボ(プリズレン、ぺヤ、プリシュティーナ)
54.アルバニア(ティラナ、デュラス)
55.モンテネグロ(ポトゴリツァ、コトル、フドヴァ)
56.サンマリノ
57.アンドラ
58.モロッコ(タンジェ)
59.ポルトガル(リスボン、ポルト)
60.マルタ共和国(マルタ島、ゴゾ島)
61.インド(ムンバイ、ゴア、コーチン、ムナ-ル、チェンナイ、バラナシ、デリー、アーグラ-,アーメダバード)
62.モンゴル(ウランバートル、テレルジ)
63.台湾(台北、台中、高尾、嘉義、福瀬村、台南、台東、花蓮、太魯閣、九ふん)
64.ブータン(ティンプー、パロ)
65.東ティモール(ディリ)
66.カナダ(バンクーバー、カルガリー、バンフ、ジャスパー、レイクルイーズ、ビクトリア)

下記写真は
3年10か月前に訪問した旧ユーゴスラビアのベオグラード。
コソボ紛争時にNATOによる空爆を受けたベオグラード。
NATOにより空爆されたビルは今も残っていますが、NATO空爆ビル近くで撮影。

写真の65㍑のバックパックを今回も使用します。
撮影機材(一眼や4Kビデオカメラ、デジカメ、他機材、三脚)やPC,複数のガイドブック持参するので重量は20キロ程になります。

今回は20~25か国は訪問。多くの都市を移動し訪問します。移動日はこの重たい荷物を背負い、1日5キロ~10キロ移動することもあります。
ほぼ毎日朝~晩まで撮影(撮影がなければ凄く楽になるが)しますが、季節柄熱中症や日射病には気を付け、体調が優れない時は無理をしないようにします(無理をする癖がある小生)

海外中長期渡航であれば基本的にスーツケースではなく、バックを使用します。それは移動するのに楽だからです。

海外に出始めて20年はたちますし、海外長期4か国に居住経験や数多くの国々をツアーに頼らず、単身で渡り歩いてきました。
ツアーのほうが安心安全なのですが、プロの自分は単身でこの重たい荷物を背負い、周ってきました。

これから行く国々は正直、あまり治安の宜しくない国々もありますが、プロとして危機管理能力を最大限に発揮し、危険回避をしていく所存です。