昭和天皇が昭和29年に皇后陛下とともに行幸啓の堂ヶ島
3つの島へ徒歩で(干潮時可能)渡るのは初めてである。海食による天窓洞をはじめ、三四郎、亀島、蛇島などの大小の島々や奇岩に富み風光明媚で、夕日が非常に綺麗な景勝地です。
1962年に温泉が沸き、旅館、民宿が増加した。ランの里や加山雄三記念館等もある。遊覧船も運航しており、お薦めの場所であります。
昭和天皇が昭和29年に皇后陛下とともに行幸啓の堂ヶ島
3つの島へ徒歩で(干潮時可能)渡るのは初めてである。海食による天窓洞をはじめ、三四郎、亀島、蛇島などの大小の島々や奇岩に富み風光明媚で、夕日が非常に綺麗な景勝地です。
1962年に温泉が沸き、旅館、民宿が増加した。ランの里や加山雄三記念館等もある。遊覧船も運航しており、お薦めの場所であります。
静岡県南伊豆の波勝崎を訪問。
波勝崎は、断崖絶壁の東日本最大の野猿の生息地です。
現在、約300匹の猿が生息しております。
昭和28年に伊浜の肥田与平さんが餌づけに着手し、4年がかりで成功。
現在野猿の総数は300匹で、ボス猿を中心に群れをなして行動しています。
野猿の寿命は約30年、5歳で大人の仲間入りをします。好物は野菜、穀物、果物などです日本猿の特徴としては、顔とお尻が赤く尾が短く生息分布は南限は鹿児島県の屋久島から北限は下北半島までです
平成28年(2016年)2月11日撮影
土肥金山(といきんざん)または土肥鉱山(といこうざん)は、静岡県伊豆市の土肥地区にある金の鉱山の跡である。伊豆市の指定史跡になっています。1972年からテーマパークとして一般に公開。
この金山は明治から昭和にかけては、佐渡金山に次ぐ日本第2位の産出量がでした。1965年に鉱量枯渇のため閉山。
中では、当時、使われていた坑道内部に潜入でき、金採掘の方法やその江戸時代の採掘の様子等を知ることが出来ます。
砂金体験もでき、大人でも夢中になる事は間違いないでしょう。
金にちなんだ商品が多く売られてますが、金運上昇のために訪れてみると良いでしょう。
平成28年(2016年)2月10日~12日に静岡県伊豆半島西伊豆・土肥温泉(伊豆市)にある明治館に宿泊。土肥の海岸沿いに建つ温泉旅館です。
総客室数は48部屋(和室)で、全ての部屋から海の景色を楽しめます。(オンザビーチの宿)。
お風呂は15.5メートルの長い内湯と駿河湾の景色を堪能出来る露天風呂。温泉で心身ともに癒される事間違いなし!
土肥温泉明治館のお料理は土肥の豊かな海に育まれた獲れたての旬の海の幸。
新鮮な地のものの素材へのこだわりはもちろんのこと、素材を活かしきる調理の技術も明治館の料理を支えます。
夕食は、豪華な海の幸や、魚にひけをとらないお肉料理をメイン料理としたお食事。お料理にあう地元伊豆のお酒も注文出来ます。
朝食は品数抱負のバイキング形式で美味です。朝ごはんから、お刺身や焼きたての干物、目の前でつくるオムレツなどが名物。
宿では小さな子供にも嬉しい遊具やおもちゃが用意されています。ゲームコーナーもあります。
1回では、何回でも飲めるお茶や珈琲のサービスが。お土産コーナーもあります。
お薦めは、朝夕の海岸散歩です。特に夕方は夕陽が綺麗なので、夕方の散歩は格別です。
ホテル従業員のサービス、質は非常によく満足のいく温泉旅館です。
料理プラン等で料金は上下しますが、食事を基本懐石にすれば、お手頃価格で宿泊出来たりします。
日本で唯一の英国製15インチゲージのSL及びDL
イギリス村ロムニー駅とカナダ村ネルソン駅を結ぶ約2.4km(料金は片道になりますので1kmもしくは1.5km)の路線です。
SLはカンブリア号です
平成28年(2016年)2月12日に静岡・伊豆の修善寺にあるテーマパーク虹の郷を再訪。(4年半ぶり4回目)
虹の郷は1990年代初めに開業、日本庭園以外にもイギリス庭園、カナダ庭園とあり、SLにも乗車出来ます。
花も綺麗に咲いておりますので、心が癒されます。
ちなみに修善寺は、胃潰瘍にかかったかの文豪・夏目漱石が療養のため門下の松根東洋城の勧めで伊豆の修善寺に出かけ転地療養場所です。
しかしそこで胃疾になり、800gにも及ぶ大吐血を起こし、生死の間を彷徨う危篤状態に陥ります。これが「修善寺の大患」と呼ばれる事件である。この時の一時的な「死」を体験したことは、その後の作品に影響を与えることとなりました。
この虹の郷には夏目漱石資料館があります。
静岡県浜松市から石川県金沢市まで下道を使い、向かった。名古屋までは国道一号。そこから国道19号線を使い岐阜へ。岐阜からは、国道157号線を利用した。岐阜の途中から山々が険しくあり、道は細く林道のようであった。ガードレールもなく、気をつけないと崖下転落になるところだった。途中、狸や鹿に遭遇した。
朝になるとこのような紅葉が広がり、すごく綺麗であった。
国道157号は、石川県金沢市から福井県大野市を経由して岐阜県岐阜市に至る一般国道である。
北陸経済圏と東海経済圏を最短距離で結ぶ。しかし、福井・岐阜県境の温見峠を越える福井県大野市下若生子(しもわかご)(真名川ダム)から岐阜県本巣市根尾能郷までの区間は冬期閉鎖となり、そのうち大野市熊河(くまのこ)から本巣市根尾能郷までの区間は、乗用車でもすれ違い困難な狭路が続いている所謂「酷道」であり、その機能を発揮しているとは言えず実際に岐阜市と金沢市を行き来するのには郡上市や砺波市へ迂回する東海北陸自動車道などを利用するのがメインである。
福井・岐阜県内の沿線4市1町で整備促進期成同盟会が結成されており、狭路区間でも道路改良工事が行われていて、徐々に整備されつつある。 石川県内においては金沢市への幹線道路でもあり、金沢市から白山市までは国土交通省直轄の指定区間となっている。
岐阜県と福井県の県境にある温見峠周辺の区間は、冬季は雪が多く1年の半分近くが通行止めとなる豪雪地帯で、狭路、落石、崩壊、ガードレールやカーブミラーの未整備など、道路改良はなかなか進まず整備状態がかなり悪いため、本州屈指の「酷道」とも評されている。
特に、本巣市根尾黒津から根尾能郷までの倉見渓谷沿いは、谷底を覗くと目がくらむほどの断崖路であり、根尾能郷の冬期閉鎖ゲート近くには「落ちたら死ぬ!!」という看板があったり、温見峠から根尾黒津までの間には複数の洗い越しがある。
2004年には、平成16年7月福井豪雨によって広範囲で土砂崩落や路盤流出など大きな被害を受け、大野市巣原付近では、道路が大きく欠損し、復旧および道路改良工事が行われている。
岐阜県本巣市内においても、2005年(平成17年)11月19日に発生した岩盤崩落の復旧工事のために、本巣市根尾能郷から同市根尾黒津の間が長期間にわたって通行止となっていた。
この間の迂回路として、本巣市根尾大河原から猫峠林道、根尾越波から折越林道、岐阜県道255号根尾谷汲大野線および国道418号を経て同市根尾樽見へ至ることができる。2012年(平成24年)10月末に通行止が解除され、大野市街から本巣市街まで通行が可能になった。
通行可能な期間でも、落石の恐れがあり、ガードレールなしの狭路が続き洗い越しもあるため、通行の際は注意が必要である。
鎌倉時代 : 越前府中(福井県越前市)と鎌倉(神奈川県鎌倉市)とを結ぶ最短ルートとして重宝された。
戦国時代 : 越前朝倉氏が温見峠から美濃の国へ攻め入り、朝倉氏の滅亡後は織田信長が、越前一向一揆で温見峠からも越前に攻め入った。
江戸時代 : 結城秀康が関所を設けて、福井藩への敵の侵入を監視した。
1974年(昭和49年)10月:主要地方道大野墨俣線の一部として車道が開通。
1975年(昭和50年)4月:車道が国道157号に昇格。
平成27年(2015年)8月27日に山梨県甲府市を再訪した際に、甲府駅近くで利用した長者村権六。甲州名物のほうとうを堪能。
前から是非とも来てみたかった場所である岐阜の白川郷の合掌作り。
ここは日本の田舎ののどかな風景が広がっている。合掌造りの家は3階~4階建てで大きな家である。
庭には鯉のぼりが飾られていたり、地元の子供たちが遊ぶ姿、池にはコイがおり、サクラも咲いています。
遠くを見渡せば山々の景色が広がり、自分も含め多くの日本人が忘れてしまった日本の伝統文化がここには残っています。
白川郷(しらかわごう)は、岐阜県内の庄川流域の呼称である。大野郡白川村と高山市荘川町(旧荘川村)および高山市清見町(旧清見村)の一部に相当し、白川村を「下白川郷」、他を「上白川郷」と呼ぶ。今日では白川村のみを指すことが多い。
白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られる。独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区として選定、1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
「世界遺産白川郷合掌造り保存財団」などがその保存にあたっている。毎年2月頃の週末には夜間ライトアップが行われます。
季節により趣が変わります。
鯉のぼりは4月下旬~5月にかけての風物詩です。
かつてかの天下人である徳川家康が豊臣秀吉による関東移封を命じられるまで17年間居住した浜松城。豊臣秀吉による関東移封まで、かの天下人である徳川家康が17年間居住した浜松城!その後、水野忠邦等の幕府の要職につく藩主を多く輩出したために出世城と呼ばれている。先の大戦で米軍の空襲(浜松大空襲)により城が焼け、これは昭和33年に復元されたもの。
NIKONの一眼 D610にて撮影!
平成27年(2015年)3月31日撮影。
別角度からの浜松城
別角度からの浜松城
国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明
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http://www.youtube.com/user/Yuukokunoshi1
徳川家康が17年居住した浜松城。浜松城前交番です!お城風の立派な建物です!お巡りさんが、侍の格好をし、刀、火縄銃等で武装していたら面白いのですが。いや、昔の奉行所のように与力、同心、岡っ引きの格好、武装でも笑笑(^ ^)
全国のお城の近くには、昔ながらの建築様式の交番はありますが、このように2層の交番は非常に珍しいです。
国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明
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