ポルトの海です。サーフィンが出来そうな波がたっていました。
一部海岸で、サーフィンしている人々が多くおりました。

平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
ポルトガル・ポルトにて 9月17日
ブルネイの首都のバンダルスリブガワンにあるオールドモスク。
市内中心に泊まりましたが、市街地にあるオールドモスク(スルタン・オマール・アリ・サイフディン・モスク)を訪れました。
昼も良いが夜のライトアップされたモスクが格別に綺麗で見とれてしまった。
スピーカーから流れるアッラーの掛け声と共に異国情緒を楽しみました。
このモスクは1958年に完成した2階建て、高さは77メートル、幅26メートルのモスクであります。
その総工費はなんと500万USDだそうです。
曜日や時間帯によってはイスラム教徒以外でも中に入れます。
ブルネイ王国!ブルネイと聞くとどこ??という日本人が多いかもしれない。あまり日本人にとって馴染みがないところかもしれない。
しかし、意外にもこの国と日本は密接な関係にあります。
この国は立憲君主制で王様がいるがブルネイ王室と日本の皇室は非常に仲が良いです。
そして貿易面になると、この国でとれる石油や天然ガスのほとんどを日本が輸入しています。
ブルネイにおいては8割~9割が日本車であります。トヨタ、日産、ホンダ、三菱、マツダ、スズキ、ダイハツ、いすゞ等の車を見る事が出来ました。
電化製品も日本製が多かったです。
ソニーやパナソニック、ダイキン等。ゲームセンターも訪れたがほとんどが日本製でした。
ブルネイ北部は昔から大陸、インド、アラビアを結ぶ貿易ルートの寄港地であった。15世紀には当時の国王がイスラム教に改宗し(アラブの人々との交流が起因)、イスラムを人々に布教する事により、国土を広め、最盛期にはボルネオ島全域とフィリピン・ミンダナオ島まで支配しました。
16世紀以降 ポルトガルやスペイン等の欧州諸国と交流するようになるが、フィリピンを植民地化したスペインとの争いにより18世紀にはほとんどを占領されてしまいます。
1888年にブルネイはイギリスの保護領となる。太平洋戦争中に日本軍が1942年~終戦まで占領した。日本軍が駐留し、多くの日本人がここに住んでいました。
ブルネイ港は軍港としても機能し、連合艦隊の主力が停泊したこともあった。
有名な所では、1944年のレイテ沖海戦における栗田艦隊はブルネイから出撃しました。
日本人にとっても感慨深い場所である。マレーシアと同じように主要民族派マレー人、そして中華系、インド系も多く住みます。
個人所得税はなく医療費、教育費は無料、電気、水道等の公共料金も安い。そして物価は安い。
治安は東南アジアでもシンガポールと同じように非常に良い国である。びっくりしたのが、横断歩道で待っていたら多くの車が止まってくれるではないか。日本やシンガポール以外のアジア諸国ではあまり見られない光景である。それだけ心が豊かでゆとりがあるのだろうか。
人口は40万人弱で三重県ほどの大きさで、そこまで見所があるわけではないので、2泊~3泊でも充分周れる。周りのミリやコタキナバルへバスや飛行機が出ており、拠点としても使える。
ポルトガル第二の都市であるポルト。ポルトの市庁舎です。夜の散策。ポートワインで有名な都市です。人口は27万人程。ポルトガル北部の中心地です。リスボンから300キロ程の距離にあります。
近郊に多くのワイナリーがあります。旧市街にあるいくつかの建物は世界遺産に認定されております。
ポルトはリスボン以上に美しいという人が多かったですが、その通りかもしれません。
日本とは南蛮交易のころのつながりで、長崎市と姉妹提携をしております。

現地時間22時頃撮影。ポルト市内の市庁舎とサン・ベント駅の間の広場。
あまり人がいなかったです。リスボンの半分程の人口ですので。
まったりするには、よいですね☆

平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
ポルトガル・ポルトにて 9月16日
リスボン市内の多くの場所を
徒歩で散策しました。
天気がよくてよかったです。





平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
ポルトガル・リスボンにて 9月15日