国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

07月

ベルギー・ブリュッセル・グランプラス・音と光のショー!

ベルギー・ブリュッセルの大広場である世界遺産のグラン・プラスを6年半ぶりに訪問。­­(夜は初めて)。王の家に入り(入場料5ユーロ)そこから市庁舎の景色を堪能。花壇­が­広場の中にあり綺麗であった。そこで夜になると30分に一回の割合で、素敵なショ­ーが­おこなわれた。5分少々であるが、感動した。
グランプラスは、ブリュッセルの中心地にある大広場。ヴィクトル・ユゴーが賛嘆したこ­­とでも知られるこの大広場は、世界で最も美しい広場のひとつと見なされている。19­9­8年にユネスコの世界遺産に登録された。
グラン=プラスは美しい広場であるが、華やかな歴史ばかりに彩られていたわけではない­­。1523年にプロテスタントの最初の殉教者たちであるヘンドリク・フォエス(He­n­drik Voes)とヤン・ファン・エッセン(Jan van Essen)がこの地で火刑に処された。

大同盟戦争中の1695年8月13日に、当時木造だった広場の家屋はヴィルロワ元帥に­­率いられたフランス軍の砲撃によって大半が破壊された。市庁舎の塔は砲撃の的になっ­た­が、石でできた壁は放火による火災に耐えた。広場を囲む家々は様々なギルドによっ­て石­造りで再建された。このため、市庁舎以外のほとんどの建物は、この時以降のもの­である­。

モロッコ・タンジェ市・旧市街内レストラン・モロッコ料理!

モロッコタンジェ訪問時に旧市街(メディナ)内のレストランでモロッコ料理を堪能し­ました。
 ★ハリラと呼ばれる羊肉か魚の出汁でヒヨコマメ、玉ねぎ、トマトなどを煮込み、小麦粉­でとろみをつけたスープ。
 ★ケバブ=アラブ圏(イスラム圏)で全域で食べられる肉の串焼き。香辛料で臭みを消し­た羊、牛、鶏肉、ケフタなど串に刺し、炭火焼したもの。
 ★クスクス=北アフリカで広く食べられている料理。羊肉、鶏肉、魚などを野菜と煮て中­身とスープを取り出し、これをスームルという粗粒上の小麦を蒸したものをかけたもの。
 他にも数品堪能。モロッコのビールともに堪能。
 締めは、アラブで盛んに飲まれているミントティー

モロッコのビール
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ハリラ

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ケバブ
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クスクス
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ミントティー
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タンジェは、モロッコ北部にある都市。人口は、約67万人(2004年)。ジブラルタ­ル海峡に面した港町で、スペインやジブラルタルなどから多くフェリーが行き来し、国際­都市として栄えおります。

帝国主義の時代になると、モロッコがフランスとドイツの角逐の場となり、1905年に­はフランスのモロッコ支配を阻止しようとするドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がタンジェに­上陸しました。

このタンジェ事件(第一次モロッコ事件)は翌1906年のアルヘシラス会議­で妥協が図られたが最終的な決着はつかず、1911年のアガディール事件(第二次モロ­ッコ事件)を経て、モロッコはフランスにより保護国化され、タンジェは国際管理地域(­英語版)とされた。タンジェの国際管理化は第一次世界大戦での中断を経て、1923年­12月18日のパリ会議でフランス、スペイン、イギリスの三国による条約が締結され、­同年6月24日より開始されました。

後に条約にイタリア、ポルトガル、ベルギー、オランダ­、アメリカ、ソビエト連邦も加入した。

第二次世界大戦勃発後の1940年6月14日、スペイン軍はタンジェに侵攻し、一方的­併合を宣言しました。

しかし世界大戦終結から半月後の1945年8月31日、タンジェは国­際管理地域に復帰した。

1956年10月、条約加盟各国はタンジェの国際管理終結を決­定。1956年12月31日をもって国際管理は終わり、タンジェはモロッコに復帰した­。復帰に当たり、1960年4月18日までの期限付きで為替や貿易に関する特別措置が­採られています。

平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
モロッコ・タンジェにて 9月11日





モロッコ・タンジェ市・ジブラルタル海峡の絶景堪能できる丘

モロッコのタンジェ市内のメディナ(旧市街)近くにある絶景堪能出来る場所です。
ジブラルタル海峡を背景に!近くにいたドイツ人に撮影してもらいました。

天気が良くて最高でした☆

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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
スペイン・タリファにて 9月11日





アフリカ・モロッコ・タンジェ到着

アフリカ大陸初上陸!
北アフリカのモロッコ王国に到着!モロッコは初めての訪問になります。
スペインのタリファよりフェリーにてジブラルタル海峡を南下、一時間程で到着しました!
やはり匂いが違います^_^

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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
スペイン・タリファにて 9月11日





スペイン・タリファ→モロッコ・タンジェ行きフェリー

スペインのタリファの港からフェリーに乗り込み、モロッコのタンジェへ
むかいました。ジブラルタル海峡を渡り、初めてのアフリカ大陸
アフリカ大陸初上陸!

乗船前に港でに出国審査、荷物検査を終えて、フェリーに
乗り込みました。
1時間ほどでモロッコのタンジェに到着しました。

船体
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船内
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デッキ
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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
スペイン・タリファにて 9月11日





スペイン・タリファの町の魚図

タリファはジブラルタル海峡に面した町です。
港があるあたりは地中海を出て大西洋に面している場所ですが。
魚釣りしたらいろいろ釣れそうです。壁に絵が描かれていました。
この前、浜名湖で釣ったカサゴやクロダイがおります。あとは太刀魚?ソイも?他にも日本でも馴染みの魚がおります。

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平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
スペイン・タリファにて 9月10日





スペイン・小さな港町・タリファ

アフリカからの不法移民上陸地点?本日は午前中に、スペイン国内5都市目の訪問となるタリファを訪問しました。人口18000人程の小さな港町です。イベリア半島最南端となるタリファ岬があるところです。


そして、モロッコのタンジェ市との間をフェリーが定期運行しております。なかなか美しい町でございます。
アフリカ大陸から20キロも離れておりませんので、実は

ここの近郊の海岸はアフリカ大陸からの不法移民が夜な夜な上陸してくる都市でもございます。

 

平成26年(2014年)生涯3回目の欧州周遊旅行
スペイン・タリファにて 9月10日

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ルーマニア・ブカレスト市街地!

東欧ルーマニアの首都のブカレスト。
平成24年(2012年)8月に日本語を教えるボランティアとしてルーマニアを訪れた­女子大生が殺害­されました。
深夜に空港に到着し、そこである男に話しかけられ、白タクに乗せられ、ホテル­とは反­対の方角に進み、殺害されました。
その2週間程前に自分はブカレストにおりました。
平成24年(2012年)7月にルーマニアの首都のブカレスト­を訪問。
自分は、ハンガリーのブダペストから夜行寝台電車で、ブカレストに到着し­たのだが、­到着後、偽警官らしき人物に話しかけられたが、うまく巻きました。
駅周辺もあま­り治安がいいという感じではなかったです。

まあ、それでも市内中心に行ったり、観光もした­が、危ない目にはあわなかったですが­。
女性一人での観光はお薦めは出来ません。

ブカレストは、ルーマニアの首都で同国最大の都市です。
ルーマニア南東部にあり、ドゥ­ンボヴィツァ川河畔の都市でルーマニアの文化、産業、­金融の中心都市であります。

ブカレス­トが最初に文書に言及されたのは1459年のことで、それ以来様々な変化を­経験し18­62年にルーマニアの首都となりました。

首都になってからはマスメディアや文化、芸術の分­野で着実にその地位を固めました。

ブカレストの建築物には歴史的に新古典主義建築や戦間期­のバウハウス、アール・デコ­、共産主義時代、そして現代と様々なものが混ざり合ってい­ます。
戦間期のブカレストは優雅で洗練された建築物により「小パリ」と言う愛称が付けられま­した。
しかし、これら多くの建築物や歴史的­な中心部は戦争や地震、ニコラエ・チャウシェス­クにより始められた1970年代半ばの­体系化政策 により損害を受けたり破壊されました。
一部は、被害を免れた建築物もありますが。
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スペイン・アルへシラス・パキスタン人経営のケバブ屋

スペインのアルへシラス。モロッコに行くためにこちらにきました。
到着日の夜は、パキスタン人経営のケバブ屋にてケバブを堪能しました。

中東系、アフリカ系黒人が多くおりました。
注文してから作ってくれるので、出来たてで美味しかったです。

 

店の入り口。パキスタン人経営らしく店の名前は

パキスターニ

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店内
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美味でした。ケバブセット
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安く済ませれるのでよいです。
欧州にはこのようなケバブ屋が多くあり、安く食事を済ませたい
人には重宝します。
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店のオーナーのパキスタン人
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平成26年(2014年)7月~9月 三回目の欧州周遊旅行
スペイン・アルへシラスにて撮影 9月9日