周南市(旧徳山市)の徳山港から日帰りで回天の島として知られる大津島に船で往復しました。南北に長い自然豊かな島ですが、先の大戦末期に人間魚雷「回天」の訓練が行われていた場所です。
今でも訓練に使用された基地の跡などが残され、搭乗員たちの宿舎跡付近には回天にまつわる遺品や資料が展示された回天記念館があります。
大津島の港からすぐの場所にあるのが令和元年11月3日に山崎八幡宮末社として創建された大津島回天神社。御祭神は回天常立命(戦没回天烈士106柱)
回天神社は、昭和19年に回転基地内に祠が設置され、烈士出撃の時に礼拝して出撃しました。終戦により、回天顕彰会が預かっていた回天烈士の御霊は山崎八幡宮に安置され、毎年慰霊祭がなり斎行されました。
一方、帝人㈱徳山事業所の撤退により、同社白浜神社に祀られて回天の御霊を合わせ安置する事になりました。
令和元年に回天顕彰会および大津島回天神社設立準備委員会の有志により、御霊を合祀し創建されました。
回天記念館から険しい山道をのぼって回天展望台に。展望台の手前に酸素魚雷の性能を確認するための魚雷見張所が残っています。
戦艦大和は昭和20年4月6日、徳山湾沖から沖縄に向けて海上特攻を行いましたが、大和が最後に寄港した場所は、馬島の南南東の沖合い3.2kmの地点で、大津島基地からは直線距離で4.4kmの海面。
この地点に大和が寄港したことは、大津島基地の隊員も確認しており、魚雷見張所がある山からも良く見えたととのことです。
展望台からは周南コンビナートの景色を見る事が出来ますが、望遠レンズで撮影するとよい写真が撮れます。
また、
大津島の港から近い場所に
長さ約250m、高さはおよそ4m、路面以外は当時のままの状態で残されている回天運搬用トンネルがあります。
トンネルを出たところに
回天訓練基地跡(酸素魚雷発射試験場跡)があります。
元々は、九三式酸素魚雷の発射試験場として造られたもので、呉市の海軍工廠水雷部において製作された魚雷を海上運搬してここから発射し、その性能を鬣山(たてがみやま)山頂付近の魚雷見張所において確認するものでした。
先の大戦末期
19年9月以降は回天の訓練基地として使用され、魚雷発射口とは逆の位置に設置してあったクレーンで「回天」を吊り上げ、その横の海面に降ろし、基地の沖合いに設置されていたブイまで、横抱艇により曳航し、その場所から熟練度により3コースを使って訓練が行われていました。
※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはF2.8 24‐70㎜の広角ズームレンズ