国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

2025年

イスラエルのテルアビブの海水浴ビーチ&マリーナ地区

【イスラエルのテルアビブの海水浴ビーチ】

テルアビブは地中海に面しており、海岸沿いは海水浴が出来るビーチが数多くあります。欧米系の高級ホテルがあり、海外からも多くの観光客が訪れる場所となっています。

現在もテルアビブから60キロ程南のガザ地区で戦争状態なので外国からの観光客は激減していますが、イスラエル人が海水浴を楽しんでいます。土日は特に混雑する。

レバノン国境からガザ地区にかけて地中海に面した町では同じように海水浴が出来るビーチがあります。

戦争中のガザ地区にも同じく海水浴場がありますが

戦地となっているのでお店が営業していないようです。

地中海は

イタリア、フランス、モナコ、ギリシャ、レバノン、チュニジア、マルタ、キプロス、モロッコ、スペイン訪問時にも見ましたがどこも雰囲気が良いです。

【イスラエルのテルアビブ港マリーナ地区】


テルアビブの港周辺はブランド店や飲食店が数多く建ち並んでいる地区。週末ともなれば数多くの人々がくる場所となっています。寝椅子も置かれており、昼寝をする人や釣りする人々も多くいました。


※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはF4-6.3 24-200㎜のレンズ

イスラエルのテルアビブで利用したホステル『The Spot Hostel』

【イスラエルのテルアビブで利用したホステル『The Spot Hostel』】
イスラエルはテルアビブとエルサレムの2都市に合計2週間滞在。テルアビブはエルサレム、パレスチナ自治区に行く前と帰ってきたあとに合計7泊8日しました。

最初に泊まったのは海岸、港から近い距離にある共同部屋ホステル『The Spot Hostel』

イスラエルは程度の高いホステルが多くあったので、ホテルではなくホステルに宿泊。

場所は海岸、買い物通り、港から近く

海や港に行きたい人には最適な立地。

規模が大きなホステルで、新しい建物に内装も非常に凝っています。バーも併設しているのでお酒も飲む事も出来ますし、共用の間の充実。WIFI速度も速く大満足。従業員の対応も良かったです。

12部屋ですが、カーテンがついているのと電球がついているので

周りは気になりません。

宿泊費用は

1泊素泊まり約24USD(約3550円)×4(泊)⁼約96USD(約14400円)

アラブ首長国連邦ドバイのドバイクリークとゴールドスーク

【アラブ首長国連邦ドバイのドバイクリーク】

イスラエル入国のために3回目のドバイ訪問。イスラエル、パレスチナ訪問後にイランに入国計画建てていたので、再びドバイに戻り(4回目)ました。

1、2回目のドバイ訪問でドバイの名所は殆ど訪問済み。今回は、中東周遊のハブとしてドバイに滞在。ウズベキスタンからドバイに移動して3泊した後にイスラエルに空路移動。

イスラエル、パレスチナ16日間滞在してから再びドバイに戻り6泊。ちょうど、イランとイスラエルの交戦が開始した時で、イラン行き飛行機が欠航が続いてしまし、イラン行きを延期することに。3回目、4回目のドバイで合計9泊10日滞在しました。

ホテルは空港から近い距離、ドバイクリークやゴールドスーク近くにしたので、双方訪れてみました。

ドバイクリークは、海、港からのびる入江です。

多くの観光船や渡し船がいきかっており、風光明媚な場所です。

【アラブ首長国連邦-ドバイの名所『ゴールドスーク』】


ドバイ、アブダビは石油と投資、金融で潤い
半世紀で数多くの高層ビルが建設されました。
中東はシリアとイエメン、イラン以外は全て訪問していますが、スーク(市場)巡りが楽しみの1つです。


ドバイは近代化が進んだものの、
このゴールドスークと周辺は昔ながらの雰囲気を保っています。
1940年代にイランやインド人などの商人がここで金を売り始めたのがスークの名前の由来。現在は金などの宝飾品を扱う店数多くあるスークとして国内外から多くの人々が訪れる名所となっています。
スークはアーケードになっているので、雨天時や気温が40度を超す時期でも大丈夫です。

ウズベキスタンのタシュケントで宿泊したホステル『ART HOSTEL』

【ウズベキスタンのタシュケントで宿泊したホステル『ART HOSTEL』】
 

3回目のタシュケントは、ここから近い場所にあるホテルに2泊しましたが、トルクメニスタンツアー終了後、ヒヴァからタシュケントに移動、4回目のタシュケント訪問時に利用した宿。

2023年11月、1回目のタシュケント訪問時とカザフスタン、キルギス周遊してタシュケント戻ってきた時に利用したホステル。

個室と共同部屋とありますが、前回の利用同様、共同部屋(4人部屋)を利用。

日本国内だとビジネスホテル中心にシティーホテルや日本全国各地の温泉旅館、たまに高級ホテルに宿泊。

海外では、経費削減のために、安宿(ホステルやゲストハウス)をよく利用しています。発展途上国でホテルの値段が安い国や都市、もしくは共同部屋宿が殆どない都市ではホテルに宿泊。

このホステルは前回利用して非常に気に入ったので今回も利用してみました。相変わらず、体格の良いロシア系の女性がマネージャーとしていましたが(自分の顔も覚えていてくれた)。

場所は大使館などがたまる高級住宅街の中にあり、地下鉄駅や繁華街からも近くて立地抜群。建物や建物内部は少し年季が入っていますが、共用の間など素敵で居心地抜群。プールも完備。

何よりも感動感高いのは安い宿泊費に対して

朝食の種類が充実しており、美味しいという点です。

宿泊費用は

1泊朝食つきで約13.2USD(約2000円)×3(泊)⁼約39.6USD(約6000円)

ウズベキスタンのヒヴァ旧市街内のホテル「Shahriston – Hotel 」

【ウズベキスタンのヒヴァ旧市街内のホテル「Shahriston – Hotel 」】

5日間滞在したトルクメニスタンからウズベキスタンのヒヴァに移動。ヒヴァは2回目の訪問。前回利用したホテルが気に入ったので、同じホテルにしようとしたら空きが無し。代わりに、評価の高いこちらのホテルを予約して2泊しました。

旧市街(イチャン・カラ)内にあり、立地は抜群。家族経営のホテルで温かさを感じました。部屋は各部屋で趣が変わりますが、自分が泊まったのは1回の部屋。綺麗で清潔な部屋でした。

ウズベキスタンのヒヴァ、ブハラ、サマルカンドは家族経営のホテル、ゲストハウス、ホステルが多いです。日本でも家族経営の民宿やペンションがあると同じです。

宿泊費用は

1泊朝食付きで約25USD(約3700円)×2(泊)⁼約50USD(約7200円)

中央アジア‐ウズベキスタンのヒヴァ‐世界遺産登録の『イチャン・カラ』のお薦め名所

【ヒヴァ‐世界遺産登録の『イチャン・カラ』】

世界遺産登録のヒヴァのイチャン・カラ。

ヒヴァ・ハン国の首都として栄え、外敵からの侵入を防ぐために外壁と内壁二重の城壁が築かれた城郭都市。中には20のモスクと20のメドレセ、6つのミナレットなどが残されています。

年間300日は

雲一つない天気で

アムダリヤ川が貴重な水資源として

古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出入口として栄えたオアシスの町でもあります。

『ジュマモスクとミナレット』

ヒヴァの旧市街(イチャン・カラ)が世界遺産に登録されていますが、その中でお薦めの場所の1つが『ジュマ・モスクとミナレット』。

創建されたのは10世紀。修復工事を重ねて今の形となったのは18世紀末頃。見所は内部にある213本の木の柱。柱の彫刻が1本、1本違い非常に幻想的な空間。4本が10-11世紀、25本が17世紀までに建てられた柱で歴史的価値もあります。

【『イチャン・カラ』のミナレットからの眺望】

ヒヴァ旧市街の50mちょっとのミナレットを上までのぼり上からの撮影。建築の構造上、急勾配の螺旋階段で翌日は筋肉痛になりました。

【ヒヴァ‐世界遺産登録の『イチャン・カラ』夜景】

【ヒヴァ旧市街のレストラン『The House Mirza Boshi』】

ヒバ旧市街で利用したレストラン。ヒヴァ滞在2日目の夕食。

トルクメニスタンツアー参加した方々のうち、自分入れて4名での会食。この地方名物の「シヴィット・オシュ」やプロフや肉料理、トマトサラダをウズベキスタンのビールと共にいただきました。店内広めで天井が高く雰囲気の良いレストランで味も良いです。人気店なので混雑していました。

【ウズベキスタンのヒヴァ旧市街のレストラン『Teahouse Farrukh』】

ウズベキスタンのヒヴァ旧市街内、昼食で利用したレストラン。

ホレムズ地方の伝統料理『シュヴィット・オシュ』を注文しましたが美味しかったです。

開放的なテラス席。屋根がついているので暑くはなかったです。メニューに値段がついていませんでしたが、従業員に値段を確認。ボッタくられることはなかったです。

団体客を受け入れており、スペインからの団体客が数多くいました。従業員の対応は良かったです。

【ヒヴァ旧市街のレストラン『Murod Josh』】


ヒヴァ滞在2日目に利用したテラス席のレストラン。雰囲気が良さそうなので利用してみました。
昼食は既にこの近くのレストランで食べたのですが、15時のオヤツ代わりにビールと共に大好物のラグマンを注文。美味しかったです。旧市街の景色を堪能出来るレストランです。


ラグマンは中央アジアの‘‘うどん‘‘ですが汁ありと汁無し焼きうどんがあります。麺類はラーメンをはじめ、蕎麦、うどん、パスタ、ソーメン全て好きです。
ラグマンは
うどんと一緒ですが、麺はラーメン好きならわかると思いますが
二郎系の麺のような硬さ。中央アジアで何よりもハマった料理です。

ウズベキスタンのヒヴァ旧市街のお薦めレストラン『Terrassa cafe&restaurant』で夕食

【ウズベキスタンのヒヴァ旧市街のお薦めレストラン『Terrassa cafe&restaurant』で夕食】

5日間のトルクメニスタンツアーを終えて

国境を越えてから国境地帯で待機していたタクシーと交渉してヒヴァの中心街に。

トルクメニスタンツアー参加者

合計6名での打ち上げ夕食。

今回2回目のヒヴァでしたが、

このレストランは、前回利用して気に入ったレストランです。

世界遺産都市『ヒヴァ』旧市街の夜景堪能しながら食事出来る洒落たレストラン。

ウズベキスタンのホレムズ地方の伝統料理『シュヴィット・オシュ』、プロフ、マンテ、ビートルートのサラダなどをウズベキスタンのビールと共に堪能。美味しかったです。

※NIKONのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

使用レンズはF2.8 24‐70㎜レンズ

【パキスタンの山岳地帯お薦めのフンザ】

【パキスタンの山岳地帯お薦めのフンザ】

海外108か国訪問(1か国1都市滞在ではなく、多くの国々で周遊して長めの滞在)し、世界の数多くの場所を訪れてきましたが、パキスタンの山岳地帯の感動感は非常に高かったです。

今回はイスラマバードから飛行機でスカルドゥに移動し1泊。そこから200キロの距離をタクシーで移動してギルギットに。ギルギットには1泊。ギルギットから100キロ程の距離をタクシー使ってフンザに移動。

フンザは合計3泊。人柄もよく知識も豊富、日本語(英語も)が堪能なガイド『シェール』さんに1日半、フンザとナガ―ル、奥フンザと中国国境のクンジュラブ峠まで案内いただきました。
フンザは桃源郷言われるほど雰囲気が良く、カラコルム山脈の山々、氷河、川などの景色を堪能出来ます。

1980年代~今世紀初頭までは日本の旅行会社がフンザなどのパキスタンの山岳地帯のツアーを企画催行(添乗員、ガイドつき)していました。一昔前は多くの日本人がフンザを訪れていました。

しかし、2002年のニューヨーク同時多発テロ以降、パキスタン国内でもテロが頻発。外国人誘拐も多く起き、日本人を含む多くの外国人観光客が激減しました。

ここ最近はパキスタンの治安はテロが頻発していた時よりもマシになっており、パキスタンに観光で訪れる事も、海外慣れした人であれば十分気を付ければ問題ないと思います。
特にフンザなどの山岳地帯は都市部よりも安全度が増し(アフガンとの国境地帯は注意)ます。

フンザに行くには
首都のイスラマバードからの飛行機がフンザ最寄りのギルギットまで就航しています。プロペラ機で席数少ないのと欠航率高いので利用出来ない可能性も時期により高いです。

もう1つの空港はギルギットから200キロ、フンザからは300キロ離れたスカルドゥの空港利用です。小生は往路が満席でギルギット行きの航空券とれず、スカルドゥから入りました。

復路はギルギットからプロペラ機利用予定でしたが、残念ながら欠航に。便と予定を変更してスカルドゥに戻り1泊し、翌日の便でイスラマバードに戻りました。

日本企業進出、駐在員も多かったので
昔は南部の最大都市カラチまで成田から直行便が出ていましたが
今は直行便無し。
タイや中国の航空会社でイスラマバードまで行き、
そこから前述の国内線利用です。

バスやタクシーで
陸路で時間をかけていくという方法もあります。


【欧州移民問題】イギリスのロンドンで反移民デモに10万人以上!?一部暴徒化で警察官26人けが!?移民、難民、外国人労働者により治安悪化!?日本では埼玉県南部でクルド人問題が大きな社会問題となっているが

イギリス・ロンドンで反移民などを訴える極右の活動家が主催するデモがあり、10万人以上が参加しました。

 ロンドンの中心部で13日、極右の活動家の呼び掛けによって市民らが集まり「不法移民追放」などと訴えました。

 地元メディアによりますと、デモの参加者は11万人から15万人に上り、一部の参加者が瓶を投げ付けるなどして、警察官26人がけがをしました。うち4人は重傷だということです。

 警察は、暴力行為などで参加者25人を拘束したと明らかにしました。

 一方、周辺では反人種差別団体も抗議し、双方が一触即発の状態となりました。

 イギリスでは小型ボートで入国する難民申請者が相次いでいて、政権への不満が高まっています。