タイ東北部
イサーン地方のウボンラーチャターニー。
ウボンラーチャターニーの夜の市街地(繫華街)を
スクーターを運転。
※カメラレンズが汚れていて、ハロ、グレア現象になっており申し訳ございません
タイ東北部
イサーン地方のウボンラーチャターニー。
ウボンラーチャターニーの夜の市街地(繫華街)を
スクーターを運転。
※カメラレンズが汚れていて、ハロ、グレア現象になっており申し訳ございません
【タイのシーサケート県カンタララック!カンボジア国境地帯!外務省レベル3渡航中止勧告の場所】
タイのシーサケート県カンタララック 昨年7月と12月にカンボジアからの攻撃で被害を受けた町。 (タイとカンボジアの係争中のプレアビヒアから5キロ程)。 動画前半は カンボジア国境から2キロ程の場所 カンタタラック郡サオトンチャイ。
軍用品店の従業員達に話しかけられて仲良くなりました。 一時的に避難指示が出ていたようですが、今は解除されているようです。周辺には飲食店や食料品店などがあります。
そこからスクーターを運転して 軍の駐留地に。カンボジア国境まで20mの場所まで軍に許可を得て 入らせてもらいました。 動画の終わりに 国境から数十キロの距離にあるセブンイレブンに。 カンボジアからのロケット弾が着弾して死傷者を出した場所です。
親日家が多い事でも知られる台湾。そんな台湾で尊敬される日本人の一人が日本人技師である八田與一です。八田與一が台南市に建てた烏山頭ダム。ダムは1930年の完成当時に東洋一の規模を誇るものでした。烏山頭ダム建設による灌漑整備によりダム周辺は台湾最大の穀倉地帯になりました。

台湾は、日清戦争後の1895年~1945年まで50年間日本の統治下に置かれました。日本統治下に日本政府は台湾のインフラ整備をしたのですが、そのうちの1つが治水工事です。台湾に多くのダムを建設したうちの1つが、今回ご紹介する烏山頭ダムです。

烏山頭ダムは1920年に着工し10年の歳月をかけて1930年に完成したダムで、完成当時は東洋一の規模を誇ったダムでした。
嘉南平原の農業灌漑を主目的として建設され、ダム完成後に台湾最大の穀倉地帯になりました。このダムを建てた八田與一の功績に関して、台湾の人々は非常に感謝しており、教科書に載るほど尊敬されています。

※烏山頭ダムまでいくにはいくつかのルートがありますが、一番のお薦めは、台鉄「善化駅」前のバス亭から「烏山頭水庫」行き橘4路バス利用です。所要時間は30分程。

烏山頭ダムの敷地は広大な八田與一記念公園となっており、公園内には八田與一記念館、八田與一居住家屋、八田與一象、竣工碑など多くの見所があります。上記写真は、ダムの放水路ですが、映画『KANO』のロケ地となった場所です。『KANO』が好きな方にも堪らない場所です。

公園内は非常に広いので、足腰に自信がないと周るのに苦労すると思います。また、公園内には自動販売機がありません。暑い時期に訪れた場合、脱水症状を起こす可能性がありますので、事前に1リットル以上の水を購入し、持参する事をお薦めします。
毎日のように多くの台湾人が訪れる烏山頭ダム。日本人にはあまり知られていない八田與一ですが、台湾では学校の教科書でも紹介しているので知らない人がほとんどいないほど、知名度と人気が高い日本人です。
八田與一記念館には様々な資料や写真が展示されていますので、八田與一を知る上で、訪れていただきたい場所です。

記念公園内には、八田與一の銅像と與一と妻外代樹の墓があります。銅像はダムが完成後の1931年に八田與一を慕う近隣住民により建てられたものです。第二次世界大戦下には、金属供出を求められた際、住民はこの銅像を隠していました。

また、日本が敗戦した後に中国国民党政府が台湾に入ってきた時に、政府は日本人の銅像などを撤去する命令を出しましたが、住民は拒否し、銅像は密かに隠され保存されていました。

1990年代に台湾の民主化が進み、八田與一の業績が再評価され、住民の手により再び公開されるようになりました。銅像が置かれている場所の近くにダム建設に従事して事故で亡くなられた134名の方々の殉工碑があるので、併せて訪れていただきたいです。多くの台湾人がここを訪れ、合掌しています。
八田與一記念公園の北端にある八田與一記念館。

復元された八田與一と同僚幹部職員の居住家屋。昔ながらの日本の伝統家屋が復元。古き良き懐かしい日本の雰囲気を感じとる事が出来ます。八田與一に関しての映像資料を展示する施設や喫茶室もありますので、併せて訪れる事をお薦めします。

※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはf2.8 24-70㎜のレンズ
徳島市のラーメン屋『東大』大道本店で徳島ラーメン堪能 軍国酒保『二等兵』で飲んだ後 深夜1時半頃に利用。 注文したのは東大ラーメン豚スラ肉増し大盛りに煮卵追加。 1270円 生卵とご飯は無料。ラーメンに生卵をいれ、卵がけご飯も堪能しました。 深夜4時までやってるので近隣の繁華街で飲んだ後に締めの一杯で利用出来ます。
バンコク市街地
ナナ駅近くソイ13の洒落たバー『The Red Lion』にて生ビール。
洒落た雰囲気のバー。ステーキやピザ、パスタ、バーガーなど欧米の料理も揃えています。オススメのバーです。
飲んだ後、寝る前のシメのフットマッサージ1時間。350バーツ➕チップ100バーツ🟰450バーツ(約2250円)。
客のオージー(オーストラリア人)と仲良くなりました。日本に何回も訪問。スキーが好きなようで長野の野沢菜温泉や白馬に行ってるようです。日本人は素晴らしいと
2025年7月
タイとカンボジアが軍事衝突
コンビニにロケット弾着弾した現場
タイ側で民間人ら20人以上が死傷 タイ軍の戦闘機がカンボジア領内を空爆。
そこからカンボジア国境までスクーターを運転
今回の動画はナナ駅とアソーク駅の間 夜遅くになると出てくる、フリーランスの立ちんぼの状況。 LBの人々による暴行、盗難事件も多発しています。 アソーク駅近くを歩いていると、お金見せて詐欺師に 『お金見せて』と話しかけられました。カメラをまわすと逃げていきましたが、こういったお金見せて詐欺師たちには注意が必要です。 お金見せてと言い、財布を出すと、お金を抜き取り逃げていく 被害が多く起きています。
9年2か月ぶりの訪問の台湾訪問時に再訪した『富安宮』

親日家が非常に多い台湾。そんな台湾で尊敬される日本人の1人が森川清治郎巡査です。9年2か月ぶりの訪問です。日本人として台湾の方々に神として祀られていること、嬉しく思います。

嘉義県東石郷副瀬村。
村の中心にある富安宮は、森川巡査が亡くなった後に巡査を慕う地元の人々により建てられ、巡査は土地神として祀られています。

日本統治時代1897年(明治30年)に台湾に渡り、嘉義県東石郷副瀬村の派出所勤務となった森川巡査は、当時治安が悪かった村の治安改善に尽力しました。
また、識字率が非常に低かった村において教育の重要性を認識し、私費を投じて日本から教材を取り寄せ、教師を雇い寺子屋を開き、識字率の向上に貢献。

ある時、海の岩場に取り残されて身動きが取れなくなっている村人がいました。森川巡査は、自らを顧みず危険な海に入り負傷しながらも村人を助けました。こういった自己犠牲の精神は村人達の尊敬される要因になりました。
後に、台湾総督府が村に漁民税を制定した際に、役所に減税を求めるも聞き入れられず叱責を受け戒告処分に。

村人の要望に応える事が出来なかった事に責任を感じ、巡査は火縄銃を使い自決しました。後に巡査を尊敬していた村人達により富安宮が建設され、巡査は巡査は土地神として祀られました。
巡査の死後、1923(大正12年)に副瀬村や近隣にコレラ脳炎などの伝染病が流行。
当時の村長の夢に巡査が現れ、「環境衛生に心がけ、飲食に注意し、生水、生ものを口にせぬこと」ということを告げられました。

内容を村民に伝え、村民がこれを守ったところ、伝染病の流行を免れることができたのです。
現在でも地元民から尊敬され、毎日のようにお参りにくる人々は多いです。また、遠方から団体バスでくる台湾人も数多くいます。
ここまで来るには
嘉義駅からタクシーで30分程。
高速利用だと38キロの距離。片道料金は900〜1100TWDです。
※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはf2.8 24-70㎜のレンズ