国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

ブログ

【宮崎市‐宮崎海軍航空隊之跡-宮崎特攻基地慰霊碑】

宮崎空港滑走路横にある宮崎特攻基地慰霊碑。

宮崎の赤江飛行場は宮崎海軍航空隊基地として、南九州における本土防衛の重要な戦略的基地でした。

宮崎基地では、海軍航空隊神風特別攻撃隊を主体でしたが、陸軍の特攻機も在籍部隊として発進。とくに陸軍機には海軍の予備学生出身者が、航法士・機長として搭乗して陸海軍共同の特攻隊が編成されました。

宮崎基地から発進した特攻隊員、殉職者を含めて385柱。併せて宮崎県出身者で宮崎基地以外の基地から発進した特攻隊員、訓練中の殉職者、戦傷病死者を含めた陸海軍航空機搭乗員414柱、合計799柱の英霊を合祀してます。

※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影

使用レンズはf2.8 24‐70㎜のレンズ

九州‐神風特攻隊関連地【鹿児島県霧島市の十三塚原特攻記念館(海軍航空隊第二国分基地跡)特攻隊慰霊碑】

【鹿児島県霧島市の十三塚原特攻記念館(海軍航空隊第二国分基地跡)特攻隊慰霊碑】

慰霊訪問。鹿児島空港あるあたりが、かつて大日本帝国海軍航空隊第二国分基地があった場所です。

霧島高原ビールの敷地内にあり、無料で見学することができます。特攻記念館は、地下壕跡の入口前に霧島高原ビールの山元正博会長により、約1千万円を投じて建設されたものです。

【十三塚原特攻記念碑(海軍航空隊第二国分基地跡】

鹿児島空港あるあたりが、かつて大日本帝国海軍航空隊第二国分基地があった場所です。

この場所は、特攻隊員の慰霊と偉勲を顕彰するため、昭和54年に旧溝辺町長が中心となり、関係有志の協力によりこの碑が基地跡地に建立されました。

碑は南の空を仰ぐ海軍少年飛行兵のブロンズ像と、基地出撃特攻隊員の銘碑が設置されています。慰霊祭は毎年4月22日近くの日曜日の午後におこなわれています。

九州‐ 神風特攻隊関連地-鹿児島県指宿市(旧開門町域)開聞岳の麓、花瀬望比公園の比島戦没者慰霊碑


指宿温泉の温泉宿に宿泊。久しぶりの指宿温泉でした。今回の九州では九州各地の神風特攻隊、旧日本軍関連の地を周りました。
指宿では花瀬望比公園の比島戦没者慰霊碑を慰霊訪問。Google Mapで慰霊と検索して知った場所です。


フィリピンは昨年、3回目の訪問。アンヘレス、クラーク、オロンガポ、スービック、マバラカットなどを訪問。神風特攻隊の慰霊碑が旧日本軍のマバラカット基地跡にあり、慰霊訪問させていただきました。


花瀬望比公園には、比島作戦で亡くなられた鹿児島県出身戦死者12000人余りの遺族と2000人余りの生存者が中心となり、昭和41年に「比島戦没者遺骨収集ならびに慰霊碑建立期成会」を結成。


同年11月、鹿児島大学の練習船「敬天丸」でルソン島やレイテ島などから4047柱の遺骨を収集。
昭和43年、ここ花瀬崎に慰霊碑を建立。
フィリピン方面で戦死された山下大将ら47万6千有余の霊が鎮められています。毎年3月27日に戦没者慰霊祭がおこなわれています。
海に面して開聞岳を間近に見ることが出来る景勝地でもあります。


※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはf2.8 24‐70㎜のレンズ

鹿児島県-枕崎市の火之神公園-平和祈念展望台から戦艦大和沈没地点を眺める

【鹿児島県-枕崎市の火之神公園-平和祈念展望台から戦艦大和沈没地点を眺める】

昭和20年4月7日、坊ノ岬沖海戦で米軍艦載機の攻撃を受け、第二艦隊の旗艦として他の軍艦と共に沖縄特攻作戦中に沈没しました。

大和の乗組員約3056名が戦死。

戦艦大和が沈没した場所は写真の夕日のある方角、展望台から200キロ程の距離。

戦艦大和沈没の場所を眺めることが出来る展望台。

戦艦大和殉難鎮魂之碑があります。

映画『男たちの大和』のロケ地となった場所。

1人の日本人として祖国のために散華した

英霊に感謝して

合掌•慰霊させていただきました。

九州‐神風特攻隊関連地を周遊‐慰霊訪問!大分県宇佐市‐宇佐海軍航空隊跡

今回10回目の九州。知覧や鹿屋などの神風特攻隊関連地は既に訪問していましたが、未訪問の神風特攻隊関連の地が数多くあることを知り、今回、訪問しました。

【大分県宇佐市-宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構『城井1号掩体壕』】

昨年に続き人生2回目の大分県宇佐市訪問。前回は宇佐神宮参拝のために宇佐市を訪れましたが、今回は宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り。一番最初に訪れたのが城井1号掩体壕。軍用機を敵の攻撃から守るために造られた壕です。

昭和19年(1944年)8月頃から建設が開始。今も残る掩体壕の1つです。戦後50年にあたる1995年(平成7年)に平和の象徴として宇佐市の史跡に指定され、公園として整備されました。

掩体壕内部には国東半島沖で引き揚げられたゼロ戦のエンジンを展示。公園内には宇佐から出撃した154人の特攻隊員の名前を記した慰霊碑があります。

【宇佐海軍航空隊-戦争遺構巡り『落下傘整備所』】

落下傘(パラシュート)を整備していた場所。昭和14年に建てられたレンガ造りの建物。外壁にアメリカ軍による機銃弾跡が残っています。

【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『耐弾式コンクリート造建造物』】

受信所または配水所だったコンクリート造の建物。防弾効果等を上げるため、外壁の厚さが45㎝と頑丈な構造になっています。掩体壕と同じく天井は草を植え、上空からは見えないようにしています。ここも米軍の低空飛行での機銃弾攻撃の跡があります。

【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『爆弾池』】

昭和20年4月21日の空襲でできた爆弾跡に水が溜り池のようになっています。現在の池の大きさは小さくなりましたが、もともとの大きさは直径10m、深さ約1.2m程あったとのこと。

【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『発動機試運転場(エンジン調整場)』】

飛行機のエンジンを分解して、整備をおこなぅっていた建物。エンジンを載せる台や点検記録用の部屋が残されています。

【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『高居地下壕』】

米軍の空襲に備えるため、駅館川東岸の崖面に多くの横穴壕掘られました。現在は内部への立入禁止となっています。

【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『津島屋本家『総督』酒蔵跡』】

津島屋は江戸時代からの酒造屋だった今戸家の屋号で、昭和20年4月21日の空襲で爆弾が命中し、工場、家屋とともに壊滅。地下の日本酒の貯蔵庫は防空壕としても使われ、4月21日の空襲では地下室に避難さ9名が生き延びました。敷地内には戦禍を生き残った柿の木があります。

【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『蓮光寺の生き残り門』】

昭和20年4月21日、米軍の空襲で江須賀地区の蓮光寺本堂や周辺の民家が全壊しました。この山門だけは奇跡的に戦禍を免れたため『生き残り門』と呼ばれるようになりました。




【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構『若八幡神社内-宇佐海軍航空隊忠魂碑』】

若八幡神社内に他所から移設された忠魂碑や特攻や空襲などで戦死した飛行予備学生出身士官の氏名を刻んだ慰霊碑があります。1人の日本人として祖国ニッポンのために命を捧げた英霊に感謝し、慰霊をさせていただきました。

【宇佐海軍航空隊跡-戦争遺構巡り『発動機試運転場(エンジン調整場)』】

飛行機のエンジンを分解して、整備をおこなぅっていた建物。エンジンを載せる台や点検記録用の部屋が残されています。

【タイ・チェンマイの寺院『ワット・ムンサーン』日本軍野戦病院跡-日本兵慰霊碑】

【タイ・チェンマイの寺院『ワット・ムンサーン』日本軍野戦病院跡-日本兵慰霊碑】
チェンマイの旧市街を出て南に10分程すすんだところにある寺院『ワット・ムンサーン』。ここは先の大戦下に日本軍の野戦病院が置かれていた寺です。寺院内には日本兵慰霊碑と資料館があります。

資料館は施錠されていますが、鍵を持っている高僧がいる平日、内部見学出来ます。資料館見学希望の方は寺の関係者に資料館見学をしたいと伝えてください。
※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9 で撮影
使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ

対馬(長崎県)-蒙古(元寇)襲来の地-小茂田浜→中心部『厳原』市街地(中心街)までドライブ

防人の島、国境の島
長崎県対馬を12年ぶりに再訪。前回は1泊2日の滞在でしたが
今回は5泊6日滞在し、対馬の名所を縦横無尽に周りました。

今回の動画は蒙古(元寇)来襲の地『佐須の里』小茂田浜から対馬の中心『厳原』まで向かう動画です。

長崎県‐対馬-防人の島、国境の島のお薦め名所!対馬博物館、韓国展望所、豊砲台跡、豆酘の海水浴場、内山峠展望台、和多都美神社、烏帽子岳展望台など

福岡の博多港からフェリーに愛車を載せて長崎県の壱岐島の防人の島『対馬』を訪問。まずは壱岐島から訪問して対馬に。

今回は、対馬で訪れるべき名所をご紹介します。

【対馬博物館】

壱岐島3泊した後に対馬にフェリーで移動して合計5泊しました。
12年ぶりの対馬、到着日に最初に訪れたのは対馬の中心『厳原』にある対馬博物館。


古くから朝鮮半島との関わりがあった対馬の歴史の歴史対馬にまつわる歴史や考古、美術工芸、自然史など学べる博物館です。
前回12年前に対馬訪問した際はなかった博物館。令和4年(2022年)4月に開館。特別展『倭館』も催されていたので、併せて見学させていただきました。

【上対馬の韓国展望所】


韓国まで49.5キロの距離にある上対馬町。対馬北端にる韓国展望所。韓国人が建設に携わり、韓国風の建物が建設されました。
朝から昼過ぎは多くの韓国人観光客が団体バスで訪れる場所です。

前回12年前に訪問時、建物内部の地図の日本海表記の日本に韓国人観光客に罰点つけられ、朝鮮半島の呼称である東海(英語部分もJAPANの部分に二重線引かれてEAST)にされていました。役所に対応するよう電話をしておきましたが、今は新しくなり、地図には日本海表記をいれないようにしています。

展望台からは双眼鏡使って韓国が見えますが、
眼下には航空自衛隊の海栗島分屯基地があります。24時間体制で周辺空域の警戒監視の任務に就いています。

【上対馬の豊砲台跡】


第一次世界大戦後、日本は軍備拡張計画を推し進める中、対馬海峡を封鎖する目的(当時、日本が統治していた朝鮮半島側にも)で、対馬北端の軍事上要衝のこの地に、昭和4年5月より約5ヵ年の歳月を費やし、昭和9年3月に豊(とよ)砲台を完成させました。

この砲台は、大正11年のワシントン海軍軍縮条約の締結により、航空母艦に改造されることとなった『赤城』の45口径40.6センチ加農砲1基2門の砲塔砲台を設置したという説の他、戦艦土佐や長門のものであるという説もあります。
入口にボタンがあり、ボタンを押すと30分程、電気が灯されます。内部には砲座や砲具庫、巻揚機室などの内部構造を観察することが出来ます。

【対馬南端の豆酘の板形海水浴場】

今回、愛車をフェリーに載せて壱岐島と対馬訪問。

対馬は南端から北端まで縦横無尽に周り、十中八九の名所を訪れました。南端の豆酘では浅藻湾と港、板形海水浴場を訪問。
なかなか綺麗な砂利浜です。



【内山峠展望台】


対馬南端の豆酘を訪問後、厳原の中心街に戻る際に寄った内山峠展望台。山地9割、平地1割の山地の割合が非常に高い対馬。対馬南端まで行く道は結構険しい山道でした。

内山峠展望台からは山々の景色を端のすることが出来ます。厳原の中心街からは車で20分程なので、対馬を訪問される方は訪れてみるとよいでしょう。

【和多都美神社】


韓国人お断りの神社対馬の和多都美神社を参拝。崇敬者としてお賽銭を入れ、御朱印をいただきました。

式内社論社、旧社格は村社。
主祭神は下記2柱
・彦火々出見尊
・豊玉姫命

海に望む鳥居が美しいです。
12年前にも参拝していますが
韓国人観光客による蛮行、道徳心に欠ける行為に悩まされてきた神社です。

神域での喫煙、タバコポイ捨て、違法駐
車、放尿、絵馬への落書き、鳥居への投石など。それを神社関係者が注意したら暴言吐かれ、暴力も振るわれそうになる。

韓国人お断り
団体バスの受け入れ禁止。
しかし、レンタカーで来る韓国人がいるようです。

神社関係者とお話しさせていただきましたが、他の外国人は道徳心をもって参拝する人が多いようです。
小生が参拝時、台湾人男性2人が参拝しにきていましたが、参拝の仕方を知っており、お賽銭もいれており、感心しました。台湾人はよく分かっている。

【烏帽子岳展望台】
和多都美神社の近くにある烏帽子岳展望台。
和多都美神社参拝と共に訪れるとよいでしょう。

烏帽子岳は標高176m。対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)の北岸に位置し、360度を見渡すことができる展望台です。東には対馬海峡、西には朝鮮海峡が広がり、複雑な入り江と無数の島々がおりなすリアス式海岸の景観を一望できます。

【対馬国一宮『海神神社』-韓国人窃盗団の盗難被害に遭った銅造如来立像】


和多都美神社を参拝した後に参拝した対馬国一宮『海神神社』。
旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

創建年は定かではありませんが、
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、新羅を鎮めた証として旗八流を上県郡峰町に納めたことに由来とのこと。

主祭神
・豊玉姫命
配祀神は下記4柱
・彦火火出見命
・宗像神
・道主貴神
・鵜茅草葺不合命

国指定の重要文化財
銅造如来立像 ( 統一新羅時代の作)は2012年10月に発生した韓国人窃盗グループによるの対馬仏像窃盗事件
3つの神社、寺院から、韓国人窃盗団によって重要文化財の仏像2体などが連続盗難された事件で盗まれたもの。

2015年7月18日に海神神社の銅造如来立像は韓国側から日本に返還されました。
平日は社務所に神社関係者がいないのか、御朱印をいただきたかったのですがいただけず。一宮だけあり敷地は広くて荘厳な雰囲気。この近くの海岸は韓国から中国から大量のゴミが漂着していました。

【対馬野生生物保護センター!ツシマヤマネコ保護】


前回12年前も訪れた対馬野生生物保護センター。ツシマヤマネコを保護しており、生のツシマヤマネコを見ることができます。館内にはツシマヤマネコの詳細が分かる展示があります。調査、研究もおこなっている施設です。棹崎公園隣接しているので、公園と共に訪れるとよいです。

【対馬藩主-宗家の菩提寺「万松院」】



対馬の名所の1つが鎌倉時代から明治になるまで対馬を治めていた宗氏の菩提寺である万松院。 創建は江戸時代初期、1615年(元和1年)で天台宗の寺院です。

火災焼失のため、今の本堂は明治12年(1879年)に建造されたものです。敷地は広く、石段を上った場所に宗家一族の墓所である国指定の史跡である御霊屋(おたまや)があります。荘厳で巨大な墓地は圧巻とした雰囲気です。

石川県金沢市の前田藩墓地、山口県萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われています。
樹齢約1200年の大スギが3本あり神秘的な雰囲気を醸し出しています。

【『金石城』と『金石城庭園』】



対馬藩藩主家『宗氏』の居城だった『金石城』。築城は戦国時代1528年。平城で天守閣は設けられず、江戸時代1669年(寛文9年)に時の藩主‐宗義真によって造られた大手口の櫓門を天守の代用としていました。現在ある櫓門は1990年に復元されたものです。

有料にはなりますが、併せて訪れていただきたいのが金石城の庭園です。規模は大きくないですが、落ち着いた風情を楽しめる日本庭園です。

【対馬藩お船江跡】


対馬の名所の1つ『対馬藩お船江跡』
江戸時代、1660年(万治3年)~1663年(寛文3年)に厳原町久田に築造された藩船の格納庫。

時の藩主-宗義真による町割りの再構築とともに、藩用の交通整備のため築造され、江戸上りなどの公用に用いられました。
藩船の各地への渡航と渡航の間に公用船を入渠されて船体の整備をこなっていました。

陸上には造船場があり、船大工や水夫たちの納屋があったとのこと。遺跡には突堤が4つ、船渠が5つあり、突堤は鏡石を配した石積みで造られ、当時の原型を良好にとどめています。

【蒙古襲来(上陸)の地-佐須-小茂田浜-小茂田浜神社参拝】



鎌倉時代、1274年に900艘3万人の元寇軍が来襲。1000人程が上陸した地点。対馬の時の地頭代であった宗助国が80騎で迎え撃ち、全員が討ち死にした場所。
海岸沿いに小茂田浜神社があります。

創建年は鎌倉時代、1274年(文永11年)で主祭神は宗助国と対馬の国事殉難者。

【比田勝の殿崎公園-日本海海戦記念碑】


日露戦争、日本海海戦(対馬沖)でロシアバルチック艦隊を破った大日本帝国海軍。バルチック艦隊のウラジミル・モノマフ号の水兵143名は、4隻のボートに分乗し、この地に上陸。住民達が水や食糧を与えて助けた歴史があります。

ロシア主導のソ連
日ソ不可侵条約を破り満州や朝鮮、樺太、千島列島に侵攻し数多くの日本人が虐殺、強姦、抑留された歴史がありますが‥
日本人は情けの心があるなと実感。

【長崎県対馬‐棹崎砲台跡】



朝鮮半島、韓国釜山まで49.5キロの距離。
第一次世界大戦後、日本は軍備拡張計画を推し進める中、対馬海峡を封鎖する目的(当時、日本が統治していた朝鮮半島側にも)で、対馬北端の軍事上要衝のこの地に砲台を設けました。
昭和11年竣工、昭和13年完成の棹崎砲台跡。釜山を眺めることができました。

長崎県-壱岐の島のお薦め名所-小島神社、月讀神社、猿岩、黒崎砲台跡、一支国博物館、左京鼻、はらほげ地蔵など

福岡の博多港からフェリーに愛車を載せて長崎県の壱岐島の防人の島『対馬』を訪問。まずは壱岐島から訪問。

今回は、壱岐島で訪れるべき名所をご紹介します。

【小島神社】

壱岐島は全部で3泊しました。壱岐島の名所の1つが‘‘小島神社‘‘です。普段は海に浮かぶ島にある小島神社。干潮時の前後、数時間だけ海から参道が現れ、歩いて参拝することができます。フランスのモンサンミッシェルにも似ていることから「壱岐のモンサンミッシェル」と呼ばれることもあります。

【月讀神社】

壱岐島国延喜式内社『月讀神社』参拝。御朱印もいただきました。月讀神社は日本全国にある月讀神社の総本宮であり、壱岐7社の1つ。日本最古の神社、古神道発祥の地と言われています。主祭神は下記3柱・月夜見命・月弓命・月読命

『猿岩』

天気が良くて雲一つない天気でした。

【黒崎砲台跡】

『猿岩』横にある昭和8年に完成した黒崎砲台跡。第一次世界大戦後、大正11年(1922年)にワシントン会議が開催されました。その結果、軍縮を目的に米英日の主力艦の所有率は「5:5:3」と決められ、計画中あるいは建造中の艦は直ちに中止、もしくは廃棄することになりました。

黒崎砲台の要塞砲には戦艦土佐あるいは赤城の主砲が据えられ、昭和3年から6年の年月をかけて昭和8年に完成。対馬海峡を通過する艦船を攻撃するために設置されたと言われています。

口径41cmのカノン砲2門を備えた砲台で、砲身の長さ18m、弾丸の重さ1トン、最大射程距離35kmで、「東洋一」の射程距離と破壊力を誇っていました。1度も実戦で使用されることなく終戦後に解体。現在は跡地のみが残る戦争遺産となっています。

【一支国博物館】

壱岐の歴史を知る「一支国博物館」非常に立派で斬新的なデザインの建物だと博物館員に伝えると、黒川紀章氏が設計に携わった建物と教えていただきました。開館は平成22年(2010年)3月14日。

壱岐の歴史を知る「一支国博物館」壱岐島に点在する遺跡や古墳から発掘された土器や石製品、鉄製品、木製品などの実物資料を展示しています。壱岐を代表する弥生時代の遺跡国指定特別史跡「原の辻遺跡」の暮らしを1で紹介する巨大なジオラマや、本物の弥生土器の重さを体感できるコーナーがあります

【左京鼻】

芦辺にある左京鼻。今回、壱岐島と対馬両方の島を訪問。壱岐島は対馬に比べて山がなだらかな感じ。左京鼻は壱岐島の東海岸に位置する八幡半島のほぼ先端にあり、壱岐を代表する景勝地の一つです。約1キロ続く断崖絶壁の光景は非常に美しいです。

海中から突き出る奇岩は「観音柱」と呼ばれ、伝承によれば島が流されてしまわないように造った8本の柱の1つと言われています。名前の由来は、江戸時代前期に旱魃が続き、陰陽師の後藤左京達が、この場所で雨乞いをおこなうと、大雨が振りだし、村人たちが救われたという伝記が残っていることから、左京の名前をとり名付けられました。

【はらほげ地蔵】


壱岐島の名所の1つ『はらほげ地蔵』。
「海女の里」として知られる八幡浦の海中に祀られている「はらほげ地蔵」。
満潮になると胸まで海に浸かるお地蔵さん。


6体あるお地蔵さんは六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)における苦しみや悩みから救ってくれると言われ、 地元では遭難した海女さんや鯨の供養のために祀られていると伝わります。
はらほげ地蔵の名前の由来は、お地蔵さんの腹が丸くえぐられているためとのこと。

【筒城浜海水浴場】

筒城浜(つつきはま)海水浴場は、日本の快水浴場100選など数々の選出を受けている砂浜。壱岐島の砂浜は綺麗なとこ多いです。

【大浜海水浴場】

筒城浜海水浴場の次に訪れた大浜海水浴場。両海水浴場共に壱岐島空港付近にあります。