国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

大川原明

バングラデシュ・ダッカ・ローカルレストラン(バングラデシュ料理)!

疲れるけど、刺激的でまた訪れたくなる国!それがバングラデシュ!平成23年(2011年)バングラデシュの首都のダッカを訪問しました。

今回のテーマは

アキーラさん訪問!バングラデシュ・ダッカ・ローカルレストラン(バングラデシュ料理)!

 

ダッカ市内は、日本の人力車が起源となるリキシャという三輪車に乗って市内散策をしました!!風が心地よ­く乗り心地もよかったです。

夜の散策は外務省の安全ホームページでも強盗に等にある可能性­があるとの事で極力控えてくださいと書いてあったが、特に危ない目にはあいませんでした。

リキシャの運転手には、多くの場所に連れて行ってもらいましたが、1食100円程で食べれる地元の人が利用するレストランに連れて行ってもらいました。

バングラデシュ人リキシャ運転手と会食

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バングラデシュはかつてインドだった事もあり、人も似ております。宗教は違いますが、食べるものはやはりカレーが主になります。香辛料をふんだんに使い、カレー好きにはたまらないですね。

美味しかったです

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カレーは宗教上、豚は出てこないですが、鶏肉を使用したカレーです。

もちろん、米は細長い米で、日本の米とは異なります。

バングラデシュ人は手を使って食べます。

お口直しか

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バングラデシュは世界の貧国の一つとして数えられております。

この国の国旗は日本の国旗に似­ております。

緑地に赤丸である。それをバングラデシュ人と話すと親近感を持って微笑んでおりました。

バングラデシュはインド、パキスタン(1971年)から独立しており、人々や料理­等インドに似ている。

店の外は賑やか!像が!

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インドとの違いはイスラム教徒が9割を占め、ヒンズー教のインド­とは異なる。観光客が少ないためか、インド程は外国人旅行者に対しての詐欺犯罪が少な­いという点です。

インドと同じくバングラデシュは親日国家である。

国民の9割は日本が大­好きだと言っていた。

レストラン動画

­をしてくれる。我々が困った時に助けてくれるとの事でありました。


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親日国パラオ・ペリリュー島・旧日本軍指令本部跡(+水の貯蔵庫)

パラオペリリュー島の慰霊訪問に対しての記事を書かさせていただきます。
前回は、敵国アメリカの最初に上陸した海岸をご案内しましたが、今回は、ペリリュー島の指令本部をご案内します。
戦前からあった建物ですが、建物は鉄筋コンクリート2階建て。
窓枠は広く、洗面台やトイレ等もありました。
沖からの艦隊からの艦砲射撃や空からの空襲で破壊されてしまったこの指令本部ですが、破壊されたあともそのままで残されております。
ここで日本兵の方々が働かれていたと思うと感慨深いものです。その時の光景が脳裡に浮かびました。
トイレの痕や洗面台も残っており、生活のにおいを感じました。

指令本部内散策

近くには水の貯蔵庫跡もありました。
水不足にならないように日本軍が建てた貯蔵庫です。

水の貯蔵庫

パラオをはじめ、太平洋に浮かぶ島々は、かつての日米の激戦地の痕跡をそのまま残している事が多いです。
祖国を守るために尽力された日本兵の方々に感謝の意を表するとともに、慰霊をさせていただきました。

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フィリピン・モンテンルパの日本人墓地(慰霊碑)&ニュービリビッド刑務所

先月、戦後、フィリピンのルパング島のジャングルで30年間近く、戦っていた不屈の侍・小野田寛郎さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。

平成23年(2011年)7月にフィリピンのマニラを訪問しました。3泊4日の滞在をし、マニラ+近郊のモンテンルパを訪れました。

マニラ郊外のモンテンルパは渡辺はまこが歌ったモンテンルパの夜と呼ばれる歌が過去に流行ったが、戦後、GHQにより戦犯の汚名をきせられた日本兵がこの近くにあるニュービリビッド刑務所で望郷の詞を作った場所であります。
下記動画をご覧ください。
戦後、多くの旧日本兵が戦勝国である連合国に刑務所に入れられました。

連合国による戦勝国史観により、処刑されましたが、そこには公平性はなかったのです。

墓地内には日の丸が

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入口付近

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そこに歌手の渡辺はまこが刑務所に慰問しました。それには多くの日本人が感動しました。その後、特赦で多くの日本人は帰国する事が出来たのです。
祖国に帰れず、連合国により将校は処刑されました。そんな英霊の方々に感謝の意を表するとともに合掌しました。

ニュービリビッド刑務所

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6月12日、アギナルドを大統領として独立宣言がなされた(第一共和国)。米西戦争で独立を果たしたのもつかの間、1898年のパリ条約によりフィリピンの統治権がアメリカ合衆国に渡る。

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1899年1月21日にフィリピン共和国がフィリピン人によって建国された。フィリピン共和国の建国を認めないアメリカ合衆国による植民地化にフィリピンは猛烈に抵抗したが、米比戦争で60万人のフィリピン人が無残に虐殺され、抵抗が鎮圧される。アギナルドは米軍に逮捕され、第一共和国は崩壊し、フィリピンは旧スペイン植民地のグアム、プエルトリコと共にアメリカ合衆国の主権の下に置かれた。そして太平洋戦争が勃発すると、アジアに旋風を起こしていた日本軍がフィリピンにも上陸、アメリカ軍主体の連合国軍と戦い、わずか150日で駆逐sた。以後、1942年~1945年の終戦まで日本の占領下に置かれ、連合国との激しい戦争がおこなわれる。

合掌

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フィリピンは連合国側につく抗日組織、日本側につく親日組織と分かれる。

GHQにより裁かれ処刑された英霊の方々

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フィリピンでは日本車が大人気です。
多額のODA資金援助、技術援助を受ける。旧宗主国のアメリカとは親密な関係にあり、親米の国である。日も貿易、経済共に密接な関係にあり、きっても切れない仲である。人的交流も盛んで、日本人は安土桃山から江戸時代初期、多くの日本人がフィリピンに渡りマニラ等に居住。
(最盛期には3000人ほど居住)、1910年代には農園経営の為の日本人労働者が南部のダバオに大量移民し、1916年には日本人人口が1万人を超える日本人街が形成された。

ホテル近くで待っていたタクシー運転手と交渉をし、単独乗り込みました

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墓地周辺

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皆さんにも是非とも、マニラを訪れる際には、訪れていただきたいと思います。タクシーを利用する際は、恐喝や詐欺に遭う可能性もありますので注意が必要です。

マニラから高速を使い1時間程で到着します。


祖国のために戦われた日本兵の方々を尊敬するというフィリピン人


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マケドニア・スコピエ・マケドニア料理

平成24年(2012年)7月に旧ユーゴスラビアの1国であるマケドニアの首都のスコピエを訪問しました。ここはコソボ紛争でも話題になったコソボ自治州からわずか数十キロの距離に位置しております。
現地ではマケドニア料理を堪能

今回のテーマは
アキーラさん堪能!マケドニア・スコピエ・マケドニア料理

前菜のマケドニアのサラダ羊のチーズ(癖がある)、豚肉のコンソメスープパン。
メイン料理はセロスコ・メソ。肉と野菜、きのこ類にチーズをのせて、オーブンで焼いた料理。これは正直美味しかった。そして締めのデザート。
いろいろ頼んだ

通称マケドニアは、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和国。前身はユーゴスラビア連邦の構成国の1つで、南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビアおよびコソボと、四方を外国に囲まれた内陸国である。
これら周りの国との関係は決して良好ではない。特にギリシャに関してはマケドニアという国名の問題で対立している。
羊のチーズは酸っぱい

マケドニア共和国は、地理的にはマケドニアと呼ばれてきた地域の北西部にあり、マケドニア共和国はマケドニア地域全体の約4割を占めている。
残りの約5割はギリシャに、約1割はブルガリアに属している。また歴史上、マケドニア共和国の多数民族はマケドニア人と自称・他称されるが、彼らはスラヴ語の話し手で南スラヴ人の一派であり、ギリシャ系の言語を話していたと考えられる古代マケドニア王国の人々と直接の連続性はない。これらの理由から、ギリシャがマケドニアという国名を拒否し、同国との間で激しい国名論争(マケドニア呼称問題)が生じている。

メイン料理

マケドニアからギリシャに移動した時に、マケドニアから移動してきたと言ったら、マケドニアという国名を我々は認めていないと言っていた。


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