アイルランドのダブリンにあるギネスビールの工場を訪問した。ギネスビールの生産工程を垣間見ることができた。入場料にはギネスビール1杯ついており、ギネスビールを堪能した。
ギネス(Guinness & Co.)は、1756年創業のビール醸造会社である。1759年以来、アイルランド・ダブリンのセント・ジェームズ・ゲート醸造所に生まれた「ギネス」 (Guinness) あるいは「ギネス・ビール」として広く知られる黒スタウト(ビールの一種。具体的にはポーター)を生産している。
創業者のアーサー・ギネス (Arthur Guinness) は、同1759年に当時使われなくなっていたこのセント・ジェームズ・ゲート醸造所を年45ポンドの対価で向う9000年間の契約で借り受けている。 今日ではギネスは認可に基き世界各地で生産されているが、その生産されるビールはあらゆる報告から鑑みればそれぞれ著しく異なっている。一例として、ナイジェリアで生産されているギネスは、アフリカの気候下で流通・保存されるためにアルコール分が8%と非常に高くなっている。これは近年になってアフリカへの旅行者を中心に有名になり「アフリカのギネス」という触れ込みで本国アイルランドなどに逆輸入・販売されている。なおロンドンのギネス醸造所は2005年に閉鎖された。
1997年末にグランドメトロポリタン社と合併してディアジオ社を形成し、今はディアジオ社のビール部門という扱いになっている。日本国内でのビールの販売権はサッポロビールが2009年6月まで持っていたが、2008年11月にディアジオ社と関係の深いキリンビールが販売権を取得したと発表、2009年6月からキリンビールが販売を行なうようになった(サッポロビールは日本での販売権を獲得した当初、将来的にサッポロビールでギネスを製造するという構想を立てていた)。
アーサー・ギネスは最初はライスリップ(Ruislip)、その後1759年からアイルランド、ダブリンの聖ジェームズ・ゲート醸造所でエール醸造を始めた。彼は使われていない醸造所を年45ポンドの対価で9,000年間の賃貸契約をした。10年後の1769年にギネスは初めて製品を輸出し、その時6樽半がイギリスに送られた。
アーサー・ギネスがスタウトスタイルのビールの開祖と信じられることがあるが、ビールに関してスタウトという語が初めて使われたのは1677年のイーガートン写本であり、アーサーの生まれるおよそ50年前のことだった。ギネスビールに関連して、スタウトという語が初めて使われたのは1820年のスタウト・ポーターだった。
ギネスが最後のポーターを醸造したのは1974年だった。
ギネス・スタウトはナイジェリア[2]、そしてインドネシア[3]を含むいくつかの国でも国際的ライセンスの元で醸造される。発酵前のホップを加えたギネス麦芽汁抽出物がダブリンから送られ、そして地方で醸造されたビールとブレンドされる。
ロンドンのパークロイヤルにあったギネス醸造所は2005年に閉鎖された。英国向けのすべての生産はダブリンの聖ジェームズ・ゲート醸造所に切り替えられた。英国の人々は、アイルランドで醸造されたギネスはロンドンで醸造したものよりずっと良い味がすると述べていた。