国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

ブリュッセル

国際高速列車ユーロスター!イギリス・ロンドン→アムステルダム!

12年ぶりのユーロスター。現在、ドーバー海峡、海底トンネルのユーロトンネルを走行中。

事前予約した朝食を食し、車内WIFI繋ぎ生発信。日本への連絡業務があり、PCで某機関と複数人にメール連絡。
昨晩は睡眠4時間しかとっていないので、これから仮眠とります。

今年〈2018年〉4月からユーロスターがベルギーのブリュッセルより先、オランダのアムステルダムまで延びました。

所要時間は3時間40分。費用はスタンダードプレミアクラスのソロ座席で朝食、予約手数料込みで145ポンド〈21200円程〉

自分の車両を担当する乗務員は、イギリス人男女、フランス語訛りの英語を話す黒人女性〈フランス国籍者か?ベルギー国籍?〉

イギリス人男性乗務員と仲良くなりましたが、自分が日焼けしているので、ハワイ出身だと思ったようです(笑)
ロンドンやアイスランドで毎日、屋外で撮影したから日焼けした旨を伝えました。

12年ぶり2回目のユーロスター。欧州の高速列車はほぼ全て乗りましたが、久しぶりのユーロスターです。前回は2006年にフランスのパリからイギリスのロンドンまで利用。

【感動間違いない?】ベルギー・ブリュッセル・グランプラス(世界遺産)・音と光のショー

ベルギー・ブリュッセルの大広場である世界遺産のグラン・プラスを6年半ぶりに訪問。­(夜は初めて)。王の家に入り(入場料5ユーロ)そこから市庁舎の景色を堪能。花壇が­広場の中にあり綺麗であった。そこで夜になると30分に一回の割合で、素敵なショーが­おこなわれた。5分少々であるが、感動した。
グランプラスは、ブリュッセルの中心地にある大広場。ヴィクトル・ユゴーが賛嘆したこ­とでも知られるこの大広場は、世界で最も美しい広場のひとつと見なされている。199­8年にユネスコの世界遺産に登録された。
グラン=プラスは美しい広場であるが、華やかな歴史ばかりに彩られていたわけではない­。1523年にプロテスタントの最初の殉教者たちであるヘンドリク・フォエス(Hen­drik Voes)とヤン・ファン・エッセン(Jan van Essen)がこの地で火刑に処された。

大同盟戦争中の1695年8月13日に、当時木造だった広場の家屋はヴィルロワ元帥に­率いられたフランス軍の砲撃によって大半が破壊された。市庁舎の塔は砲撃の的になった­が、石でできた壁は放火による火災に耐えた。広場を囲む家々は様々なギルドによって石­造りで再建された。このため、市庁舎以外のほとんどの建物は、この時以降のものである­。

ベルギー・ブリュッセル・グランプラス・音と光のショー!

ベルギー・ブリュッセルの大広場である世界遺産のグラン・プラスを6年半ぶりに訪問。­­(夜は初めて)。王の家に入り(入場料5ユーロ)そこから市庁舎の景色を堪能。花壇­が­広場の中にあり綺麗であった。そこで夜になると30分に一回の割合で、素敵なショ­ーが­おこなわれた。5分少々であるが、感動した。
グランプラスは、ブリュッセルの中心地にある大広場。ヴィクトル・ユゴーが賛嘆したこ­­とでも知られるこの大広場は、世界で最も美しい広場のひとつと見なされている。19­9­8年にユネスコの世界遺産に登録された。
グラン=プラスは美しい広場であるが、華やかな歴史ばかりに彩られていたわけではない­­。1523年にプロテスタントの最初の殉教者たちであるヘンドリク・フォエス(He­n­drik Voes)とヤン・ファン・エッセン(Jan van Essen)がこの地で火刑に処された。

大同盟戦争中の1695年8月13日に、当時木造だった広場の家屋はヴィルロワ元帥に­­率いられたフランス軍の砲撃によって大半が破壊された。市庁舎の塔は砲撃の的になっ­た­が、石でできた壁は放火による火災に耐えた。広場を囲む家々は様々なギルドによっ­て石­造りで再建された。このため、市庁舎以外のほとんどの建物は、この時以降のもの­である­。

感動もの!ベルギーブリュッセルの世界遺産グランプラスのショー

ベルギー・ブリュッセルの大広場である世界遺産のグラン・プラスを6年半ぶりに訪問。­(夜は初めて)。王の家に入り(入場料5ユーロ)そこから市庁舎の景色を堪能。花壇が­広場の中にあり綺麗であった。そこで夜になると30分に一回の割合で、素敵なショーが­おこなわれた。5分少々であるが、感動しました。
下記、がショーです。動画におさめました。

グランプラスは、ブリュッセルの中心地にある大広場。ヴィクトル・ユゴーが賛嘆したこ­とでも知られるこの大広場は、世界で最も美しい広場のひとつと見なされている。199­8年にユネスコの世界遺産に登録された。
グラン=プラスは美しい広場であるが、華やかな歴史ばかりに彩られていたわけではない­。1523年にプロテスタントの最初の殉教者たちであるヘンドリク・フォエス(Hen­drik Voes)とヤン・ファン・エッセン(Jan van Essen)がこの地で火刑に処された。

大同盟戦争中の1695年8月13日に、当時木造だった広場の家屋はヴィルロワ元帥に­率いられたフランス軍の砲撃によって大半が破壊された。市庁舎の塔は砲撃の的になった­が、石でできた壁は放火による火災に耐えた。広場を囲む家々は様々なギルドによって石­造りで再建された。このため、市庁舎以外のほとんどの建物は、この時以降のものです。