カオサン通りは昔から世界各国からのバックパッカーの聖地として知られる通り。バックパッカー、旅行者向けの飲食店や宿、マッサージ屋、旅行会社などが数多くある通り。周辺の通り含めてカオサン地区は賑わっています。
タイ北部のメーホーンソンからタイ日友好記念館のあるクンユアムまで150CCのホンダのスクーターを借りて運転。メットにアクションカメラ(ソニーのX3000)をつけてドライブ映像も撮影しました。

タイ北部の小さな町、ビルマとの国境地帯に近い場所にあるクンユアムを10年ぶりに再訪し、前回同様にタイ日友好記念館を訪問しました。

クンユアムはメーホーンソーンの南約65キロの場所にあります。かつて日本軍が駐留ししていた地です。
インパール作戦による敗退、ビルマ戦線で敗れ多くの日本兵がビルマで亡くなりました。戦争末期から多くの日本兵が同盟国であったタイ国内にビルマから敗残兵として入ってきました。

ビルマからタイにくる道中で飢えやコレラなどの病気で亡くなる日本兵が数多くいました。なんとかクンユアムをに生きて辿り着いた日本兵はクンユアムで現地人に治療、看病されました。

慈悲深い精神をもった人々が多いタイ。
多くの日本兵がクンユアムの人々に世話になり、日本へ無事に帰国する事ができました。
それら日本兵は、水筒やヘルメットや毛布等を世話になった家庭に置いていきました。それらを大切に保管していた人々。

1995年にクンユアムの警察署長として赴任したタイ人が、かつての日本兵とタイ人との交流に興味を持ち、私費を投じてそれらを集めて1996年に博物館をつくりました。
現在はクンユアム市に管理が委託される博物館です。
建物内部には日本兵、日本軍の展示物や写真が数多く展示されています。建物外の敷地内には慰霊碑が建立されており、前回同様、1人の日本人として焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

タイ人が‘‘I love Japan‘‘と書き
流石、親日国。日タイ友好
どこぞの反日国の人々は
人が書いた絵馬に独島(竹島)は我々の領土、尖閣諸島は我々の領土と落書きをし・・
クンユアムのタイ日友好記念館の斜め向かいにある寺『ワット・ムアイトー』。
先の大戦下、この寺院の敷地内には日本軍が建設した野戦病院がありました。

ビルマ戦線で負傷を負った多くの日本兵がが運ばれ、治療を受けました。治療の甲斐もなく亡くなる日本兵も多かったです。
敷地内に複数の慰霊碑、造形物や日本軍、日本兵に関係する絵画が展示されています。タイ日友好記念館と共に訪れていただきたい場所です。
1人の日本人として、焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。
今後も海外慰霊活動を続けていきます。

クンユアムの中心街から4、5キロ離れた場所にある木造の本堂とビルマ様式の仏塔が美しい寺『ワット・トーペー』内にある
日本兵慰霊碑(タイ-ビルマ戦病没者鎮魂之碑)

先の大戦下、日本軍の野営地だった場所でビルマへの進軍路だった場所に建っています。終戦間際にビルマ戦線から逃がれてくる日本兵の最初の休息地だったようです。
1人の日本人として、焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

10年ぶり2回目のメーホーンソン。前回同様、クンユアムのタイ日友好記念館を日帰り訪問。クンユアムからメーホーンソンに戻る道中にスクーターをとめて慰霊した日本兵士鎮魂之塔。

車や2輪を運転していると見落とす可能性が高いですが
多くの方に慰霊訪問していただきたい場所。
クンユアム中心から30キロ程、メーホーンソーン中心から35キロ程の地点。
終戦間際、敗残兵としてビルマからタイへ多くの日本兵が逃れてきました。多くの人々は、その道中で飢えやコレラなどの病気で亡くなりました。
この鎮魂碑は岡山県の倉敷有志の会が平成12年(2000年)に建立したもの。
周辺の集落に住むタイ人が丁寧に草刈りをし
慰霊もしてくれています。日本とタイの友好を感じることができます。

10年ぶり2回目のタイ北部、ビルマ(ミャンマー)の国境から近い距離にあるメーホーンソン。前回同様、メーホーンソン内、クンユアムの日本兵慰霊碑を慰霊訪問しました。
メーホーンソン中心街外れにある寺『ワット・プラノーン』内には日本兵慰霊碑(ビルマ戦線将兵慰霊之碑)があります。1人の日本人として焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

タイのバンコク アソーク駅からBTSを使いウドムスック駅に。 プロンポン駅近くで駐在時から利用していたマッサージ屋が こちらに移転したので利用。 せっかくなので、ウドムスック駅周辺を歩いてみました。
トルクメニスタン入国日、初日と3日目に首都のアシガバードで宿泊したホテル。ホテルは、国営放送局が所有している世界最大の星形建造物。建物の中では結婚式が行われ、1階部分は宿泊施設ともなっています。

事前に旅行会社からホテル名を教えてもらっていませんでしたが、到着してから想像していた以上に良いホテルだったので良かったです。建物は夜になるとライトアップされ、色々な色に変色します。造りも重厚感あって綺麗で清潔。トルクメニスタン入国が遅くなったのもあり、ホテル到着時間が深夜になりましたが満足度の高いホテルでした。

北朝鮮?海外再出発!旧ソ連、中央アジアの北朝鮮と呼ばれる『トルクメニスタン』に!地獄の門!ウズベキスタンのタシケント、ブハラ、ヒヴァ!中東のアブダビ、イスラエル、イラン、イラク、パキスタンなど訪問計画
渡航歴105か国目となる旧ソ連で中央アジアのトルクメニスタンをもうすぐ訪問です。人気の場所となっている地獄の門が近い将来閉鎖になる予定のようですが、見ることが出来るうちに見ておかねばです。
1年半年ぶりに中央アジアのウズベキスタンを訪問。タシケントからブハラに移動し、ブハラから陸路越境してトルクメニスタンに。トルクメニスタンでは下記5日間の行程でウズベキスタンのヒヴァに抜けます。
旧ソ連の国々は
エストニア、ラトビア、リトアニア、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバ、ドニエストル共和国(未承認国家)、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、カザフスタンを訪問済み。残りはトルクメニスタンのみです。
ウズベキスタン、トルクメニスタンの後はどうしようか検討中。サマルカンドに移動し、サマルカンドからドバイかアブダビ、そこからイランやパキスタン、イラクの訪問も検討中。イスラエルも未訪問なので年内に必ず訪問します。
2025年5月4日『ラジオ日本』の番組出演『マット安川』さんの『価値組Sunday!』に出演 !海外(旅行)の話し、活動内容、好きな国(タイ、ブータン、イタリア、スペインなど)、出版本に関して
そろそろ前にお伝えした本が販売となります。
帰国後すぐにラジオ日本の番組にお誘いをいただき
ミッキー安川さんの息子さん『マット安川』さんの『価値組Sunday』に出演させていただきました。
2週連続の収録を先日
港区麻布台のスタジオで収録しました。
番組内容は自己の経歴や海外歴
海外の話しや出版本に関してのお話をさせていただきました。
6年ぶり2回目、戦時中のウクライナ。
ポーランドから陸路越境をして、まずは安全度が高いリヴィウに滞在しました。ポーランド、オーストリア、ハンガリーなど様々な国々に支配されてきたリヴィウ。それもあり、ウクライナの中で最もヨーロッパを感じる都市と言われています。
リヴィウの歴史地区は古い建物が建ち並び
ユネスコの世界遺産に登録されています。
戦争開始時はリヴィウもロシアによる攻撃を受けていましたが
今は、たまに空襲警報がなりますが、わりと安全な都市です。
タイのパタヤの夜の繁華街『ソイ・ハニー』ソイブッカオ→セカンドロードまで!ソンクランの時期Soi Honey in Pattaya,Thailand