国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

パラオ

パラオのKBブリッジ・現日本パラオ友好橋(韓国が建設し崩落、その後、日本が再建)

平成25年(2013年)6月にかつての日本の委任統治領であるパラオを訪問しました。数多くの場所を訪問したのですが、そのうちの一つがパラオ最大の橋であるKBブリッジです。

今回のテーマは

アキーラさん訪問!パラオの噂のKBブリッジ・現日本パラオ友好橋(韓国が建設し崩落、その後、日本が再建)

 

これが噂の韓国が建設したKBブリッジ・1996年崩落事故2人死亡
をもっていたようだが、しばらくして崩落。パラオ人に犠牲者が出た。その後、日本のO­DA援助のもと、新しいKBブリッジが建てられた。その橋を建てるのに尽力した日本政­府への感謝の碑を発見。

パラオの旧首都コロール島とバベルダオブ島を結ぶ、全長413メートルのコンクリート製の橋です。KBはコロール島とバオブべダル等の頭文字をとっています。


コロール島とバベルダオブ島の間は、幅約250m・水深約30mの海峡で隔てられており、橋が完成する前は渡し船で行き来していました。経済のためには、橋を架ける事が重要となり

1977年に、韓国の建設会社SOCIOにより、コロール島とバベルダオブ島を結ぶコンクリート製の橋が建設されました。



設計上は風速67mの暴風や激震に耐えられるとされていました。なお、建設業者選定入札において、SOCIOが鹿島建設の半額の入札価格を提示し落札した。

しかし、それらは嘘で、実際には耐えられず崩落。値段は日本のゼネコンに比べ半額だったために落札したわけですが、嘘をついて契約を結ぶという詐欺行為は、いかにも世界でも有数の詐欺・犯罪大国韓国らしい行為です。

 

ちなみに、SOCIOは、1994年に崩落した韓国の聖水大橋(施工は韓国の東亜建設)にも関わっております。建設直後から橋の中央部がへこみ始め、20年もしないうちに約1.2mも陥没した。各国の会社により補修、補強工事が何度も行われていたが、1990年にパラオ政府は、230万ドルをかけた補強工事を選択しました。

これでは最初から日本のゼネコンを選んでいたほうが安上がりだったわけです。そこに手を差し伸べたのは日本でした。

 

 

 

2002年1月、日本政府開発援助(ODA) によって再建されました。正式名称は「日本・パラオ友好の橋(Japan-Palau Friendship Bridge)であり、通称で「日本パラオ友好橋」ともいわれる]。設計上の耐用年数は50年であるとのことです。

日本により新しく建設された日本パラオ友好橋

パラオ最大のODA援助国である日本。日本への援助の碑がいたるところに

パラオ政府が財政的な理由から自国の資金による建設を断念したため、1997に日本の無償援助による橋の再建を決定し鹿島建設によって再建されました。韓国はこれに対して何の謝罪も賠償もしておりません。

旧橋と同じ位置に建設されたが、韓国によって建てられた旧橋のコンクリートが低品質であったので、旧橋残存部の再利用はせずに、一から建て直すことになりました。5年の歳月を経て、2002111日に完成この新しい橋のたもとの記念碑には、日本・パラオ友好の橋 (Japan-Palau
Friendship Bridge)
と刻まれ、友好の象徴として両国の国旗が描かれている

かつて世界最貧国の1か国であった韓国。韓国を日本が多大の資金と技術援助をして発展させてきたですが、韓国はまったく、それらへの感謝を意はなく、敵意むき出しに反日をあらわにし、日本を貶める活動を国内外でおこなっております。

韓国もしくは中国のような国々の製品は確かに安いです。しかし、買ってみるとすぐに壊れて、アフターフォローもない事は多いのです。新しく買い直してさらにお金がかかります。それならば、最初から性能のよく長持ちの日本製品を買うほうが、韓国や中国の2等、3等製品を使うよりも安上がりになるとういう事をしるべきだと思います。

そして、それら韓国や中国の製品を持つのは正直、ダサいです。自分も韓国や中国などの2等、3等製品を持った場合、周りの人々に恥ずかしくて、言えません。

これらは、世界の人々の共通の念です。お金がないので中韓製を購入したが、すぐに壊れた。最初から性能の良い日本製品を買えばよかったと。

しかし、韓国はそれら国家ぐるみでそれらを払しょくするために、ブランド委員会なるものを設置し、日本国内においても半島同胞や韓国資本により、日本のマスメディアへの広告料提供により、韓国ごり押しをかつてしておりました。それを何もしらない一般国民は騙されていたわけですが。
ちなみに、世界各地で韓国のゼネコンが建設した橋やビル、道路が崩落しております。詐欺犯罪を平気でする韓国ですので、手抜き工事も当たり前のようにおこなわれております。

皆さん騙されてはいけません。世界では今、韓国人や韓国の会社に対しての風あたりが強くなってきています。上記理由からです。韓国人の民度の低さを考えれば当然の事といえば当然ですが。

しかし、その半面で日本の技術力は非常に素晴らしいです。世界の人々もそれを分かっております。

親日国パラオ・マラカル島・日本名をつける現地自動車修理屋

パラオ・マラカル島にある日本人の名前をつける現地自動車修理会社。平成25年(2013年)6月に9日間、太平洋に浮かぶかつての日本の委任統治領であるパラオを訪問しました。

今回のテーマは

アキーラさん発見①親日国パラオ・マラカル島・日本名をつける現地自動車修理屋

 

Yo-jiroと名をつける自動車修理屋
現地での調査結果により、経営者はパラオ人でした。尊敬する日本(人)の名前をつけたそうです。このように、この国では生粋のパラオ人が、日本人の名前を子供や会社につける事をしております。それだけ日本が尊敬、愛されているということです。
パラオはかつて、ドイツの委任統治領でしたが、第一次世界大戦でドイツが敗戦をした結果、日本がパラオの統治をゆだねられ、30年程日本の委任統治領で会った場所です。

通称パラオは、太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国である。首都はマルキョク。2006年10月7日に旧首都コロールから遷都しました。

16世紀頃より、海運の進歩の結果ミクロネシア諸島にもヨーロッパ人が訪れるようになり、スペイン人が初めて渡来し、次いでポルトガル人、イギリス人がやってきた。パラオも1885年にスペインの植民地下に入った。

これらのヨーロッパ人により天然痘などが持ち込まれ、また現地人に対する搾取が行われた結果、パラオの人口は90%程度減少したとされる。1899年に、国力が衰退の一途を辿っていたスペインは、グアムを除くスペイン領ミクロネシアを450万ドルでドイツに売却、パラオもこれに含まれ以降ドイツ植民地となりました。

1914年に第一次世界大戦が開始されると、イギリスやアメリカなどと同じ連合国の一国であり、ドイツに対して宣戦を布告した日本が海軍を派遣し、ドイツ守備隊を降伏させてこれを占領しました。

第一次世界大戦の戦後処理をするパリ講和会議によって、パラオは日本の委任統治領にななりました]。

コロールには南洋庁及び南洋庁西部支庁(パラオ支庁)が置かれ、パラオは周辺諸島における植民地統治の中核的な島となり、多くの日本人が移住しました

日本の統治が始まってからは、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった学校や病院、道路など各種インフラストラクチャーの整備も重点的に行われ、1920年代頃になるとコロールは近代的な町並みへとその姿を変貌させてきました。

また、日本統治の開始にともない日本語による学校教育が現地人に対しても行われるようになりました。

太平洋戦争末期に、アメリカ軍がパラオに侵攻してきた際に、南のアンガウル島やペリリュー島は激戦地となりペリリューでは日本人兵士約11000人が玉砕する(アメリカ軍死者は約8000人)程、激戦地となった。アメリカ軍が攻めてくる前に、日本軍はペリリュー島民を戦争の犠牲者にならないように本島へ移住させた。しかし、日本軍と一緒に戦うと島に残ったペリリュー島民も多くおりました。

今でもパラオは親日国であり、1994年独立の際は、尊敬する日本の国旗を真似て、国旗を作りました。初代大統領は日本人の血を引く日系人(現地人との混血)のナカムラ・クニオ氏です。日本はアメリカと並ぶパラオへの最大の援助国であり、それらへの感謝の碑をいたるところで発見します

親日国パラオ・バベルダオブ島一周(レンタカー)

平成25年(2013年)6月に9日間、太平洋に浮かぶかつての日本の委任統治領であるパラオを訪問しました。

パラオ渡航の目的は様々ありましたが、先の大戦での激戦地慰霊訪問、日本統治時代の調査等、他に観光的要素調査、観光名所訪問、OPツアー参加等です。

今回のテーマは

アキーラさんドライブ!親日国パラオ・バベルダオブ島一周(レンタカー)

 

スズキのスイフトを借りる
首都はマルキョク。2006年10月7日に旧首都コロールから遷都しました。

コロールタウン目抜き通り
車線は右。ハンドルは左ハンドルも多かった。借りたのは左ハンドル。ミクロネシア全体からみても、グアム島に次いで2番目に大きな島であります。

マルキョクの綺麗な海岸に沿った道路

日本政府も道路敷設に尽力
夜は街灯が少ないので注意必要

海外での運転は注意がつきものです。交通ルールや標識が違いますので、それらは事前に調べておく必要があります。

道路修復に関して日本の援助に対しての感謝の碑

海外では、詐欺、恐喝行為をおこなうレンタカー会社も多くありますので、借りる際は、会社を見極めたほうがよいです。バジェットやハ―ツ、エイビスの大手や日系は信用できます。間違ってもよく知られていない会社は利用しないのが無難です。




国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

アキーラさんユーチューブチャンネルは下記

http://www.youtube.com/user/Yuukokunoshi1

慰霊訪問!親日国パラオ・ペリリュー島(日米激戦地)・米軍初上陸地(オレンジビーチ)

今年(平成25年)6月にかつての日本の委任統治領であるパラオを訪問しました。

パラオ訪問時に、日米の激戦地になったペリリュー島を訪問しました。マラカル島からボートで約1時間程で到着しました。
船外機ボートはヤマハ(発動機)のものがほとんででたまにスズキ製品があります。これらに浜松に関連した会社の製品が世界のシェアを独占しております。基本的にどこにいってもヤマハ製を多く見かけます。
小型ボートをチャーターしました

 

日章旗と旭日旗を掲げた。
英霊の方々が歓迎してくれたのか清々しい天気でありました。昭和19年9月15日米軍によるペリリュー初上陸が行われた。(海岸からの戦艦等によるに艦砲射撃後に)。(オレンジビーチ)米軍の計算では数日で陥落させる予定が、一斉の日本軍の射撃、砲撃にあり反撃をくらい小さな島であるが陥落までに2か月以上を要した。日本軍の死者約11000人、米軍の死者約8000人。祖国を守るために戦われて命を落とした英霊の方々に感謝の意を表するとともに慰霊をさせていただきました。
ペリリュー島・米軍初上陸地

 

上記地点より南の地点。非常に綺麗な海でした
アメリカが攻めて来るのを事前に察知し、戦闘にペリリュー島民を巻きこまないように、島民を本島のほうへ移しました。しかし、そんな中、一部のペリリュー島民はペリリュー島決死隊を結成し、日本軍と一緒にアメリカと戦ったのでした。
日本は武士道精神を重んじた行動をしておりました。素晴らしい国・我らが日本

国際&旅行ジャーナリスト 大川原 明

親日国パラオ・世界遺産ロックアイランド+大シャコ貝ツアー!

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親日国パラオにてロックアイランドと大シャコ貝ツアーに参加。ボートからの景色は最高であった。

今回のテーマは

アキーラさんお薦め!親日国パラオ・世界遺産ロックアイランド+大シャコ貝ツアー!

 

パラオといえば世界遺産ロックアイランドが有名です。

パラオを訪問した人々のほとんどがこの世界遺産のロックアイランドを訪問します。

平成25年(2013年)6月に9日間、太平洋に浮かぶかつての日本の委任統治領であるパラオを訪問しました。

ボート

ボートからの景色堪能

パラオはかつて、ドイツの委任統治領でしたが、第一次世界大戦でドイツが敗戦をした結果、日本がパラオの統治をゆだねられ、30年程日本の委任統治領で会った場所です。通称パラオは、太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国である。首都はマルキョク。2006年10月7日に旧首都コロールから遷都した。

 

多くの島々があり、そこをボートですりぬけていきました。

途中、無人島によりそこで食事をとりました。

海はすごく綺麗でした。

 

無人島上陸
BBQの昼食

島でのんびりと過ごす

泳いでみました
シュノーケリングのポイントも連れていってもらえたのですが、

綺麗なサンゴ礁と熱帯魚を見る事が出来ました。

 

シューノ―ケリングを楽しみました。水中カメラで撮影
   

国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明 

 

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