国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

海外日本関連物発見

ブルガリア・ソフィア・日本ホテルと呼ばれるマリネラホテル!?日本庭園!何故、日本ホテル?

ソフィアで宿泊しているマリネラホテル。1980年代共産党支配化に建てられたホテルです。前述したとおり、日本の御三家ホテル・ニューオータニが建てたものです。設計は建築家の黒川紀章です。
10年少し前にドイツの0会社にわたり、今は他の別会社が経営してますが、現地の人々から日本ホテルと呼ばれ親しまれてます。
5つ星のホテルで、日本庭園等日本に関連したものも多く残っております。

台湾・花蓮・松園別館の琉球松(日本統治時代建立=高級将校休憩所)!

花蓮にある日本統治時代の痕跡】花蓮市内には日本統治時代の関連物がいくつかありますが、そのうちの一つがこの松園別館です。戦中昭和17年(1942年)に日本軍により軍事指揮センターと高級将校の休憩所とし造られました。

場所は花蓮の港と海を一望できる小高い丘にあります。神風特別攻撃隊の出征前に攻撃隊はここに集い、天皇陛下よりの御前酒がふるまわれました。

また、敗戦後、日本人将校がここで自決しました。その後、ここを訪れた人々が将校の亡霊をみたという目撃証言が相次ぎました。
しばらく放置されていたのですが、2002年に花蓮歴史建築物として登録され、2006年より一般公開されています。

今では、建物内部で芸術作品も展示されており、多くの台湾人が訪問する場所となっており、若者達のデートスポットにもなっています。

【親日台湾で尊敬される日本人】台湾・【八田與一】が建てた鳥山頭ダム(日本統治時代建立)

【台湾の教科書にも載っている台湾で尊敬される日本人の1人】烏山頭ダム水庫に到着。水庫すなわちダムです。ここは日本人の間でも知られている八田與一が建てたダムです。今回の渡航では台湾で尊敬される日本人の痕跡調査しましたが、3人目です。

八田與一は石川県金沢市の地主の家に生まれ、東京帝大卒業後、技師として渡台。当初は台湾の衛生状態をよくするための衛生事業に尽力。台湾南部の都市の上下水道整備等に従事。

その後、発電・灌漑事業の部門に移動。28歳という若さで八田は、桃園治水工事で成功おさめました。そして、31歳で台湾人医師の娘である外代謝(当時16歳)と結婚。

大正7年(1918年)に八田は、嘉南平野の穀倉地帯を旱魃の危険から守るために、灌漑設備の改善策としてダム建設を計画。当初は、受けいられず、国会でも議論されるほどだったのですが、計画が認められ、大正9年(1920年)に工事が開始され、10年後の昭和5年(1920年)に完成。

その後、八田は、フィリピンへの異動を命じられ、昭和17年(1942年)長崎からフィリピンに向かう太平洋丸に乗船中、九州沖でアメリカの潜水艦の攻撃を受けて、命を落としました。享年45歳。

八田與一は、台湾の教科書でも紹介されるほど、台湾では知名度の高い日本人です。台湾人観光客が毎日多く観光バスで訪れています。

台湾・高雄・日本統治時代に建てられた旧高雄市役所(現高雄市立歴史博物館)

【日本統治時代の痕跡調査】高雄市内の高雄市立歴史博物館。これは日本統治時代に建てられたコロニアル風建築の旧高雄市役所です。高雄で訪れるべき名所の一つです。

台湾で尊敬される日本人!台湾・福瀬村!森川清治郎巡査が祀られる台湾・嘉義県福瀬村の富安宮

台湾には数多くの日本人が尊敬されていますが、そのうちの1人が森川清治郎巡査です。

場所はどこにあるのかというと嘉義県の東石郷福瀬村です。
交通の便は悪いので、嘉義からタクシーを利用し、高速も使い30分程で到着。(距離でいうと40キロくらいはあると思います。)
タクシー代だけでも往復5000円くらいかかりました。でも行って本当によかったです。

それでは、台湾人にいまでも尊敬される森川清治郎巡査とはどんな方なのでしょうか。

1861年(文久6年)に横浜に生まれた森川巡査(農家の生まれ)
日本統治後の1897年(明治30年)に台湾へ渡りました。そしてここ福瀬村の派出所勤務となりました。

当時は、劣悪な治安であったようですが、治安改善に尽力。そして私費を投じて、教科書を日本より取り寄せて、寺子屋を開き当時、村民のほとんどが文盲であったなか、住民に読み書きを教えました。衛生教育にも熱心でした。

村人が海で溺れているとの通報で、真っ先に海に飛び込み、助けに入ったこともありました。これにより、村人達から非常に尊敬されるようになりました。

明治34年(1901年)に台湾総督府は漁業税を設けました。福瀬村は海岸からも近く漁民が中心の村です。人々の生活は貧しく、漁業税をもうければ、村人の生活がたちいかなくなる可能性が高かったのです。(村人達の訴えもあった)

村の窮状をしっている森川巡査は、嘉義庁東石港支庁へ赴き、減税を求めたが、当時の支庁長は、住民を扇動し、謀反を起こそうとしているとして要請を跳ね除けた上、森川巡査を訓戒処分に処し徴税を重ねて命じました。

これに村人達に責任を感じた森川巡査は、翌年、自決を遂げました。村の人々の要望に応える事が出来なかった責任を感じ、自らの命を絶って責任をとったのです。これを知った村人達は非常に悲しみました。

その21年後、大正12年(1923年)に福瀬村でコレラ脳炎等の伝染病がはやりました。この時に村人の夢枕に森川が警察官の服装で現れ、「環境衛生に心がけ、飲食に注意し、生水、生ものを口にせぬこと」というお告げの内容を村民に告げたのです。村民がこれを守ったところ、伝染病の流行をまぬがれる事ができました。

義愛公として富安宮という立派な廟を村に建立し、森川巡査が祀られています。日本人は場所柄あまり訪れませんが、台湾の方々(内省人)が多く観光バスなどで訪れています。台湾で非常に尊敬される日本人の1人です。

世界1周総集編映像!第2弾!フィリピン・セブ!

世界1周!第2弾!フィリピン・セブ!

セブは6日間滞在
成田空港からフィリピン航空(通称PAL)のPR435便を利用しました。登場時間は安定しておりました。千葉から小笠原諸島を通りました。
機材はこないだVN(ベトナム航空)を利用してサイゴン→セントレア利用したのと同じエアバスのA321 -200で3-3の配列の小さな飛行機でした(格安航空会社が利用するA320の兄弟機ですが、席数はそれより40~50席多く、シートピッチもある。)モニターがない飛行機でした。(共有のモニターすらなし)
フィリピン航空は正直なところあまり利用したくない航空会社の一つですが(絶対利用したくない航空会社ではない)、今回のフライトはよかったです。一時は安全面で欧州への乗り入れを禁止される程でしたが、欧州線も復活。機内食もよかったです。
セブに行くには直行であれば成田、セントレア、関空から出ております。マニラ経由の便もあるんですが、やはり直行便がよいです。
入国審査は想像以上にゆるいと感じました。もっと厳しいかと思ったんですが。
早速、ホテルにチェックイン。セブの空港はセブシティーがあるセブ島ではなくリゾートがたまるマクタン島にあるんですが、マクタン島のリゾートに宿泊です。オンザビーチのプール付きの宿で部屋はオーシャンビューです。

アキーラさん&珍太郎さん!フィリピン・セブ島潜入記!

徳州会事件で有名な徳州会がかつてブルガリアに進出していた

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【ブルガリアに進出していた徳州会グループ】
医師で衆議院議員も務めた徳田虎雄氏が設立した医療法人・徳州会。徳洲会を中心とし、66の病院をはじめとして総数280以上の医療施設を経営する日本最大の医療グループです。
一代でここまでの成長させたのは、ある意味、凄い功績です。

何かと黒い噂がある徳州会ですが、皆さんご存知の通りの徳州会事件。平成24年(2012年)12月の衆議院議員総選挙で、虎雄氏の子息である徳田毅議員の陣営に多数の職員を給与・日当を払い運動員として派遣したとして、公職選挙法違反などで問題となりました。多数の逮捕者を出しました。

この徳田殻議員は、父親の議員秘書時代の2004年2月に知人の紹介で知り合った19歳女性に東京・赤坂で会食を共にした19歳女性に飲酒をさせ、酩酊するまで飲ませて、その後で高級ホテルの部屋に連れ込み、性行為に及んだ(なお、当時は徳田毅は半年前に結婚して新婚であった)。その後、1000万にものぼる慰謝料を相手側に払い、示談。

他に猪瀬元東京都知事が辞任するきっかけとなった徳田一族からの5000万円の資金提供を受けった事件。(新右翼団体一水会の木村三浩氏が斡旋)

他に税務問題、臓器提供斡旋、暴力団とのつながり、業務上横領など様々な問題がある徳州会です。

そんな徳州会が、ブルガリアに進出し、10年前にソフィアに病院を建てました。しかし、徳州会事件等があり、現在では、徳州会の経営から外れ、トルコ系が経営する病院になっています。

※写真は、ブルガリアのソフィアの中心街の歩行者天国

【世界で活躍する日本企業製品】インド格安航空会社が機内販売する日清のカップヌードル

世界で活躍する日本企業!インドの航空会社の機内食に指定されている日本の日清のカップヌードル。インスタント即席麺で世界的なシェアを誇る企業です。(そもそも即席麺は日清が発明したものですからね。その後、物まねの韓国企業などが模倣し、他国の企業も製造販売)マサラ味なんかもあります。
海外留学時や海外赴任時、6年ほどの海外居住時に日清をはじめとした日本の即席麺にはお世話になりました。海外のスーパーでも売っています。(もしくは日本の食材が買えるとこなど)
日清もそうなんですが、食品メーカーのなかに味の素なんかもアジアでは大きな市場シェアをもっています。
最近の日本食ブームで海外に販路を拡大しているキッコーマンなど。
日本企業には頑張っていただきたいですね。

【日本政府がブルガリアに50本の桜を贈呈した事に対する記念碑】世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第5話!

【日本政府がブルガリアに50本の桜を贈呈した事に対する記念碑】

場所はソフィア市内にあります。(現地にて撮影)春になれば桜が咲きます。
親日的な国であるブルガリア!様々な理由があります。ブルガリアと日本の関係は、19世紀までさかのぼります。19世紀末より公式関係にありました。
第一次世界大戦では日本は連合国側にて参戦、ブルガリアは枢軸国側で敵対関係にありましたが、直接的な交戦はありませんでした。第二次世界大戦下では、日本とブルガリアは同じ枢軸国で味方同士でした。
しかし、1944年9月のブルガリアクーデター(英語版)により、ブルガリア王国政府が枢軸国から離脱したため、国交は断絶されました。戦後、旧ソの影響を受けて共産社会主義国家として歩んだのですが、1959年9月に15年ぶりに国交が回復されました。
共産社会主義体制当時からブルガリアは親日的であり、冷戦中も両国は敵対関係になることなく良好な関係を維持してきました。これは、周辺のハンガリー、チェコ、スロバキア、ルーマニア、ポーランド等の国々も同じです。
ソフィアで宿泊したマリネラホテルが1979年当初、日本政府のブルガリア政府観光庁への支援もあり、日本の御三家ホテルであるニューオータニホテルが建てたとお伝えしました。(設計は黒川紀章)ホテル内部には立派な日本庭園もあり、人々を魅了しています。
現在、在ブルガリア日本人は140人程、在日ブルガリア人は400名程です。年間にブルガリアを訪れる邦人の数は11000人程。そのうち9000千人は観光で訪れています。
ブルガリアでは日本の文化に関心が持つ人々が多いです。これは、欧州全土、特に東欧、バルト三国、南欧です。(実際に現地視察調査して分かった結果です。)
ブルガリアでは、琴欧州でも有名な相撲・欧州で人気を博している剣道・茶道・漫画とアニメ・俳句などをおこなう団体が数多くあいります。現地訪問した何人かのブルガリア人女性に話しかけられましたが、日本の文化やア二メに興味があるブルガリア人でした。

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【文章&写真】

〚略歴〛タイ⑬

国際ジャーナリスト
大川原 明(おおかわら あきら)
昭和五十四年(一九七九年)九月
静岡県生まれ
専修大学経営学部経営学科卒
大学卒業後、新卒で大手旅行会社入社、退職後、世界各地を調査渡航。
世界六〇か国訪問。今年中に百か国突破予定。
海外在住歴は留学、仕事で長期4か国計6年
世界一周後、日本一周(現在、四一都道府県訪問済み)国内外において、写真と動画双方にて撮影。証拠撮り。
※写真は全て、私自身が、現地調査によって撮影してきたものです。

 

上記記事に関しての質問や問い合わせ、取材、記事寄稿依頼、講演依頼等ありましたら

下記までご連絡ください。

大川原 明(オオカワラ アキラ)

E-mail:last-samurai-akira@hotmail.co.jp

携帯電話:090-6078-6677





 

タイ・カンチャナブリー・日本軍敷設・泰麺鉄道!クウェー川鉄橋橋!

今も使われている鉄道!5年半年ぶりにタイとビルマ(ミャンマー)の国境地帯に近いカンチャナブリーを訪問しました。ここは、多くの方々がご存知だとは思いますが、先の大戦下において、ビルマへ軍需物資を運ぶために、日本軍により敷かれた泰麺鉄道の場所です。

連合国の戦勝国史観で語られている映画「戦場にかける橋」の舞台となった場所であります。
実際に連合国軍の捕虜を使い鉄道を敷設したのは事実です。そのほかに、賃金を払い現地タイや他の東南アジアの人々が鉄道敷設に関わりました。
バンコク郊外からビルマのタンビュッザヤまで結ぶ415キロの鉄道路線。
現在もカンチャナブリーから80キロ先のナムトックまで列車が分こうしており、人々の足となっております。

ちなみに一番最初に出来たのは、昭和18年2月にまず木造橋が出来ました。(3か月で出来た事で有名な橋)その2か月後には100メートル先に鉄橋が出来ました。
しかし、昭和19年2月~6月に連合国軍の爆撃により使用不能に。戦後、昭和25年に日本が再建したものが現在の鉄橋です。

多くの方がご存知だとは思いますが、靖国の遊就館に飾られている蒸気機関車はこの泰麺鉄道で実際につかわれていたものです。

いくつかの戦争博物館があるのですが、アメリカがかなり入り込んでいるのが分かりました。アメリカ、イギリスを始めとした連合国GHQが戦勝国史観で大袈裟にかかれているのは目にみえてわかりました。日本軍を何がなんでも悪者にしようと。
勝てば官軍、負ければ賊軍とはまさにこのことです。これは幕末の倒幕派VS佐幕派の戦いをみてもわかります。
日清、日露での日本の勝利は日本は悪くいわれません。それは勝者であるから。

しかし、事実な事は、日本軍が執拗に拷問したというのは嘘で極一部いう事を聞かない捕虜に対してだとは思いますが、コレラ等の疫病、伝染病で多くの人々が亡くなったのは事実です。

伝染病ですから広まりますからね。カンチャナブリーは本当に暑いです。自分も脱水症状を起こしそうになるくらい汗をかいたものです。猛暑の中の作業は確かに過酷であったとは思います。
かつての光景が脳裏をかすりました。