国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

2014年

ブルネイ・かつての日本の占領地&栗田艦隊駐留地(レイテ島の戦いへここから出撃)

平成23年(2011年)6月にブルネイ王国を訪問しました。

今回のテーマは

アキーラさん訪問!ブルネイ・かつての日本の占領地&栗田艦隊駐留地(レイテ島の戦いへここから出撃)

意外­にもこの国と日本は密接な関係にあります。­この国は立憲君主制で王様がいるがブルネイ王­室と日本の皇室は非常に仲が良のです。昨年、安倍首相がブルネイを訪問致しました。

そして貿易面になると、この国でとれる石油や天然ガ­スのほとんどを日本が輸入しております。

ブル­ネイにおいては8割~9割が日本車であります。­トヨタ、日産、ホンダ、三菱、マツダ、スズキ、ダイハツ、いすゞ等の車を見る事が出来­ました。

電化製品も日本製が多かったです。ソニーや­パナソニック、ダイキン等。

ショッピングセンター内にあったゲームセンタ­ーも訪れたがほとんどが日本製でありました。

最近、東南アジアに出回り始めている性能がわ­るく安い韓国製品も、豊かなこの国では­買う人があまりいない。ブルネイ国民への聞き取り調査では、­性能の悪い韓国製品よりも性能が良く安心できる日本製品を買いたいとの事でございました。

ブルネイの歴史は、ブルネイ北部は昔からシナ(現在の中国)、インド、アラビアを結ぶ貿易ルートの寄港地でありました。

15­世紀には当時の国王がイスラム教に改宗し(アラブの人々との交流が起因)、イスラムを­­人々に布教する事により、国土を広め、最盛期にはボルネオ島全域とフィリピン・ミン­ダナオ島まで支配しました。

16世紀以降 ポルトガルやスペイン等の欧州諸国と交流するようになるが、フィリピンを植民地化した­スペインとの争いにより18世紀にはほとんどを占領されてしまいます。

1888年にブルネ­­イはイギリスの保護領となる。大東亜戦争中に日本軍が1942年~終戦まで占領しいたしました。

かつて日本兵の方々もこの川を眺めていた事であろう

日本軍が駐留し、多くの日本人がここに住んでおりました。ブルネイ港は軍港としても機能し­、­連合艦隊の主力が停泊したこともありました。

有名な所では、1944年のレイテ沖海戦­における栗田艦隊はブルネイから出撃。

日本人にとっても感慨深い場所であります。

マレ­ーシ­アと同じように主要民族派マレー人、そして中華系、インド系も多く住む。この国­は一人当たりのGDPは東南アジア1 アジアで日本に次いで2番目である。しかし、個人所得税はなく医療費、教育費は無料、­電気、水道等の公共料金も安い。そして物価は安い。そう考えると日本よりも豊かなのか­­もしれない。

ブルネイ川・水上集落が見えます。

イスラム教国なのでモスクがあります。

オールドモスク

人口は40万人弱で三重県ほどの大きさで、そこまで見所があ­るわ­けではないので、2泊~3泊でも充分周れる。周りのミリやコタキナバルへバスや­飛行機が出ており、拠点としても使ます。

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アメリカ・西海岸・ベニスビーチ!!

2012年2月にアメリカ西海岸ロサンゼルスを訪問した。

その際に、現地在住の日本人・Kさんに到着初日は車でいろいろな所へ連​れて行ってもらった。そのうちの一つがこのベニスビーチ で、日本人観光客が基本的には行かない、ホテル屋上のバ​ーに連れて行ってもらった。景色は抜群で、ビールも美味​しく、滞在を楽しむ事が出来た

今回のテーマは

アキーラさんお薦め!!アメリカ・西海岸・ベニスビーチ!!

まずは海岸沿いの歩行者天国を散策してみた。

多くのお店があり、西に位置しているので夕日がすごく綺麗であった

ビーチ近くのビルの屋上にあるバーにて景色を楽しみながら現地のビールを堪能した

スケボーを楽しんでいる人々が!のどかな雰囲気が広がる!

素晴らしいビーチであった。ハワイへは以前に行った事があったのだが、アメリカ本土へは

初めてであった。まだ他の地域に行った事はないのだが、アメリカ西海岸は

気にいった。

 

スペイン・バルセロナのビーチ!

平成24年(2012年)8月にスペインバルセロナを6年半ぶりに訪問した。

前回は、平成18年(2006年)前回は訪れなかったが­、今回はビーチも訪れてみた。バルセロナにこのようなビーチがあるとは知らなかった。

今回のお題は、

アキーラさん海水浴!スペイン・バルセロナのビーチ!

 

バルセロナは、スペイン北東部に位置するカタルーニャ州の州都で、バルセロナ県の県都­でもある。スペイン国内では、首都マドリードに次ぐ第2の都市。

地中海沿岸に位置する港湾都市で、フランスとの国境であるピレネー山脈から160km­南に位置する。カタルーニャ州及びバルセロナ県のいずれにおいても、人口の大半を占め­るプライメイトシティ(一極集中型都市)であります。

寝椅子で日焼け

しかし、海水浴が出来るビーチがあるというのは、前回の訪問は冬だったのもあり、気がつきませんでした。

多くの人々が海水浴を楽しんでいる
波止場からの海岸の景
中にはトップレスにしている女性もおりました。


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対馬・比田勝港・国際ターミナル・韓国人上陸地点(対馬⇔釜山)

 

平成25年(2013年)10月5日~6日で長崎県・対馬を訪問した。そこにおいては対馬における韓国人観光客の増大、韓国人による対馬の土地買収問題等の調査、対馬の魅力を調査致しました。対馬を下対馬か­ら上対馬と1周したが、多くの場所を訪問しました。

そのうちの一つがこの比田勝港です。

Hidakatsu5

 

今回のお題は

アキーラさん調査!対馬・比田勝港・国際ターミナル・韓国人上陸地点(対馬⇔釜山)

ターミナルの建物

Hidakatsu1

 

上対馬の北東に位置する比田勝港。

海上保安庁の船が

Hidakatsu2

そこ­は、韓国人観光客が釜山から訪れる玄関であります。

対馬⇔釜山を行き来する船

Hidakatsu7

釜山から毎日船が来ております。

対馬⇔釜­山間の国際フェリー発着所である。韓国人はここから上陸しております。

待合室

HIdakatsu8

帰国・乗船待ち

Hidakatsu3

一つ気になったのだ­が、どこで入国審査をしているのか?という点であった。

これでは不法密入国者も出るのではないのか?と思いました。

フェンスも簡単に乗り越えれそうです。

ちなみに、日本人でも釜山までここから船で行く事が出来ますが、ここにいたのはほとんどが韓国人でした。ものすごい数でびっくりいたしました。

海上保安庁の船を韓国人が観察中

Hidakatsu6

Hidakatsu6 Hidakatsu5

 

 

動画・多くの韓国人が!!

今年4月に対馬を再訪問予定です。

昨年10月の渡航は1泊2日という短い期間であったので、まだ訪れていない場所も多いという事と、対馬の魅力となる場所を訪問し、ご紹介させていただきたいと思います。


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ラオス・バンビエン・コテージ宿泊

2011年5月にラオスを訪問した。
その中で、中部にある山と川の景色が綺麗なバンビエンを訪問しました。
今回のテーマは
アキーラさん宿泊お薦め!ラオス・バンビエン・コテージ

ラオス人のおじさんにコテージまで案内してもらいました

あまり日本人にとって馴染みがない国であるラオス!ラオスはタイとカンボジア、ベトナム、ミャンマー、中国に囲まれている内陸国。
近隣諸国の侵略、19世紀終わりにはフランスの保護国となる。
第二次世界大戦中に仏印に進出した日本は、ベトナム、カンボジア、ラオスとも、日本軍の影響が強くなり一時、日本の占領下におかれました。
当時の日本軍もラオスに駐留。
コテージ外を散策

戦後、日本に見習い、再保護国化を図ったフランスからの脱却を図り、内戦、東西冷戦に巻き込まれ、1975年に社会主義国の国として独立する。隣国との争いは全世界共通でおこっている。
タイとは歴史的な背景があり、言語が似ており、タイ語が通じたりもします
コテージ中

バンビエンは首都のビエンチャンと世界遺産都市のルアンパパーンの間に位置しており、1970年代のラオス内戦で王国政府側についたアメリカ空軍の滑走路が国道13号沿いに出来、観光客が多く訪れるようになったのは1990年代からである。そこから急激に観光地化が進んだ場所である。
川にかかる橋上から

首都のビエンチャンからバスで4時間程、世界遺産のルアンパパーンからはバスで7時間程

観光の中心は、町の中心部を流れるナムソン川のカヤッキングやチュービングなどのアウトドア・アクティビティを中心に山すそに数多く存在する洞窟や鍾乳洞、滝の探検、トレッキングなどが中心となっている。これらは町中に数多く存在する旅行代理店または各ホテルでツアーなどに申し込み参加することが普通であります。
対岸からコテージを望む

宿泊施設はいくつかあるが、せっかくなのでコテージ(ロッジ風に宿泊してみた。
ナムソン川と山々の景色が実に素晴らしい場所である。最近ではホテル、ゲストハウス、レストランが出来ている。お薦めはナムソン川と山々を一望できるロッジ風の宿であった。
のどかな田舎の景色を楽しむ事が出来ました。


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ラトヴィア・リガの市場

平成24年(2012年)6月に旧ソ連の構成国であったバルト3国を訪問しました。

北からエストニア、ラトビア、リトアニア。

今回は、真ん中のラトビアに関して記事を書かさせていただきます。

アキーラさん散策お薦め!ラトヴィア・リガの市場

ラトビアの首都はリガ。リガは「バルト海の真珠」と讃えられる美しい港町で、その旧市街地はユネスコ世界文化遺産­登録されております。

世界遺産に登録されている旧市街「リガ歴史地区」は約300棟のアールヌーボー調の建­築物がございます。

新市街は官庁や会社がが集まります。

人口約80万人のリガ市はラトビア国内はもとより、バルト三国最­大の都市でもあります。

そんな中、リガのバスターミナルの近くにある

市場を訪問しました。


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対馬渡航調査!対馬の危機!韓国人による対馬乗っ取り計画!現地ホテルの韓国語表記

昨年10月に訪問した対馬。そこでは対馬の魅力発掘とともに、押し寄せる韓国人観光客。韓国人による対馬乗っ取り計画に関しての調査をいたしました。

今回のお題は

アキーラさん言及!対馬の危機!韓国人による対馬乗っ取り計画!現地ホテルの韓国語表記

昨日(平成26年1月20日)の産経新聞朝刊の記事をみて、このままでは対馬は非常に危ないと再認識いたしました。

以下、産経新聞(平成26年1月20日)朝刊より抜粋

↓↓↓↓↓

昨年11月中旬の夕暮れ、長崎県対馬市厳原(いづはら)町の厳原本川をはさんで飲食店やホテルが立ち並ぶ繁華街、川端通りに繰り出した。厳原町は鎌倉時代から600年以上にわたり対馬を統治した宗家10万石の城下町だった場所だ。

 「ここの1、2階は韓国料理店」「ここは韓国人の元ガイドが経営」「ここは、韓国人がオーナーで対馬人が従業員。今年オープンした」

 一般社団法人IIFG副理事長で対馬協議会事務局長の友納徹さん(64)が声を潜めながら案内してくれた。「日本人名義だが、実質経営者は韓国人という飲食店が増えてきた。そういう店に対馬の人たちが雇われている」

 10人ぐらいの韓国人観光客らしいグループが酒に酔っているのか、何やら声を張り上げながら闊歩(かっぽ)している。日本人の姿はない。

 スナックやバーが立ち並ぶ裏通りに入って驚いた。5年前に島を訪れたときと比べて明かりが少なく、人影もまばらだ。以前は目についた「韓国人観光客、お断り」の張り紙がほとんどない。

 「日本の飲食店街の中で密集度が最も高いといわれていたが、今は寂れて見る影もない。少々トラブってでも、韓国人観光客に来てほしいのです」。友納さんはこう話した。

 対馬観光物産協会の江口栄会長(59)によると、最盛期には飲食店120軒ほどが営業していたが、今は60~70軒程度。韓国人を断る札をかけているのは1、2軒だという。

「本土から観光客が来よったころは本当によかった」。釜山在住の韓国人が実質経営する飲食店の男性従業員、Aさん(54)は懐かしんだ。

 Aさんは32年間、厳原町の居酒屋で働いた後、2年半前に独立したが、客が入らず間もなく閉店。そこの客だった韓国人の観光ガイドの仲介で現在の店で働くようになった。

 「昔は肩がぶつかるほど混み合っていた。1日のあがりは8万円とか12万円とかはざら。ところが、15年ほど前からは、よくて5、6万円。その頃から韓国人が来るようになった。本土から日本人観光客も来ていたが、韓国の観光客が増え始めると、引いていった」

 Aさんが32年間働いていた居酒屋も、以前は韓国人観光客を断っていたが、今は受け入れているという。「(以前は)日本人が嫌がっていたから、韓国人は断っていた。でも、今は韓国人も入れんと、やっていけんとですよ」

 現在、韓国人の店で働いていることについて、Aさんは「はがゆいんですよ」と唇をかんだ。その一方で「このあたりはみんなそう。名義は日本人。日本人が経営しているみたいにして、金は韓国から。韓国人の店で働く方が収入はいい。今は韓国人と一緒にいてよかったなあと思っている」とも話す。

 韓国人オーナーとの間に信頼関係もできてきたという。「『あなただけが頼りだからねえ』と言われて、『できることは何でもしますよ』と」

 Aさんの言葉からは、やりきれなさと矛盾を抱えたまま過ごさざるを得ない複雑な思いが切々と伝わってくる。

 

一致しつつある利害

 

 27年前に集団就職先の地方都市から対馬に戻り、スナックを経営している女性、Bさん(58)は、街の変質ぶりをこう話した。

 「厳原の街は真っ暗になった。店の経営者はどんどん代わっていく。周りの店でも、これまで韓国人を入れてなかったが、5、6年前から全部、受け入れるようになった。そうしないと食べていけないんですよ」

 対馬市商工会の浦田一朗会長(70)によると、客としてだけでなく、飲食店を経営する韓国人が増えてきたのは2年ほど前からだという。「(地元の経営者が)店をやっていく余力がないから売る。きちっと日本円で買うわけですから、売る方は損をしない」

 一方、買収する韓国人側の思惑について、Aさんは、親指と人さし指でお金を意味する丸をつくって説明した。「日本円を向こうに持って行くと倍になるとですよ。ウォンへの換金率がいいとです」

 経済的閉塞(へいそく)感が強まる中、生活のすべを求める対馬市民と営利を追求する韓国人の間に利害関係が一致しつつあるのだ。(宮本雅史)

【産経新聞1月20日朝刊より抜粋】

1泊2日という短い期間で多くの場所を訪問しましたが、かなり危ないというのが正直な実感でした。

宿泊したホテルは対馬中心の厳原地区にありましたが、

なんとホテルに入るドアに韓国の国旗とハングル
蜀咏悄

して中に入るとキムチやコチュジャン臭い香りが充満しておりました。

そしてゴミ箱等にもハングルが。何故に日本語がない?
蜀咏悄 (2)

それは、民度が低く仕分けもしない韓国人だからか!?

正直な話し、日本人は蔑にされているというのが実感でした。

これは一部、韓国人を受け入れていないホテル以外のほとんどのホテルがこのように韓国語表記をしているようです。

ここにも!!
蜀咏悄 (5)

このままでは対馬が韓国人によって乗っ取られてしまう。

正直、私は思いました。

この日、ホテルには日本人が4人に対して韓国人は100人程宿泊していたようです。

外に出ても韓国人だらけ
蜀咏悄 (4)

これから対馬の記事を連載させていただきます。


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アイルランド・ギネスビール工場訪問

平成24年(2012年)5月18日にアイルランドダブリンにあるギネスビールの工場を訪問した。ギネスビールの生産工程を垣間見ることができた。入場料にはギネスビール1杯ついており、ギネスビールを堪能した。
今回のテーマは
アキーラさん訪問!アイルランド・ギネスビール工場

入口付近

内側入口付近

ギネスは、1756年創業のビール醸造会社である。1759年以来、アイルランド・ダブリンのセント・ジェームズ・ゲート醸造所に生まれた「ギネス」あるいは「ギネス・ビール」として広く知られる黒スタウトを生産している。

上映されるビデオ

これは皆さんがギネスというと想像する黒ビールである。しかし、実は黒ビール以外にも普通の色のビールも製造している。

創業者のアーサー・ギネスは、1759年に当時使われなくなっていたこのセント・ジェームズ・ゲート醸造所を年45ポンドの対価で向う9000年間の契約で借り受けている。 今日ではギネスは認可に基き世界各地で生産されているが、その生産されるビールはあらゆる報告から鑑みればそれぞれ著しく異なっている。一例として、ナイジェリアで生産されているギネスは、アフリカの気候下で流通・保存されるためにアルコール分が8%と非常に高くなっている。これは近年になってアフリカへの旅行者を中心に有名になり「アフリカのギネス」という触れ込みで本国アイルランドなどに逆輸入・販売されている。なおロンドンのギネス醸造所は2005年に閉鎖された。
製造工程が学べる

1997年末にグランドメトロポリタン社と合併してディアジオ社を形成し、今はディアジオ社のビール部門という扱いになっている。日本国内でのビールの販売権はサッポロビールが2009年6月まで持っていたが、2008年11月にディアジオ社と関係の深いキリンビールが販売権を取得したと発表、2009年6月からキリンビールが販売を行なうようになった(サッポロビールは日本での販売権を獲得した当初、将来的にサッポロビールでギネスを製造するという構想を立てていた)。
館内散策

アーサー・ギネスは最初はライスリップ(Ruislip)、その後1759年からアイルランド、ダブリンの聖ジェームズ・ゲート醸造所でエール醸造を始めた。彼は使われていない醸造所を年45ポンドの対価で9,000年間の賃貸契約をした。10年後の1769年にギネスは初めて製品を輸出し、その時6樽半がイギリスに送られた。
最上階のパブ

館内は大変広く、全てを周るには3時間程かかる。
入場券には一番上のパブでグラス一杯飲める券がついており、ビールを飲む事が可能である。ビール好きにはたまらないかもしれない。
ビールを飲んだが、つまみがあれば最高だと思った。

ギネス最高

製造工程も垣間見る事が出来、どのような方法でビールが出来るかを知る事が出来る。
ダブリンにきたら是非とも訪れるべき場所であります
皆さんも訪れてみてください。


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京都・先斗町の川床料理(会石料理)

日本の古都京都。世界遺産にも認定され、神社仏閣も多くあり、風情漂う都市です。世界中からの観光客も訪れ、世界に誇れる日本の都市です。

京都は今までに50回以上訪問し、数多くの場所を訪問しました。

今回のテーマは

アキーラさんお薦め!京都・先斗町の川床料理(会石料理)

Ponto14

京都を夏に訪問するとたまに先斗町の川床料理を楽しみます。

Ponto1

鴨川と木屋町に挟まれてい­る先斗町。

ここは京都市中京区­­にある花街です。江戸時代初期からの歴史を持ちます。

ここはもともとは鴨川の州で、江戸時代初期の寛文10年(1670年)に護岸工事で埋立てられ、新河原町通と呼ばれておりました。

 

繁華街としては茶屋、旅籠などが置かれたのが始まりです。芸妓、娼妓が居住するようになり、何度も取り締りを受けたが、川端二条にあった『二条新地(にじょうしんち)の出稼ぎ地として認められ、明治初期に独立。

明治5年(1872年)に鴨川をどりが初演され、先斗町は花街としての花を開かせました。舞踊の流派は明治より以前は篠塚流、その後若柳流を経て現在は尾上流でございます。

そして小道がありそこには川床料理を中心とした多くのお店が連なり、落ち着いた雰囲気でデートで連れていくには最適であります。

川床料理の店にて会席料理を堪能しました

Ponto15

ちなみに会席とは

席料理は宴席に供される料理です。本膳料理が廃れた現在、日本料理に於いては、儀式などで出される最も正統な料理形式である。会席とはもともと連歌や俳諧の席のことであり、呼称の似た懐石料理と混同されがちだが、ルーツは同じであるものの、近世以降は明確に区別されている。懐石料理は茶を楽しむためのものだが、会席料理は酒を楽しむためのものであります。

流派等により順番の違いがありますが

基本的に出てくる順番は

①先付 ・・・ 前菜

②椀物 ・・・ 吸い物

③向付 ・・・ 刺身

④鉢魚 ・・・ 焼き物

⑤強肴 ・・・ 煮物

⑥止め肴 ・・・ 原則として酢肴(酢の物)、または和え物

⑦食事 ・・・ ご飯・止め椀(味噌汁)・香の物(漬物)

⑧水菓子 ・・・果物

まずは先付から

先付①

Ponto3

八寸

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椀物

Ponto4

向付(鱧と鯛)

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魚ではなく肉が

Ponto8

止め肴??

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Ponto10

 食事

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 水物

Ponto12

費用は7000円の会席料理です。

これより安いのも高いのもあり予算にお任せ致します★ 

鴨川沿いで記念撮影

Ponto13

ちなみに川床は納涼床ともいわれております。

川床料理­は値段が張るものの、鴨川の景色を楽しみながら会席を楽しめます。

Ponto7

京都に来たのであれば是非ともお薦めの場所であります。

場所は繁華街である四条河原や三条などからも近く、バス、地下鉄等で最寄りの駅までいき、そこから徒歩圏内です。

平成21年(2009年)7月京都訪問時に撮影


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親日国パラオ・ペリリュー島の飛行場(旧日本軍飛行場)&日本軍戦車発見

小型ボートをチャーターし、1時間ほどでコロールから到着。日米の激戦地であるペリリ­ュー島へ上陸。

平成25年(2013年)6月にかつての日本の委任統治領であるパラオを訪問し、日米­の激戦地になったペリリュー島を訪問した。マラカル島からボートで約1時間到着しました。

ペリリュー島内をくまなく散策しました。

今回のテーマは

アキーラさん訪問①親日国パラオ・ペリリュー島の飛行場(旧日本軍飛行場)&日本軍戦車発見

 

雨季で天気が他の滞在日は悪かったが、この時は、英霊の方々が歓­迎してくれたのか清々しい天気でした。

空からの空爆、沖からの艦隊による艦砲射撃で破壊されているが、その当時の姿で残って­いる。

旧日本軍が敷設した空港。その空港は先の大戦後にアメリカ軍が使用。パラオがアメリカから独立後も空港として利用されています。

旧日本軍が敷設した飛行場・滑走路

旧日本軍の戦車発見

義理と人情を重んじる侍・武士道国家の日本。日本は素晴らしい国でした。


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