国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

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【世界遺産】沖縄県うるま市・勝連城跡!

那覇から車で沖縄のグスクなどの琉球王国の史跡群から構成されるユネスコの世界遺産を構成している1つである勝連城跡に。

城跡は南城、中間の内、北城で構成されていおり、北城は石垣で仕切られた一から三の郭が階段状に連なり、一の郭が最も高く標高約100mの丘陵上にあり、一番上の郭からは360度の絶景を楽しむ事が出来ます。

非常に堅固な城で当時の姿が脳裏に浮かびました。
13世紀~14世紀に茂知附按司により築城されたといわれるお城で、この城の最後の城主が阿麻和利。
阿麻和利はクーデターを起こしてこの地方の按司となり、琉球の統一を目論んだが1458年に琉球王府によって滅ぼされました。その年に廃城に。

昭和47年の沖縄本土復帰とともに日本の史跡に。
平成12年11月に、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界文化遺産に登録。

【沖縄戦の戦跡地巡り&慰霊④】沖縄県糸満市・平和祈念公園

【沖縄戦の戦跡地巡り&慰霊④】
同じく糸満の平和祈念公園を再訪。

公園内の戦跡は沖縄戦最大の激戦地&終焉地。
昭和20年5月、アメリカ軍の攻撃により、首里にあった日本軍司令部は、沖縄本島南部に移動。

日本軍による組織的抵抗は、6月23日に司令官・牛島満中将が摩文仁の司令部壕で自決したことにより終了したがアメリカ軍は翌7月初めまで掃討戦を続けました。

平成祈念公園内には各県の慰霊碑一覧があります。
全てを訪れるのは時間がかかりますので
皆さんの出身県の慰霊碑にて合掌や焼香をするとよいでしょう。

喜屋武岬などと同じくこの摩文仁の丘からも沢山の人間が追い詰められて飛び降りて亡くなりました。

摩文仁の丘で出会った80過ぎのお婆さん。
「お兄ちゃん、慰霊はこちらからだよ。」と言われ
お婆さんの近くにいくと花を持っていってといわれました。
1束300円ですが、最初は断ったのですが
結局購入することに。
慰霊碑に献花させていただきました。
一緒に記念撮影。
80を過ぎても懸命に商売している姿に心を打たれました。

沖縄海洋博記念公園内の綺麗なエメラルドビーチ!「日本の水浴場88選」&「快水浴場100選」

公園内にはいくつかのビーチがあるのですが、一番のお勧めはエメラルドビーチです。名前のとおり、エメラルド色のビーチで、2001年に「日本の水浴場88選」、2006年には「快水浴場100選」に認定されています。

遊泳期間は4月1日~10月31日。遊泳期間中はビーチハウスと呼ばれる売店が営業し、監視員を配置して安全確保が図られます。有料とはなりますが、ビーチパラソルや浮き輪や救命胴衣の貸し出し、コインロッカーの完備もあります。また、無料でシャワーを利用する事が出来ますので、安心して海水浴を楽しむ事が出来ます。

沖縄県那覇市・対馬丸記念館!昭和19年対馬丸事件(学童疎開船)!

【沖縄戦慰霊・慰霊地】
那覇市内にある対馬丸記念館
沖縄線で忘れてはならないのは、沖縄からの学童疎開に使用された輸送船・対馬丸。アメリカの潜水艦による魚雷攻撃で沈没。1482名の死者を出しました。

対馬丸は1912年(明治45年・大正元年)から整備を開始したT型貨物船のうち、欧州航路向けの第1期船6隻のうちの一隻として、イギリスのグラスゴーのラッセル造船所で高田丸とともに建造される。船価は9万4500ポンド。

竣工後は第一次世界大戦真っ只中の欧州航路などを就航して、当時は日英同盟で連合国側についていた日本。連合国向けの軍需品や食糧輸送で活躍し、特に対馬丸は1916年(大正5年)6月21日、再開されたパナマ運河を経由する貨物船として、横浜~東回りニューヨーク航路第1便として横浜を出航しました。
開戦直前の1941年(昭和16年)9月21日に陸軍に徴傭され、南方作戦に投入されました。後に、船舶運営会使用船となりました。

サイパン島玉砕後にアメリカはB29爆撃機による本土空襲が可能になりました。
これを危惧して日本政府は
「本土決戦に備え、非戦闘員である老人や婦女、児童計10万人を本土または台湾への疎開をさせよ」との命令を通達しました。
一方で、沖縄本島などへ展開させる兵員や軍需物資の輸送も同時に行う事となり、一部を除いて往路は軍事輸送、復路は疎開輸送に任じる事となりました。

1944年(昭和19年)8月20日に対馬丸と暁空丸、和浦丸で構成されたナモ103船団は台風接近による激しい風雨の中、蓮と宇治の護衛により長崎へ向けて那覇を出港しました。

翌々日の8月22日に西沢武雄船長と陸軍少尉の輸送指揮官との間で激論が交わされました。米潜水艦による魚雷攻撃によりいくつもの船が沈んでいる事を知っている西沢船長はこの航路の危険を熟知していたので、ジクザグコースを取る事を主張。しかし輸送指揮官は、船団から離れる危険や、到着の遅延への懸念の方を重く見て直線での航行を主張し、結局「軍の命令」ということで直線コースをりました。それが命取りに。

対馬丸を撃沈させたのは
アメリカの潜水艦ボーフィン。8月22日夜に攻撃を開始。6発の魚雷を発射し、2本の魚雷が命中。命中した11分後に対馬丸は大爆発を起こして沈没。
対馬丸の乗船者1788名のうち1482名が犠牲に。生き残った人々はイカダでトカラ列島や奄美諸島に漂着もしくは漁船等に助けられました。

平成26年(2014年)6月に慰霊のために天皇皇后両陛下が行幸啓。
慰霊碑「小桜の塔」や対馬丸記念館を訪れ、事件の生存者や遺族らと対話をしました。

東南アジア周遊旅行!期間や費用は?どのように費用を抑えれる?

番組をご視聴いただいている方から
下記質問をいただきましたのでご回答させていただきます。
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(質問)
今度の夏休みにベトナム→カンボジア→〔ラオス〕→タイ→マレーシア→シンガポールの順に周遊しようと思ってます!そこで質問なんですが必要な期間と費用はどれくらいでしょうか?
ぜひ回答おねがいします!