国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

東欧(東ヨーロッパ)

酪農王国!ブルガリア・ソフィアで訪れるべき場所5選

旅メディアたびねずに旅記事寄稿!今回のお題は、酪農王国!ブルガリア・ソフィアで訪れるべき場所5選

ブルガリアと聞いて日本人が連想するのはヨーグルトでしょう。また、琴欧州の出身国としても知られています。観光では日本人には馴染みが薄い国ですが、魅力ある観光名所が数多くあります。

ブルガリアの首都のソフィアは、ヴィトシャ山麓に位置する標高550メートルの高原都市。周囲を山々に囲まれ、風光明媚で水が美味しい事でも有名です。今回は、ソフィアで訪れるべき5つの場所を皆さんにご紹介いたします。

 

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たびねず記事

ポーランド・アウシュヴィッツ強制収容所

ポーランドのオシフィエンチム市にあるアウシュビッツ強制収容所を訪­問。敷地内は広­く、当時のままで残るものが多い。建物内部は、資料館としての役割を果たしており、写­真やユダヤ人処刑者の遺品や髪の毛などが展示されている。
欧州主要言語や日本語ガイド(曜日限定)がおり、それぞれの言語にてガイドに引きつら­れて説明を受ける。
ここまでは、ポーランドの古都のクラクフから電車を利用して訪問。
アウシュヴィッツ第一強制収容所はドイツ占領地のポーランド南部オシフィエン­チム市­(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接する­ブジ­ェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)につくられた。周辺には同様の施設が多数建設­さ­れている。ユネスコは二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1­­979年「負の世界遺産」に認定した。一部現存する施設は「ポーランド国立オシフィエ­­ンチム博物館」が管理・公開している。

ポーランド孤児?親日国ポーランドとは?日本男児はもてもて?いたるところで逆ナンパ?現地訪問して分かった真実!ポーランド孤児?世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第1話!

世界を周ってきた大和男児アキーラが語る日本が素晴らしいと思える出来事!第1話!親日国ポーランドとは?日本男児はもてもて?いたるところで逆ナンパ?現地取材して分かった真実!ポーランド孤児が起因?

東欧のポーランド。日本人から遥か遠い場所にある国。日本とは深い関わりがないと思う人は多いと思うのだが、実は日本とは関わりが深い国である。

ポーランドを訪問時に首都のワルシャワや古都のクラクフを訪問。写真撮影中にいたるところでポーランド人女性に話しかけられて、一緒に記念写真を撮っていいですか?と言われた。

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日本に来た事があるのか?と女の子達に質問するとほとんどが日本へ行った事がないとの事。しかし、日本が好きで日本へは是非とも行きたいとの事であった。これは何が起因となっているのか?これには、かつて日本政府がポーランド孤児を助けた事や日露の戦いでの日本の勝利、日本文化がポーランドに入り込んでいる事が掲げられる。

1904年(明治38年)~1905年(明治39年)の日露戦争。日露戦争開戦時、世界のほとんどの国が大国ロシアが勝つと思っていた。しかし、そんな世界各国の予測は外れ、アジアの小国である日本が帝政ロシアを打ち負かした。これは、欧米列強に植民地とされていたアジアやアフリカ諸国だけでなく、当時、ロシアの植民地もしくは圧政下に苦しんでいたフィンランド、バルト三国、ポーランドをはじめとした東欧諸国に勇気と感銘を与えたのは事実である。

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日露戦争時のポーランドは、帝政ロシア、オーストリア帝国、プロイセン王国の3つの国に領土を分割され支配されていた。ポーランドは18世紀に領土分割されて以降、11月蜂起、1月蜂起にみられるような独立運動を展開してきた。しかし、成功はしなかった。そんな中、日露戦争においてアジアの小国である日本が大国ロシアに打ち勝った事に勇気と感銘を与えられたのは紛れもない事実である。

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日露戦争が終わった9年後、1914年(大正3年)、オーストリアの皇太子がサラエボでボスニア系セルビア人に暗殺されたのが発端となり第一次世界大戦が勃発。1918年(大正7年)の第一次世界大戦後に、ポーランド共和国として独立を果たす。

1919年(大正8年)このころは ロシア国内において革命、反革命の勢力が争う内戦状態が続き激しさをましていた。この時シベリアには、ロシアにより捕らえられたポーランドの政治犯や、愛国者の家族、­内戦の混乱を逃れてきた人達が15万人~20万人いた。これら人々は過酷な重労働、飢餓や疾病の中で厳しい生活を送っていた。親と死別した子供たちは、お腹を空かし、身を寄せる場所さえなく、 いつ死んでもおかしくない極めて厳しい状況下で暮していた。

あまりに悲劇的な状況を見るに見かねたウラジオストク在住のポーランド人たちが立ち上がり、「ポーランド救済委員会」を設立。欧米各国に救済を依頼したが、断られた。そんな中、ポーランド救済委員会は日本政府に助けを求めた。救済依頼した欧米諸国に断られ、最後の頼みの綱が日本であったのである。日本政府は、わずか17日後には救いの手を差し伸べる決断を下す。大変な費用と手間が必要であったにもかかわらず、日本人は、シベリアのポーランド人たちの惨状を見るに見かねて判断したのであろう。これぞ、まさに武士道精神である。人情深い人が多い日本人らしい行動である。

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1920年 (大正9年)7月 ロシアのウラジオストクからポーランド孤児たちを乗せた日本陸軍の輸送船 「筑前丸」が敦賀港に入港。孤児たちは、粗末な服を着て、哀れなほど痩せ細っていた。敦賀港より入国して、孤児たちの姿を見た多くの日本人は、同情を寄せ、子供たちに愛情のこ­もった暖かい救済をはじめていく。収容された孤児たちの多くは、栄養不良で痩せ細り、歩くのもままならないものも多くいた。また、子供たちの多くは腸チフス、感冒、百日咳などの病気であったため、すぐに治療が­施される。着ている物はボロボロで、靴を履いている子供はほとんどいなか­った。

そこで 日本赤十字社は、一人ひとりに衣服、肌着、靴、靴下などを新調し、さらに食事の提供や­果物などを支給。収容先では、子供たちを慰めるため慰安会が開かれ、動物園や博物館へも行って楽しく過­ごしている。また、貞明皇后から御下賜金が届けられ、全国から多数の寄付金が寄せられる。病院では、すぐに充分な治療が受けられるように病室も準備していた。 安全を確保するため警察官も配備するなど孤児達の周りには、善意があふれていたのである。

1920年(大正9年)と1922年(大正12年)の2回、合計で765名もの孤児が東京や大阪で治療と看病を受け、全員が元気をとり戻し、横浜や神戸の港から帰国したのである。親身に世話をしてくれた日本人の看護婦や保母たちとの別れを悲しみ、乗船を泣いて嫌がるほどであった。孤児として両親と生き別れ、愛情もまともに受けずに育ってきた孤児達。そんな中、日本人の深い愛情に感銘を受けたのである。

彼らは帰国船が出発する際に、口々に「アリガト」など、覚えたての日本語を連発、「君が代」などを歌って感謝の気持ちを表わしたのである。双方ともに、涙を流しながら、姿が見えなくなるまで手をふりつづけたのである。

これら孤児達は、ポーランドに帰国後に「極東青年会」という団体を組織し、第二次世界大戦前にドイツが侵攻するまで、ポーランドで日本の素晴らしさを紹介する活動を行なうと共に、日本に行くための資金を積み立てておりました。しかし世界大戦の戦乱と、東西冷戦により日本へ行くことがかなわなかったのである。

1995年(平成6年)に阪神大震災がおこった後に、1996年(平成7年)、1997年(平成8年)に震災で被災した児童をポーランド政府は招待してくれたのである。その時に、ポーランドの元孤児の方4名がこれら被災した日本人児童と面会し、温かい言葉をかけた。

ポーランドでは、ポーランド孤児を日本が助けた事に関して教育で教えており、非常に日本に対しての感情がよく親日家が多いのである。よって、日本人が写真撮影していようものなら一緒に写真をとってくれませんか?と話しかけられるのである。

また、第二次世界大戦中、日本とポーランドは対ソ連諜報において緊密な秘密協力関係にあった。また、ポーランド共和国陸軍はソ連の暗号を解読しており、大正時代より教官を派遣するなど、日本軍に最新の暗号解読技術を教授した。密接な関係にあったポーランドである。

※下記写真はポーランドの古都クラクフの大聖堂。非常に美しい大聖堂である。

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ポーランドに進出している日系企業は260社を超えており、日本製品もポーランド国内で普及。また、それら日系企業で働くポーランンド人も数多くおり、日本語教育の需要があるのである。

日本語教育の歴史としては、ちょうどポーランド孤児が受け入れられたころに、日本研究が盛んになり、1919年にワルシャワに日本語講座が開かれた。ワルシャワ大学には現在、日本語学科があるのであるが、ポーランド内の多くの大学で日本語学科を設けている。2002年には、同大学日本語学科は天皇皇后両陛下がポーランドを訪問(行幸啓)。現地ポーランド人から強い歓迎を受けたのである。

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ポーランド人男性からポーランド人の日本に関しての感情を伺ったのだが、やはり、上記理由などからほとんどのポーランド人が日本に対して良い感情を持っているとの事である。

ちなみに日本の文化、武道、漫画、日本食も人気である。ポーランド国内では、多くの日本食屋があり、ポーランド滞在時に利用してみた。

※下記写真は、ワルシャワ市内のオト寿司という日本食屋

165835_424280877595130_277739521_n日本からポーランドは直行便が就航していなかったのですが、なんと今年(平成28年1月14日)からLOTポーランド航空が週三便直行便を飛ばすようになりました。益々、日本とポーランドの関係は深まるものと思われます。

【文章&写真】

〚略歴〛タイ⑬

国際ジャーナリスト
大川原 明(おおかわら あきら)
昭和五十四年(一九七九年)九月
静岡県生まれ
専修大学経営学部経営学科卒
大学卒業後、新卒で大手旅行会社入社、退職後、世界各地を調査渡航。
世界六〇か国訪問。今年中に百か国突破予定。
海外在住歴は留学、仕事で長期4か国計6年
世界一周後、日本一周(現在、四一都道府県訪問済み)国内外において、写真と動画双方にて撮影。証拠撮り。
※写真は全て、私自身が、現地調査によって撮影してきたものです。

 

上記記事に関しての質問や問い合わせ、取材、記事寄稿依頼、講演依頼等ありましたら

下記までご連絡ください。

大川原 明(オオカワラ アキラ)

E-mail:last-samurai-akira@hotmail.co.jp

携帯電話:090-6078-6677





米国防省!東欧・バルト諸国に兵器集積=ロシア抑止へ!東欧、バルト諸国、フィンランドはロシアをどう思うか?現地渡航調査にて分かった事?

【ワシントン時事】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は13日、米国防総省が欧州­­でのロシアの挑発行為を抑止するため、戦車や歩兵戦闘車、重火器などを、ポーランド­、­ルーマニア、ブルガリアなど東欧諸国とバルト3国に事前集積することを検討してい­ると­報じた。
集積する兵器は米兵3000~5000人の展開を想定した規模。同紙は「北大西洋条約­­機構(NATO)諸国防衛に向けた米国の決意をロシアのプーチン大統領へ明確に伝え­る­ための動き」と指摘している。

【自己の見解】
かつて、東欧は、旧ソ連時代に旧ソの強い圧力下にありました。フィンランドは、帝政ロ­­シアの時代に、帝政ロシアに支配され、バルト3国は、旧ソ連の地域内に組み込まれ虐­げ­られてきた経緯があります。
それゆえ、これら国々の対露感情はよくありません。
昨年、ロシアによりウクライナのクリミア地方が併合されましたが、未だウクライナ問題­­は終息しておりません。
かつて、東西冷戦下において米ソの対立で第三次世界大戦が勃発する可能性がありました­­が、旧ソ解体と共にその可能性はかなり低くなりました。
しかし、ロシアは昔の威光を取り戻すがごとく行動しており、これに関して、東欧、バル­­ト3国はもちろんの事、西欧諸国も危機感を募らせております。
日本とロシアの関係は現状、良い関係とはいえません。戦後、日本固有の領土である北方­­領土はロシアに占拠されたまま。
日本政府は再三にわたり、ロシアに北方領土返還を求めておりますが、返還にいたってお­­りません。
戦後、米国による圧力もあり、米国追従体制を強いられてきた日本ではありますが、ほん­­の少しだけでも、ロシアに対しての比重をあげ、ロシアも日本が必要とし、アメリカも­日­本には離れてほしくないのですから、日本の意見も少しは聞いてくれるようになると­思い­ます。
うまく譲歩し、うまい外交戦術を持ち、北方領土・失地を取り戻してほしいものです。
ロシアの軍用機が頻繁に日本の領空を侵しております。中国により尖閣諸島近くへの領海­­侵犯もほぼ毎日のようにされております。
北朝鮮の問題もあります。
いわゆる共産社会主義者は即時、日米安保破棄、米軍基地撤廃といっておりますが、自分­­の国を自分で守れない状況下においてそれは危険でございます。
フィンランド、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、東欧(チェコ、ポー­­ランド、スロバキア、ブルガリア、ルーマニア)を訪問した私ですが、それらの国々で­の­対日感情は非常に良い事に気がつきました。
特にフィンランド、バルト三国、ポーランドは。現地の女性から、一緒に写真を撮りたい­­といわれたものです。
日露戦争での日本の勝利に感銘をうけた国々です。多くの逸話がありますが、これも後日­­、言及いたします。


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親日ポーランドのクラクフでポーランド人女性に一緒に記念撮影したいと声をかけられる?

平成24年(2012年)6月にポーランドの古都であるクラクフを訪問しました。正直な話し、喧噪感があるワルシャワよりも落ち着いた街で、雰囲気はよく私的にはクラクフのほうが好きであります。

今回のテーマは
アキーラさん!ポーランドのクラクフでポーランド人女の子に一緒に記念撮影をしたいと声をかけられる?

ワルシャワの歴史地区と並び、クラクフの旧市街も世界遺産に認定されている。その中心の中央市場広場はすごく雰囲気がよくお勧めである。そしてびっくりしたのは、突然、ポーランド人の女の子が近づいてきて写真を一緒に撮ってくれませんか?と言ってきた。突然、見知らぬ人から話しかけられ、写真を一緒に撮ってくれませんか?と。
しかも別の場所も含め、他にも3組の女の子から同じように写真を撮ってくれませんか?と話しかけられ、びっくりしました。

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汗を自分がかいていたので、肩を抱いてとるのはやめたが。太陽の方向を向いているので、目が朝鮮人(韓国人)のように細くつり上がった感じになってしまっているが(笑)。
しかし、何故だろう。なぜ?と聞くことをしなかったが、日本の事は好きとの事です。
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日本にも行きたがっております。 以前にポーランドの孤児を 日本政府が助けたのもあるし、日露戦争で日本が大国ロシアに勝ち、それがその後のポーランドの独立(フィンランドも)につながったのは事実であるし、他の東欧諸国、バルト3国、アジア、アフリカ、中東などに勇気と希望を与えたのは事実である。日露から14年後の1918年にポーランドはロシアから独立している。
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多くの大学では日本学科をおき、日本語学校も点在するという。欧米では珍しいのだが、日本人男性と結婚したいポーランド人女性も多いそうだ。(主に日本語習得者)
このポーランドがどのような国か知るには Youtubeで親日国ポーランドといれてください。ノンフィクション作家の女性が良い説明をしる動画があります。あとはポーランドの孤児に関して、日本語が話せるポーランド人達など。
親日国ポーランド

日本人として誇りが持てます
日本政府が救ったポーランドの孤児とは?

ハンガリー・ブダペスト・中央市場・ハンガリー名物グヤーシュスープ!

名物のグヤーシュスープとハンガリーのビール。平成24年(2012年)7月に、ハンガリーのブダペ­ストを訪問の際に、多くの場所を訪問したが、そのうちの一つがこの中央市場。ハンガリ­ーのあらゆる食材が集まる市場であります。

今回のテーマは
アキーラさん堪能!ハンガリー・ブダペスト・中央市場・ハンガリー名物グヤーシュスープ!

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市内には5~6か所の市場があるが、ここ中央市場が最大の市場である。1994年に改装。1階­には、青果やソーセージ、サラミ、名物で安いフォワグラの缶詰やパテが売られ、地下に­は魚や肉、2階にはバーや軽食屋があります。

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グヤーシュスープとはハンガリー起源のシチュー料理です。
牛肉とタマネギ、パプリカなどから作られる。パスタ類やサワークリームを加える事があります。
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代表的なハンガリー料理であります。一般的にハンガリー家庭では主菜として食べられることはなく、日本の味噌汁のような存在であります。
日本人宿で仲良くなった日本人と一緒に

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動画

かつての大ハンガリー圏をはじめ、オーストリア、ドイツ南西部バイエルン地方、ルーマニア北部トランシルヴァニア地方、スロヴェニア、チェコ、スロヴァキア、ポーランドなどでも食べられております。

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ブダペスト⇒ブカレスト行き夜行寝台電車(海外の夜行寝台電車利用)

2012年7月にハンガリーブダペストを訪れた。ハンガリーの次は、ルーマニアのブカレストを訪問したのだが、夜行寝台電車IC473を利用した。アップダウン
今回のテーマは、
アキーラさん利用!ブダペスト⇒ブカレスト行き夜行寝台電車

ブタペスト東駅・電車

ブダペストから16時間程で到着。列車内には、食堂車がついており、そこで食事をした。ルーマニアもハンガリーもシェンゲン協定に加盟し、日本人はビザはいらないが、入国時のチェックは依然として厳しい
車窓を楽しみながら、ルーマニアのブカレストに到着しました。得意げべーっだ!ドキドキラブラブ

ベッドになる前の部屋(6人ベッド

欧州を周遊旅行する際は、鉄道で旅行するのが最適です。耳耳耳
車窓を楽しみながら、陸路越境。
日本を出発前にユーレイルパスを購入しておく必要があります。(基本的に、現地での購入は出来ないようです。)ガーンショック!しょぼん
食堂車で食事

ポークソテーを注文した。フライドポテトとサラダ、ビールを頼み、1000円程であった。得意げ
味も美味しかった。ユーロでの支払いが可能であった。
近くにはロマ人がいた。このあたりの国にはロマ人が多いようだ。目目
車窓を楽しむ

ユーレイルパスは様々なタイプがあるので、旅行会社で確認してみるといいです。
自分に一番最適なパスを手に入れましょう。得意げチョキパーグッド!
“>※ユーレイルパスは損失したら再発行できないので、なくさないようにきをつけましょう

車内では貴重品は身につけて持ち歩くようにしましょう。開閉可能なバックの中に貴重品を置いたまま、部屋を出ないようにしましょう。叫び叫び叫びショック!しょぼん


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ブルガリア・ソフィア市内散策撮影!

 

平成24年(2012年)7月にブルガリアの首都のソフィアを訪問した。ブルガリアといえば酪農王国­。市内の観光名所の教会等を観光した。そしてブルガリア料理を堪能しました。

今回のテーマは

アキーラさん散策!ブルガリア・ソフィア市内!

ソフィア中央駅とソフィア市街の間の地点

ソフィアはヴィトシャ山のふもとに位置し、ブルガリアの政治・経済・文化・教育の中心地であります。

­人口は現在、135万人程。である。

ソフィアはヨーロッパ最古の都市の一つであり、かつてはセルディカ、スレデ­ツ、トリアディツァと呼ばれました。

その歴史は­7千年以上に及びます。

のどかな景色が広がる

鉱泉の周囲に町を築いた紀元前7世紀にさかのぼる城壁は良い状態で保存されている。鉱泉は現在も湧水がある。ソフィアの数千年にわたる歴史の痕跡は、今日でもその一部を見るこ­とができます。

ソフィア市街地
旧共産党本部
100万人を超える大都市ではありますが、近代的な高層ビルが立ち並んではおらず、どことなくのどかさが残っている都市です。現在、地下鉄は走っておらず、市民の足はバスか路面電車です。

広場
治安が悪く、強盗、スリなどが多いと 聞いていたのですが、特に危険な目には合いませんでした。


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ハンガリー・ブダペスト・セーチェ二温泉!

2012年7月に東欧のハンガリーブダペストを訪問した。アップダウンブダペストは温泉がある都市としても有名ハンガリーの首都である。市内にはいくつか温泉施設があるのだが、そのうちの一つであるセーチェ二温泉を訪問した。ラブラブ!べーっだ!得意げドキドキラブラブ

今回のテーマは
アキーラさん!ハンガリー・ブダペスト・セーチェ二温泉

ここは、1913年に造られた市民公園内の大温泉センター。ローマ帝国時代の公衆浴場をイメージして造られた。プール内にチェス盤が設置されているのがユニークである。実際、ここでチェスをする事が出来る。館内と屋外の温泉プールがあり、混浴。もちろん、水着着用。得意げ得意げ得意げ
建物出入り口
老若男女ここを訪れている。ガチャピンキティちゃん
どことなく、日本人に近い感覚。日本人も同じく銭湯に行く習慣がある。ラブラブ!べーっだ!得意げドキドキラブラブ

屋外プール(屋内にこれより暖かい温泉ある)

ハンガリーの人は、元々はアジア系のマジャール族の血が入っている。しかし、時がたち混血等により、今では外見は白人。目目
しかし、生まれた時は、アジア人と同じように蒙古斑が出来る。叫び

ハンガリーは、第二次大戦下、ドイツの陣営についていた。得意げ得意げ
これはすなわち、日独伊三国同盟の枢軸国側であり、日本とは一応、同盟国好同士であった。ラブラブ!グッド!
治安は決して悪くはない。目
ただ、一人旅者、女性は気をつけたほうがよい。特に夜の外出は。

しかし、チェコのプラハと比べられるほど、ブダペストの街並みは綺麗である。ラブラブ!べーっだ!ドキドキラブラブ






国際&旅行ジャーナリスト 大川原 明

 

国際バス利用!ブルガリアのソフィア⇒マケドニアのスコピエ

国内外を旅行する際に利用する交通手段は多くあります。

飛行機、電車、車、バイク、バス、レンタカー、徒歩、自転車、船等

その中でバスも多く利用します。

海外において、陸路越境する際においても多用してきました。

今回のテーマは

アキーラさん国際バス利用①ブルガリアのソフィア⇒マケドニアのスコピエ

この国際バスを利用
その後、マケドニアを訪問しました。

ブルガリアの首都のソフィアからマケドニアの首都のスコピエまでこの国際バスを使い、移動したのですが、所要時間は4時間30分程である。

バスは新しく快適であった。

バス車内

両国国境地帯には低い山々が多い
バスはわりと新しく、費用も1500円程。日本人は自分一人であとは、マケドニア人、ブルガリア人でしたが、車窓を楽しみながら、バスの旅を満喫しました。

国境超えのチェックでは何か緊張感があります(笑)

ブルガリアの小さな町に途中停車

海外ではバスでの移動は安くすみますし、車窓も楽しめるという利点もあります。

マケドニア・スコピエ郊外
山賊が出る地域で、バス内にそれら山賊が入り込んできて貴重品を奪われたり、爆弾テロの対象になったりするという事も考慮にいれなければならず、事前に、調査をしていく必要があります。




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