ベトナムのホーチミン。
レタントン通り日本人街沿いにある
ゴーバンナム通り。以前は夜の店が多くあった通りで
日本食屋も多くあったのですが、
コロナ禍でそれらの店が閉店もしくは移転。
ベトナムのホーチミン。
レタントン通り日本人街沿いにある
ゴーバンナム通り。以前は夜の店が多くあった通りで
日本食屋も多くあったのですが、
コロナ禍でそれらの店が閉店もしくは移転。
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10年ぶり2回目のタイ北部、ビルマ(ミャンマー)の国境から近い距離にあるメーホーンソン。前回同様、メーホーンソン内、クンユアムの日本兵慰霊碑を慰霊訪問しました。
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メーホーンソン中心街外れにある寺『ワット・プラノーン』内には日本兵慰霊碑(ビルマ戦線将兵慰霊之碑)があります。1人の日本人として焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。
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10年ぶり2回目のタイ北部、ビルマ(ミャンマー)の国境から近い距離にあるメーホーンソン。前回同様、メーホーンソン内、クンユアムの日本兵慰霊碑を慰霊訪問しました。

メーホーンソン中心街外れにある寺『ワット・プラノーン』内には日本兵慰霊碑(ビルマ戦線将兵慰霊之碑)があります。1人の日本人として焼香、合掌、慰霊をさせていただきました。

※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ
※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ

10年ぶりのタイ北部周遊。パーイから山道をソンテオで移動。10年ぶり2回目のメーホーンソーンは前回同様3泊しました。
メーホーンソーン中心にチョーンカム湖という湖がありますが、非常に雰囲気の良い湖です。

湖沿いに寺院があり、徒歩で1周するのに約30分ほどです。
前回は夜になると屋台が多く出ていたのですが
コロナ禍で変わってしまったのか、屋台が出ていませんでした。
前回10年前は欧米人観光客が多くいたのですが
今回は外国人観光客が少なくなったと実感。
昼もよいですが夜の湖の雰囲気が最高です。

メ―ホーソーンに観光で来る人が必ずと言っていいほど
くる名所です。
※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ
イタリアのローマから北アフリカのチュニジアの首都チュニスで
空路移動。チュニスの空港着後にタクシーを利用して
市街地のホテルまで向かいました。

前回10年前にも訪問したパーイの中国国民党の残党勢力(KMT)の村。パーイの中心街から4キロ程の距離にあります。
中には飲食店や商店があります。

戦後、中国共産党と中国国民党は争い、中国共産党が勝利し大陸での実権を握りました。
その結果、蒋介石率いる部隊は台湾に逃れ、南西部にいた部隊はビルマ(現ミャンマー)に逃れました。

その後、中国共産党とつながりを深めたビルマ政府軍に追いやられ、中国国民党の残党勢力はタイ北部に逃れれきました。
彼らは武装したまま居座り集落を形成。麻薬売買などで生計をたてていました。KMTは武装訓練もおこなっていました。

1987年、タイ政府との交渉でKMTは武装解除、
武装解除の見返りとしてタイ政府からタイ国籍を与えられました。
村を離れる華人、以前ほど観光客が来なくなったのもあり、閉店している店が多かったですが、村の中心部から坂道を登ったところに華人達が家を建てて居住しています。
※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ

タイ北部の山合いの小さな町にあるパーイ。タイは先の大戦下、日本と同じ枢軸国側の同盟国でした。
日本軍はタイ政府から土地の租借、軍隊を駐留を認められていました。大東亜戦争開戦前にビルマ攻略を容易にするため、日本軍はビルマとの国境付近の川に多くの橋を敷設。

そのうちの1つがこのパーイ川にかかる橋です。
戦争末期に連合国がタイ側に進軍してくることを想定して
日本軍はこの橋を破壊しました。
橋は現地人にとっても貴重なものでしたが、
橋がなくなり川を小船で渡らなければならなくなりました。

多くの現地人が橋の再建を望み
戦後、他から橋を移築する形で再建されました。
1970年代に大きな洪水に見舞われて橋が崩壊。
その後、再び再建され現在に至ります。
※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影
使用レンズはF2.8 24-70㎜のレンズ
タイのバンコク
アソーク駅近くに2012年に完成したターミナル21。
上の階にフードコートがありますが
前々から利用しています。綺麗なフードコートで安くて美味しい。
大人気のフードコートなのでお昼時はかなり混んでます。