国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

2015年

ミャンマー(ビルマ)・ヤンゴン市街地散策!

ミャンマーのヤンゴンをの街並み。現地ルポ動画。市街地散策、仏教系寺院であるスーレ­ーパヤー、悪徳裏両替商の客引きとの交流、買春斡旋者との交流、日系のサクラタワー等­を撮影。
ご存じの通り、ミャンマーはかつてビルマと呼ばれた国です。ヤンゴンはかつてラングー­ンと呼ばれ、日本人にも馴染み深いくでした。
先の大戦では、一時期、日本は、ビルマを占領。多くの日本人が駐留した場所です。
ヤンゴン郊外に日本人墓地があるのですが、慰霊訪問もさせていただきました。
ヤンゴン市街地は隈なく歩きましたが、昭和時代の日本車が数多く走っており、懐かしさ­を覚えたものです。
ヤンゴンの人口は市域を合わせて410万人程。それゆえ街中は活気に満ちております。
日本人墓地に行く際に、軟禁されていたスーチーさんの家も通りました。

戦前~戦中、日本に留学していたビルマ人が多くおりましたが(スーチーさんの父親など­)
それらが、戦後のビルマをつくりあげました。
戦後は、軍事政権のもと、中国共産党と強い結びつきがありました。
しかし、ビルマの人々は、心の底では日本と仲良くしたいという気持ちは強かったのです­。
ミャンマーはこれから、民主化が進んでいくと思いますが、これから日本との結びつきも
強くなっていきます。
法改正等が進んでいくと思いますが、私が、訪問した時に、ホテルで会社経営者の日本人­と
何人かと会いましたが、日本の資本もこれからさらに進出しやすくなると思います。

スペイン・バルセロナ・スペイン料理満喫

2年ぶりのバルセロナです。
早速、スペイン料理を堪能しました。まだこれからです。まずは、ハモンセラーノ。
そしてバレンシア風パエリアです。スペインのビールと共に食しました。

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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
欧州 スペイン・バルセロナにて 9月3日撮影

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フランスの高速列車TGV利用!フランス・パリ→スペインバルセロナ

フランスが誇る高速列車TGVは、過去3回の欧州周遊旅行において毎回、フランスは訪問しておりますが、フランス国内
もしくは、スイスやドイツに行く時に何度も利用しました。

ドイツのミュンヘンから夜行寝台電車を利用して、フランスのパリに到着
この後、スペインのバルセロナ行きの電車にのるために北駅へ行きRERでガルデリヨン­­駅に行き、そこからTGVへ乗車しました。そして6時間ほどでスペインのバルセロナ­に­到着。
フランスが誇る高速列車TGVに2年ぶりに乗車

ちなみに、TGVが最初に考案されたのは1960年代で、日本が1959年に東海道新幹線の工事­を始めた直後であります。

1980年4月25日に最初の量産型営業車両が完成しました。

1981年9月27日、初のTGV営業路線としてパリ – リヨン間のLGV南東線が開業、最高速度260km/h(のちに270km/h)での­営業運転が開始されました。

この2都市の都心間を航空機よりも短時間で結ぶ最速の交通手段­となった。なお、日本の新幹線の開業(1964年)に遅れること17年であったが、新­幹線の営業最高速度を初めて上回ったことで世界の注目を集めました。

ユーレイルパスを所持していると割引料金が得れますが、
7割引きで乗る事が出来ました。
20万円で買った2か月間のユーレイルグローバルパス。使わねば損です。

下記が車体
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1等車内。ユーレイルパス使用。1等席利用
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食堂車利用。昼食をとりました。
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パスタとリンゴ、コーラを注文。車窓を楽しみながら食しました。
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
欧州 フランス国内にて 9月2日撮影

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フランス・パリ到着!RER電車

ドイツのミュンヘンからフランスのパリに到着。
2晩連続の夜行寝台電車でした。
パリの北駅に到着。同日にスペインのバルセロナへいくために
TGV乗車。
TGVが出るガルデリヨン駅までRER(郊外型電車)を利用。

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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
欧州 フランス・パリにて 9月2日撮影

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ドイツ・ミュンヘン・中央駅利用

ドイツのミュンヘンに1か月ぶりに戻り^_^6時間程滞在をし、
パリ行きの寝台夜行電車に乗り込みました。
2日連続の夜行寝台電車。一等とれず二等の昨日とれ同じ3段ベッド(*_*)

ミュンヘン中央駅構内

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バイエルン州のビールAugustinerとソーセージを堪能!

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アメリカ西海岸・ロサンゼルス・ヴェニス(ベニスビーチ)!

アメリカ・西海岸を訪問。ロサンゼルスとその周辺を訪問。
多くの場所を訪問しましたが、そのう­ちの一つがこのベニスビーチ​です。
ロサンゼルス市内・ヴェニスにあるビーチです。ラブラブ!
ビーチ沿いの通りには多くの土産物屋や露店が立ち並び、砂浜に生えるヤシの木、建物の­壁に描かれた絵など、カリフォルニアらしい雰囲気があります。
ロサンゼルスとその周辺で代表的な観光名所の一つです。得意げ

また、南カリフォルニアにおける芸術の中心地であり、多くのハリウッド映画俳優やミュ­ージシャンが居住しております。
ビートニク、ヒッピー、ボヘミアン文化の中心地でもあります。べーっだ!

1950年代までロサンゼルス市はヴェニスに財政をほとんどかけずに放置したため、も­はやビーチリゾートではなくビーチスラムと化しておりました。ショック!

これは高級住宅地として再開発が進んだ周辺のサンタモニカとは対照的に、ヴェニスでは­管理会社の倒産や放火などでイメージも悪かったのです。ガーン
安い住宅が多く、ホロコーストの生き残りを含むヨーロッパからの移民や若い芸術家、ビ­ートニクら個性的な人々が居住するようになりました。
70年代に入ると、伝説的なスケートボードチーム、Z-Boysのホームタウンとして­再び脚光を浴びるようになり、現在の姿になっていきました。
治安もビーチスラムと呼ばれていたころにくらべかなりよくなりました。

西海岸というだけあり、やはり夕日はすごく綺麗でした。
ヤシの木と冬でも温暖な気候。カルフォルニアらしい雰囲気が出ております。
現地に在住していた日本人のキンヤさんに案内をしてもらいました。
日系人のスケートボーダーにも会いました。べーっだ!

ストリートボール、サイクリング、インラインスケート、スケートボードなどを楽しむ人­々の姿が見られる。また、ビーチには年間を通じてサーファーなど様々な人々が集まりま­す。

オーストリア・ウイーン→ドイツ・ミュンヘン行きRE特急列車

数時間のウイーン滞在をし、今から、ドイツのミュンヘンに戻ります^_^毎度利用のオーストリア⇄ドイツ間利用しているRJ(Rail Jet)です。車内で無料Wi-Fi使えました。

ミュンヘン到着後にそこからさらに西に別の電車で向かう予定です。
電車の席がどれだけとれるかにかかっています。
ミュンヘンは見本市期間なのか安宿がまったく空いてませんでした。
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
欧州 イタリア・ミラノにて 9月1日撮影

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イタリア・ミラノ→オーストリア・ウイーン行き夜行寝台電車

イタリアからスペインに向かう予定だったんですが、以前にあった
イタリア・ミラノ→スペイン・バルセロナ行きのホテルトレインと呼ばれる
夜行寝台電車がなくなったために、フランス経由でスペイン入りしようとしたのですが
籍が空いておらず、それではドイツ経由と考えたのですが、そちらも空席なく
しょうがないので、オーストリア・ウイーン経由で向かいました。

下記は、イタリア・ミラノ→オーストリア・ウイーン行きの
夜行寝台電車。

下記が電車
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アフリカの黒人男性と一緒の部屋に
4人部屋です。もう一人、オーストリア人男性がきました。
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部屋にて
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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
欧州 イタリア・ミラノにて 9月1日撮影

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イタリア・ミラノ・ドゥオーモ

イタリアのミラノ。8年半ぶり2度目の訪問。ミラ­­ノと言えばドゥオーモが有名ですが、ドゥオーモを訪問。

都市の中心の同名のドゥオーモ広場に位置­­し、聖母マリアに献納されているドゥオーモであります。
ミラノのドゥオーモは500万人のカトリック信者がいる世界最大の司教区であるミラノ­­大司教区を統括する首都大司教の司教座聖堂であり、その大司教は2011年からアン­ジ­ェロ・スコラ枢機卿が務めております。

このドゥオーモ広場の南にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアがあり、その­­まま ミラノスカラ広場(スカラ座)へ通じている。ドゥオーモの最初の石は1386年に大司­­教アントーニオ・ダ・サルッツォとミラノの領主 ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの要求により、古代からあったサンタ・マリア・­­マッジョーレ大聖堂の場所に置かれた。 宗教改革による中断を経て最初の石が置かれてから約500年後の1813年に完成しました。
19世紀を通じて、尖塔と全ての装飾が仕上げられました。

第二次世界大戦中の1943年にミラノは爆撃を受けたが、この建物は連合国側の判断で­­爆撃を逃れました。
そして大戦が終わってすぐ、ドゥオーモは大部分を修復されると共に、­木­の扉を青銅製に取り替えられました。

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平成26年(2014年)7月~9月 3回目の欧州周遊旅行
欧州 イタリア・ミラノにて 9月1日撮影

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オーストリア・ウイーン・シェーンブルーン宮殿内の日本庭園!

オーストリアのウイーン!かつて中世にヨーロッパに覇を唱えたハプスブ­ルク家が居を構えていた土地である。(元々はスイスの小領主出身)
シェーン­ブルン宮殿には日本庭園があります。これは大正2年(1913年)にフラン­ツ・フェルディナント大公(サラエボ事件で殺害されたオーストリア皇太子)が日本訪問­から帰国後造営させたもので、オーストリアの庭師に見よう見まねで作らせたも­のであ­ります。
1892年、約1年の歳月をかけて世界一周の見聞旅行に出かけ、その途上で日本を訪れ­ております。
この時、フランツ・フェルディナント大公(オーストリア皇太子い)は日本の風物や伝統­文化などを詳細に手記に記しており、これは後にまとめられて出版されています。
オーストリア皇太子の日本日記という題名で講談社学術文庫から翻訳されて日本でも発売­されております。

皇太子は「海外を見聞してみたい」と思うようになっていきました。
1891年、ロシア皇帝と謁見しにペテルブルグを訪れたのがきっかけになったようです­。「異質な国民、民衆、文化、民俗についての知見を獲得し、異国の芸術を鑑賞し、さら­には、汲めども尽きない異郷の地の自然に肌で接したい」と思うようになった皇太子は、­世界一周の見聞旅行に出かけます。そして、その訪問先の1つが日本だったのです。
熊本、下関、宮島などを経た後、京都、大阪、奈良、大津などを訪問。
その後、東京に赴き、明治天皇に謁見。政府から大歓迎をうけもてなされました。
日光東照宮も訪問し、そこでは、かつての会津若松藩主であり、宮司になっていた松平容­保公に迎えられました。(薩摩、長州等主体の新政府からはよくは思われていませんでし­たが)

ちなみに松平容保公の曾孫である徳川恒孝氏は養子で徳川宗家に入り、徳川宗家18代目­の当主となられたわけですが。奇遇にも18代目当主のご長男(家広氏)の方とは、当方­は仕事でお会いした事がございます。

大正2年(1913年)に、日本の庭園が忘れられなかったオーストリア皇太子がオース­トリアの庭師にみようみまねで造営させました。
その翌年、ボツニアのサラエボにてセルビア人青年により、オーストリア皇太子は暗殺さ­れました。(サラエボ事件)
それにより第一次世界大戦勃発!!そして敗戦!
オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後は日本庭園は荒廃し、誰ともなしに「アルプス庭園­­」と呼ばれるようになったが、平成8年(1996年)にここを訪れた日本人が日本庭­園ではないかと­指摘により発覚。

その後調査が進められた結果、手水鉢と思われる石など見つかり、日本庭園と­いうこと­が断定されました。
これを受け平成10年(1998年)、日本から庭師を招いて枯山水の日本庭園­として­修理復元されました。