国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

沖縄

沖縄県宜野湾市!キングタコス長田店!タコライス

【沖縄発祥のタコライス】
I ate Tacos and Taco-rice at a KIng-Tacos shop in Ginowan city in Okinawa.
メキシコのタコス。タコスはヒスパニックの多いアメリカ西海岸でも広まり、タコベルなどのチェーン店があることでも有名です。

米軍基地がある関係で
沖縄にはアメリカ的なレストランが非常に多いです。(当初は米兵向けであったのだが)
一昔前はジャンクフード大好きな自分で、留学時などはマックやKFC、バーキン、サブウェイなどをよく利用していました。

今回はある方からお薦めいただいたタコスとタコライスを食すことが出来るキングタコスに。
タコライスは名前の通り、タコスの具材を米の上にのせた
ものです。

タコライスは金武町のキャンプハンセンのゲート前に広がる飲食店街にあった「パーラー千里(せんり)」の創業者、儀保松三の考案により1984年に販売開始されました。
後にチェーン展開することになる系列店の「キングタコス」を通して沖縄本島各地に広まっていきました。
現在は沖縄に複数店舗を展開するタコス&タコライスの有名店。

名護から車で南に下り
宜野湾市の長田店に。米軍ヘリが墜落したことでも知られる
沖縄国際大学の近くにあります。
店内は狭く、立ち食いできる場所はあるものの
持ち帰りの人々が多いです。

タコスは今までに食べた事はあっても
タコライスは此間、那覇のレストランで初めて食しました。
両方の味を楽しみたいと思い、タコスとタコライス両方を注文。

沖縄県・古宇利島のビーチ

古宇利島に。2005年2月に古宇利大橋が完成し、名護市の屋我地島と橋で結ばれるまでは、古宇利港と運天港との間に船便でつながれていました。

島は面積3.13平方キロメートル、周囲7.9kmでほぼ円形の形をした隆起サンゴ礁の島です。
琉球人の祖と言われる「沖縄版アダムとイヴ」と呼ばれる神話があることで有名な島でもあります。

前回、訪問時は雨。
今回は晴れていたので綺麗な写真を撮ることができました。
時期的に本土からの卒業旅行生が多かったです。

沖縄本島最北端辺戸岬近くの茅打バンタ


沖縄本島最北端の辺戸岬から茅打バンタ へ。
国頭村宜名真に位置する観光地で、高さ約100mの断崖絶壁。
そこからの景色が抜群です。

バンタとは沖縄の方言で崖のことで、束ねた茅を崖から投げ落とすと強風でバラバラになったことからこの名がついたといわれています。

昔、道路が整備されていなかった頃の往来は断崖絶壁を越えて行かなければならず、岩の裂け目に打ち込んだ杭や木の根を頼りにするという交通の難所でした。

途中で反対方向から来た人と出くわすとどちらか一人が戻って道を譲らねばならなかったことから「戻る道」とも呼ばれていました。

沖縄本島最北端辺戸岬近くの大石林山

沖縄最北端の辺戸岬を再訪した跡に、岬から1キロくらいの距離にある大石林山に。
16年程前に出来た施設で、おきなわワールドや石垣サンセットビーチ、石垣島鍾乳洞、ガンがラーの谷などを運営する㈱南都が運営。

大石林山はダイセキリンザンと読み、
昔から聖なる地として伝えられてきた安須杜の山々は、辺戸岬から眺める険しい姿とは違って、一歩踏み入ると、そこは亜熱帯の自然と触れ合う楽園。

奇岩や巨石、亜熱帯の森、大パノラマなどさまざまな表情を見せる大石林山の4つの散策コースが琉球神話の杜に広がります。

600〜1キロメートルの4つの異なるトレッキングコースが用意されていますが、1つだけ周るも良し、体力と時間があればすべてまわってみると良いでしょう。

コースによっては海が綺麗に見えます。パワースポット的な場所でもあり運気をつけたい人は訪れてみると良いでしょう。

沖縄本島最北端の辺戸岬

【再び沖縄本島最北端の辺戸岬に】
I re-visited the northernmost point of Okinawa main island Hedo cape today.
本日は名護から再び、沖縄本島最北端の辺戸岬を訪問。

国頭村に位置しており、鹿児島県与論島からたったの28キロの距離で与論島がみえる岬です。
学生時代17年程前に与論島にダイビングの免許をとりに
いき、4泊しましたが非常に懐かしく思えました。
与論島から17年前に見たのが辺戸岬です。

沖縄県がアメリカの統治下にあった頃、本土復帰を願って、ここから沖縄の人々がのろしを上げていました。
昭和47年の沖縄返還にさいして建立された「日本祖国復帰闘争碑」があります。

【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】読谷村の座喜味城

沖縄の世界遺産全て訪問完了!!!9つ目の座喜味城
【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】
沖縄本島中部の読谷村にある世界遺産に認定されている座喜味城

1416年から1422年に読谷山の按司護佐丸が築城したとされている城です。

沖縄戦前には日本軍の砲台がおかれて、戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊されたが、城壁の復元されました。

1972年(昭和47年)5月15日、沖縄の本土復帰と同時に国の史跡に指定されたが、米軍基地として使用されていた部分は指定し得なかったため、返還を機に追加指定されました。

城跡の高台から西側を望むと残波岬や、晴れた日には慶良間諸島も眺めることが出来ます。城の規模は中規模で同じ世界遺産の今帰仁城や勝連城などに比べるとこじんまりとしていると感じられるのですが
高齢者にとってはあまり歩く必要がないという利点があります。

【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】首里城&玉陵&園比屋武御嶽石門

【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】
首里城&玉陵&園比屋武御嶽石門 の3つ。
首里城とその周辺に固まっています。

・首里城
琉球王国の居城。琉球王国が統一した1429年から1879年の廃藩置県まで、政治・経済・文化の中心地になっていました。
沖縄戦で焼失しましたが、1992年に復元されました。総木造・総漆塗りで正殿、南殿、北殿の3棟からなります。


・園比屋武御嶽石門
首里城公園敷地内、守礼門の近くにある祈願所。石門の後ろの森に御嶽(うたき)があり、国王が外出する時に、道中の無事を祈願したところ。

国家行事や祭祀と密着した重要な御嶽には、今も祈願に訪れる人が後を絶ちません。
創建は1519年、八重山の名工・西塘とされ、建造物は石門のみで、がっしりとした琉球石灰岩で作られ、屋根には火焔宝珠があしらわれています。

・玉陵
首里城公園の西側にある壮大な石造建築物です。
1501年、第二尚氏王統の第3代国王尚真が、父尚円王のためにつくったといわれる陵墓で、後に第二尚氏王統の歴代の国王が眠る陵墓となりました。

琉球独自の陵墓として、近世日本においても重要な石造記念建築物と言われています。

【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】那覇市の識名園


【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】
那覇市にある琉球庭園の1つである識名園。
琉球王国のグスク及び関連遺産群の1つに指定されています。

造園は琉球の第二尚氏王朝、尚穆(在位・1752年 – 1795年)の時代に始まったと言われていますが定かではないですが、完成は尚温の時代の1799年。

庭園好きな小生ですが
この庭園は非常に落ちついており
昼寝などして1日過ごしたいと思える庭園でした。

沖縄県の世界遺産!琉球王国のグスク及び関連遺産群の1つ中城城跡


【琉球王国のグスク及び関連遺産群の1つ中城城跡】
14世紀後半頃迄に先中城按司が数世代にわたり南の郭、西の郭、一の郭、二の郭の主要部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味城から移ってきた護佐丸盛春によって、三の郭、北の郭が増築され現在の形が完成したと言われています。

中城王子の居城から1609年の薩摩の琉球侵攻後は番所に。明治になり廃藩置県後は中城村役場として戦前まで利用されました。

興味深いのは日本に開国を迫ったペリーは1853年5月に沖縄本島を訪れ、彼と一行は城壁やアーチの門の建築土木技術水準の高さに驚嘆したとようです。

沖縄の本土復帰と共に国の史跡に、2000年11月に世界遺産登録。
2006年に日本100名城に選ばれました。