国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明

世界各国、日本各地を周り、多くの場所を写真、動画撮影等で取材

2018年

沖縄本島最北端辺戸岬近くの大石林山

沖縄最北端の辺戸岬を再訪した跡に、岬から1キロくらいの距離にある大石林山に。
16年程前に出来た施設で、おきなわワールドや石垣サンセットビーチ、石垣島鍾乳洞、ガンがラーの谷などを運営する㈱南都が運営。

大石林山はダイセキリンザンと読み、
昔から聖なる地として伝えられてきた安須杜の山々は、辺戸岬から眺める険しい姿とは違って、一歩踏み入ると、そこは亜熱帯の自然と触れ合う楽園。

奇岩や巨石、亜熱帯の森、大パノラマなどさまざまな表情を見せる大石林山の4つの散策コースが琉球神話の杜に広がります。

600〜1キロメートルの4つの異なるトレッキングコースが用意されていますが、1つだけ周るも良し、体力と時間があればすべてまわってみると良いでしょう。

コースによっては海が綺麗に見えます。パワースポット的な場所でもあり運気をつけたい人は訪れてみると良いでしょう。

沖縄本島最北端の辺戸岬

【再び沖縄本島最北端の辺戸岬に】
I re-visited the northernmost point of Okinawa main island Hedo cape today.
本日は名護から再び、沖縄本島最北端の辺戸岬を訪問。

国頭村に位置しており、鹿児島県与論島からたったの28キロの距離で与論島がみえる岬です。
学生時代17年程前に与論島にダイビングの免許をとりに
いき、4泊しましたが非常に懐かしく思えました。
与論島から17年前に見たのが辺戸岬です。

沖縄県がアメリカの統治下にあった頃、本土復帰を願って、ここから沖縄の人々がのろしを上げていました。
昭和47年の沖縄返還にさいして建立された「日本祖国復帰闘争碑」があります。

【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】読谷村の座喜味城

沖縄の世界遺産全て訪問完了!!!9つ目の座喜味城
【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】
沖縄本島中部の読谷村にある世界遺産に認定されている座喜味城

1416年から1422年に読谷山の按司護佐丸が築城したとされている城です。

沖縄戦前には日本軍の砲台がおかれて、戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊されたが、城壁の復元されました。

1972年(昭和47年)5月15日、沖縄の本土復帰と同時に国の史跡に指定されたが、米軍基地として使用されていた部分は指定し得なかったため、返還を機に追加指定されました。

城跡の高台から西側を望むと残波岬や、晴れた日には慶良間諸島も眺めることが出来ます。城の規模は中規模で同じ世界遺産の今帰仁城や勝連城などに比べるとこじんまりとしていると感じられるのですが
高齢者にとってはあまり歩く必要がないという利点があります。

【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】首里城&玉陵&園比屋武御嶽石門

【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】
首里城&玉陵&園比屋武御嶽石門 の3つ。
首里城とその周辺に固まっています。

・首里城
琉球王国の居城。琉球王国が統一した1429年から1879年の廃藩置県まで、政治・経済・文化の中心地になっていました。
沖縄戦で焼失しましたが、1992年に復元されました。総木造・総漆塗りで正殿、南殿、北殿の3棟からなります。


・園比屋武御嶽石門
首里城公園敷地内、守礼門の近くにある祈願所。石門の後ろの森に御嶽(うたき)があり、国王が外出する時に、道中の無事を祈願したところ。

国家行事や祭祀と密着した重要な御嶽には、今も祈願に訪れる人が後を絶ちません。
創建は1519年、八重山の名工・西塘とされ、建造物は石門のみで、がっしりとした琉球石灰岩で作られ、屋根には火焔宝珠があしらわれています。

・玉陵
首里城公園の西側にある壮大な石造建築物です。
1501年、第二尚氏王統の第3代国王尚真が、父尚円王のためにつくったといわれる陵墓で、後に第二尚氏王統の歴代の国王が眠る陵墓となりました。

琉球独自の陵墓として、近世日本においても重要な石造記念建築物と言われています。

【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】那覇市の識名園


【沖縄の世界遺産巡り・琉球王国のグスク及び関連遺産群】
那覇市にある琉球庭園の1つである識名園。
琉球王国のグスク及び関連遺産群の1つに指定されています。

造園は琉球の第二尚氏王朝、尚穆(在位・1752年 – 1795年)の時代に始まったと言われていますが定かではないですが、完成は尚温の時代の1799年。

庭園好きな小生ですが
この庭園は非常に落ちついており
昼寝などして1日過ごしたいと思える庭園でした。

沖縄県の世界遺産!琉球王国のグスク及び関連遺産群の1つ中城城跡


【琉球王国のグスク及び関連遺産群の1つ中城城跡】
14世紀後半頃迄に先中城按司が数世代にわたり南の郭、西の郭、一の郭、二の郭の主要部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味城から移ってきた護佐丸盛春によって、三の郭、北の郭が増築され現在の形が完成したと言われています。

中城王子の居城から1609年の薩摩の琉球侵攻後は番所に。明治になり廃藩置県後は中城村役場として戦前まで利用されました。

興味深いのは日本に開国を迫ったペリーは1853年5月に沖縄本島を訪れ、彼と一行は城壁やアーチの門の建築土木技術水準の高さに驚嘆したとようです。

沖縄の本土復帰と共に国の史跡に、2000年11月に世界遺産登録。
2006年に日本100名城に選ばれました。

【沖縄戦の戦跡地巡り&慰霊④】沖縄県糸満市・平和祈念公園

【沖縄戦の戦跡地巡り&慰霊④】
同じく糸満の平和祈念公園を再訪。

公園内の戦跡は沖縄戦最大の激戦地&終焉地。
昭和20年5月、アメリカ軍の攻撃により、首里にあった日本軍司令部は、沖縄本島南部に移動。

日本軍による組織的抵抗は、6月23日に司令官・牛島満中将が摩文仁の司令部壕で自決したことにより終了したがアメリカ軍は翌7月初めまで掃討戦を続けました。

平成祈念公園内には各県の慰霊碑一覧があります。
全てを訪れるのは時間がかかりますので
皆さんの出身県の慰霊碑にて合掌や焼香をするとよいでしょう。

喜屋武岬などと同じくこの摩文仁の丘からも沢山の人間が追い詰められて飛び降りて亡くなりました。

摩文仁の丘で出会った80過ぎのお婆さん。
「お兄ちゃん、慰霊はこちらからだよ。」と言われ
お婆さんの近くにいくと花を持っていってといわれました。
1束300円ですが、最初は断ったのですが
結局購入することに。
慰霊碑に献花させていただきました。
一緒に記念撮影。
80を過ぎても懸命に商売している姿に心を打たれました。

【沖縄戦の戦跡地巡り&慰霊③】沖縄県糸満市・ひめゆりの塔

【沖縄戦の戦跡地巡り&慰霊③】

本日は糸満にある「ひめゆりの塔」を再訪。
沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ慰霊碑。

慰霊碑の名称は、当時第三外科壕に学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊にちなんでいます。

「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉で、元来は「姫百合」でしたが、戦後ひらがなで記載されるようになりました。

昭和20年3月24日に沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名(教師18名・生徒222名)は、南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍。

5月25日には陸軍病院そのものが回復の見込みのない負傷兵・学徒を置き去りにして南部の伊原・山城周辺に撤退し、分散して地下壕に潜みました。

戦局が絶望的になると、6月18日、学徒隊は解散を命じられました。
既に沖縄のほぼ全域をアメリカ軍が支配しており、また周辺も既に激しい砲撃にさらされていたため、地下壕から出ることはほとんど死を意味しました。

職員を含むひめゆり学徒隊240名中、死亡者は生徒123名、職員13名であるが、このうち解散命令以後に死亡したのは117名で全体の86%にものぼり、さらに判明しているだけでも全体の35%にあたる47名が第三外科壕に攻撃があった6月19日に亡くなっています。

沖縄県那覇市・国際通り界隈・沖縄家庭料理の店まんじゅまい


那覇の国際通りに近い沖縄家庭料理の店まんじゅまいで食事。初めて食すタコライス、パパイヤチャンプルー、てびち、豚の三枚肉、海ぶどうなどを沖縄のビールであるオリオンビールとともに食しました。

昔ながらの古臭さが残る雰囲気の良いお店で味もよくお薦めのお店です。